FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

勉強は、ついていけないものだと諦める

* これは、前回の記事の続きです。

四人のお子さんを全員東大に合格させたというお母さんを反面教師にして、自分は一体どんな子育てをしていきたいのかを改めて問い直してみた。

そして色々考えた結果、以下の三つを試してみることにした。


1)ノッコが他の子に追いつくかもしれないという希望はすっぱり捨てる。 

「まだ先のことは分からないじゃない。」「まだノッコちゃんは8歳なのに、なにも今からそんな決めつけなくても、、、。」

親しい友人はそんな風に言う事がある。

けれど人が何かに対してがっかりするのって、必ず自分の中に期待する気持ちがあるからで、その期待を思い切って捨ててしまうと気持ちがずっと楽になることってあると思う。

私は結婚したばかりの頃、お互い仕事をしているんだからジョンにも家事をしてもらいたいと思っていた。だから自分から進んで家事をしてくれないジョンにイライラしたりがっかりすることが多かった。

でもジョンはコンピュータや車を直してくれるし、家の修理もやってくれる。だから「家事は自分担当なんだ」と決めたら、あまりがっかりすることがなくなった。

ノッコは週に4日も補習クラスに入ってて、一年生を2回繰り返して、そして私やジョンがつきっきりで勉強を見てあげている。

それでも「put」を 「 poot」と書き続けたり、「5ドルもらって3ドル使ったらいくらか? 」という問題も分からないのだから、彼女がこれからクラスに追いつくというのはもう無理なのだと思う。

ノッコの勉強はこれからもずっと遅れていくだろうし、将来大学にも行けないかもしれない。

それは頭では分かっていたのだけれど、でもやっぱりまだどこかで「もしかしたら」と期待していたところがあった。

ノッコはノッコのペースでがんばればいい。

口ではそんなきれい事を言っておきながら、心の奥底ではなんとかクラスに追いつかせようと躍起になっていた。

だから毎日「勉強!」「宿題!」とノッコを追い詰めてしまったのだ。

「もしかしたら、、」という期待は、今のノッコにとっても私にとっても、何の利にもならない。

だから今はそれを捨ててみる。

私は飲み込みの早い自分の子供に、「スポンジみたいにどんどん吸収していくね」と言ってみたり、本を読むのが大好きな子に「もう遅いから寝なさい。本の続きは明日にすればいいじゃない。」などと声をかける日が来るのを夢見ていた。

一緒に見た映画や、一緒に読んだ本について、子供とああだこうだとディスカッションするのを夢見ていた。

でもそんな夢も、今は捨てておいた方がいいのだと思う。

それよりもノッコが今後成長していく上で、勉強ができないことで落ち込んだとき、傷ついたとき、精神的にどうやって彼女を支えていくか。

どうやったらノッコとの関係をよりよいものにしていけるのか。

そういうことに頭や時間を使っていくことの方が、今は大切なんだと思うことにした。


つづく


にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

子供を全員東大に入れたお母さん

* これは、(だいぶ間が空きましたが)前回の記事の続きです。


ノッコを受け入れられない私を、そっくりそのまま受け入れてくれたジョン。

彼のやさしさに、その時の私はどれくらい救われたことか。

けれどどんなにジョンの言葉で気持ちが楽になっても、だからといって心の問題が解決したという訳ではなく、私の苦悩自体は消えることなくそのままそこに存在していた。

それは「自分の娘は頭のいい子であって欲しかった」という思いを捨てきれないのと同じくらい、「ノッコを受け入れたい」という願望も捨てきれずにいたから。

だから私はジョンに打ち明けたあとも、変わらず他のお母さん達のブログを読んだり、子育て関係のテレビ番組を見たりしていた。

そんなある日Youtubeで、子供四人を全員東大の医学部に入れたというお母さんのインタビューをみつけた。

子供一人を東大に入れたのなら、たまたまその子が頭のいい子だったのかもしれないと思うけれど、子供四人とも東大に入れたとなると、きっとお母さんの貢献が大きいのだろうと思い、そのインタビューを見てみることにした。

そのお母さんはお子さん達が小さい頃から英才教育を始め、つきっきりで勉強をみてきたと言っていた。

彼女が子供の勉強の邪魔になると思うこと、時間の無駄だと思うことはできるだけ排除し、子供達が勉強に集中できる環境を整えることに力を入れてきたと言っていた。

なのでテレビやバイトや恋愛は禁止。子供達の宿題も無駄だと思われるものは彼女が代わってやってあげていたという。

子供の教育のためにここまで自分の全てを打ち込めるってすごいなと思ったし、子供達を東大に入れることで自分の子育ては成功したと思えるなら、ある意味羨ましいとさえ思った。

全ての親にとって子育てのゴールがそれくらい単純で分かりやすかったら、どんなにいいだろうと思った。

そのお母さんの「東大に入るために必要なこと以外は全て無駄」とする教育方針に反発する人は多く、そのテレビ番組でもそのお母さんはかなり叩かれていた。

けれど私は彼女の考え方はそんなに批判されるほどのものではないと思った。

彼女の言葉からお子さんたちに対する愛情は感じられたし、やり方はどうであろうと、彼女だって子供達のためを思って東大に入ることを目標としたのだと思う。

その「子供を思う気持ち」は、他のお母さんたちと何ら変わらないものだと私は思った。

でも、

そうは思いつつも、やっぱり彼女のようにノッコや風太を育てていきたくはないなと思ってしまった。

勉強に力を入れてあげたのはいいかもしれないけれど、彼女はあまりに自分の子供達をかまいすぎて、彼らの自立心を削いでしまったような気がしたから。

彼女は二言目には「恋愛でもファミコンでも やりたいことは大学を出てから好きなだけやればいいんですよ。」と言っていたけれど、それでは遅すぎることってかなり多いと思う。

自分の意思で物事を決め、自分の思うように行動して失敗するという経験を小さい頃から重ねていないと、大人になってから初めて大きな失敗をするのは危険だと思った。

彼女はテレビもゲームもスポーツも「時間の無駄」だと考えていたようだけれど、そういう「無駄」から子供達が学ぶことはたくさんあると思うし、ある程度の時間の無駄は子供の成長には欠かせないものだとも思う。

私は彼女が出ていた番組を見たあと、他にもその人が出ているYoutubeをいくつか見てみた。

そして彼女の話を聞けば聞くほど「たとえ子供が勉強できるようになっても、彼女のような子育てはしたくないなぁ」という思いが強くなっていった。

じゃあ、

自分は一体どういう風に子供達を育てたいのか。
自分だって本当は、彼女のように勉強のできる子供を育てたかったのではないのか。

彼女のやり方を批判するのは簡単だけれど、じゃあ、自分はどうしたいのか。

自分にその疑問を投げかけてみた。

そしてその問いについて、自分なりにじっくりと考えてみた。

それが今回ノッコのことで悩んでいた私の(とりあえずの)解決策につながっていった。


つづく




にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村







親の苦悩 一人で解決できない時は

* これは、前回の記事の続きです。


勉強ができないノッコを自分の子供として受け入れられず、毎日悩んでいた私。

(こんな気持ちは早く振りはらわなくちゃいけない)

そう焦れば焦るほど、自分はこのままずっとノッコを愛せないんじゃないかという思いが強くなり、あまりに苦しくて食事も喉を通らなくなってしまった。

けれどそんな状態になっても、私はジョンに相談する気にはなれなかった。

ノッコの勉強のことで、ジョンに愚痴を言うことはしょっちゅうあった。

けれど勉強ができないためにノッコを愛せないとは、あまりに情けない内容でジョンにも告白することができなかった。

知的能力が低いのはけしてノッコのせいではなく、本人ではどうすることもできないことだと知っているのに、まるで子供の顔がかわいくないから愛せないという親と同じくらい低いレベルの自分が情けなくて仕方がなかった。

そんなことを打ち明けて、ジョンに軽蔑されるのが怖かった。

しかもノッコは、

嫌がりながらも勉強をがんばっていた。

彼女にとっては、これ以上できないというくらいがんばっていた。

それを側で毎日見ているのに、こんな感情を持ってしまう自分が恥ずかしくて、とてもそれをジョンに打ち明ける気にはなれなかった。

けれどある日、子供達が寝たあと二人でテレビを見ている時にジョンが

「さわこ最近元気がないみたいだけど、何かあったの?」

と聞いてきた。

「うん、ちょっと仕事でストレスが溜まっちゃって。」

私はそうごまかした。

「あんまり無理しないほうがいいよ。」

「うん、ありがとう」

そう言ってしばらくまたテレビを見ていた。


けれどしばらくすると、私の口からずっと言わないようにしていた言葉が溢れ出てきた。

「ねえ、ジョン。私、、今も、これからもノッコと普通の母と娘の関係を築いていくことはできないかもしれない。」

突然の発言に、ちょっとビックリしたジョンは、

「どうしてそう思うの?」と聞いてきた。

「私は、今までもノッコを受け入れられないと思ってしまったことは何度かあった。でもそれはノッコの癇癪に疲れてしまったために一時的にそう思うんだと思ってたんだ。でも今回ノッコの先生と二者面談をしてみて、本当はそうじゃないことが分かったの。」

「どういうこと?」

「私はノッコが癇癪持ちだから受け入れられないんじゃなくて、本当はノッコが頭のいい子じゃないから受け入れられないんだということに気づいてしまったの。今まではそれを一生懸命ごまかしてきた。でもこうこれ以上ごまかせないの。私は、自分の娘が頭のいい子じゃないというこの現実を受け入れることができない。あんなに頭の悪いノッコを自分の子供として受け入れられないの。」

こうしてはっきり言葉にすると、自分がどれくらい酷いことを言っているのかを改めて知り、私は下を向いて泣きだしてしまった。

「こんな母親、最低だよね。こんな母親を持ったノッコはかわいそうだよね。でも私、自分でもどうしたらいいのか分からないの。どうやってノッコをありのまま受け入れたらいいのか、分からないの。」

オイオイ泣きじゃくる私を目の前にして、ジョンはしばらく考えていた。

そして、

「でもさ、今こうしてさわこがノッコの話をしながらオイオイ泣いているというこの事実が、どれくらいさわこがノッコを愛しているのかを示しているんじゃないかな。」と言った。

「さわこは、ノッコをありのまま受け入れられない自分に苦しんでいるんでしょ。その苦しみは、さわこがノッコを自分の娘として心から愛しているからだと思うよ。そういう風にノッコを想う気持ちがあれば、今は無理して彼女のことを受け入れられなくても僕は別にいいと思う。さわこが受け入れられなくても、僕はノッコをありのまま受け入れているし、愛しているよ。少なくとも親のどちらかがそうできるのであれば、それでいいんじゃない。」

「、、、。」

「さわこは、もっとゆっくり時間をかけてノッコを受け入れていけばいいよ。」

「うん、、。でも、どんなに努力しても受け入れられなかったら? 勉強のできないノッコにがっかりする気持ちをどうすることもできなかったら?」

「そうだね、、もしも何年経ってもやっぱりノッコのことを受け入れられない時は、僕がノッコのことは引き受けるよ。だからそれでよしとしようよ。」

「でも、、、、、。」

「無理に自分の気持ちを押し殺そうとしても、頭のいい子であって欲しいという気持ちを変える事はできないんでしょ? 僕はノッコには他にもいいところがたくさんあると思うから、勉強の事はそんなに気にならないんだ。さわこほどがっかりもしない。さわこが自然にそんな風に思えたらいいと思うけど、無理矢理そう思うとしても、どこかで必ず歪みがでてくるから。」

「うん、、。」

「だからさわこは、無理に自分の感情を殺してノッコを受け入れようとするよりも、いつかノッコの違う面を見て受け入れられるようになるのを待つ方がいいと思うんだ。それはあと数年したら訪れるかもしれないし、ノッコが成人してから訪れるのかもしれない。それは今の僕たちには分からない。でも僕はいつかきっとさわこがノッコを受け入れられるようになると思ってるよ。」

「うん、、、。」

「ただ一つだけ約束して欲しいのは、どんなにノッコのできの悪さを目の当たりにしても、ノッコの前でがっかりした態度を見せないこと。ノッコの全人格を否定するようなことを言わないこと。 いい? さわこはノッコとけんかすると、時々そういうことを言ってしまうことがあるから。」

「うん、、、わかった。」

「このままでいくと、ノッコは大学さえも行けないかもしれないね。でも大学を出なくてもちゃんと生活してる人はたくさんいるよ。ノッコが自分の好きなことを見つけて自立できていれば、僕はそれでいいと思ってるんだ。」

「うん。」

「きっとノッコは大丈夫だよ、さわこ。」

ジョンはそう言って、私の肩を抱いてくれた。

「ありがとう、、、、ジョン」



この人と結婚してよかった。

ジョンがノッコの父親で本当によかった。

心からそう思った瞬間だった。



つづく



にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村

勉強が苦手な子を持つ 他のお母さん達はどうしているのか


* これは、昨日の記事の続きです。


「自分の子供は頭のいい子であって欲しかった。」

そう思ってしまう気持ちを、もう無理に否定したりごまかしたりしない。

その上で勉強のできないノッコとどうつきあっていったらいいのか。

それを真剣に考えてみようと思った私は、まず私と同じような悩みを抱えたお母さんたちのブログを読んでみることにした。

「勉強ができない子供」で検索してみると、数え切れないくらい色々なサイトが出てきた。

(子供の勉強のことで悩んでいる親はたくさんいるんだな、、、。)

勉強嫌いのお子さんに悩んでいる人、学習障害を持ったお子さんを育てている人、受験の心配をしているお母さん、そして子供専門のカウンセラーなど、色々な方面から色々な人達がこの問題に向き合っていた。

小学校の低学年、高学年、そして中学生。

子供の年齢はそれぞれ違っても、お母さん達の悩みはみな一緒だった。

勉強ができないお子さんとどう向き合っていけばいいのか。

その答えを探して、みながそれぞれ苦しんでいた。

そしてそういうお母さん達は、たいてい自分自身が子供の頃優等生で、いい大学を出て、仕事もバリバリしている人が多かった。

自分ががんばった分、子供が自分と同じような結果を出せない事に失望感を覚えてしまうらしい。

私は彼女達のようにバリバリのキャリアウーマンではないけれど、その気持ちはよく分かった。

がんばればそれなりの結果が出せることが分かっているから、自分の子供達にももうちょっとがんばって欲しい。

そんな風に思ってしまうんだと思う。

その日みつけた数多くのサイトの中から、私はできるだけ自分の状況と似た親御さんたちのブログを読んでみた。

5年生の男の子を持つ一人のお母さんは、勉強ができない息子さんをどうしても自分の子供として受け入れられず、息子さんが悪いテストを持って帰ってきた日などは、顔を合わせるのも会話するのもつらくなってしまうと書いてあった。

(ああ、その気持ち分かるわ、、。)

私はそんな風にそのお母さんにすぐに共感できたのに、彼女のブログのコメント欄には批判的なコメントが多かった。

「自分の子供なのに、どうしてそんなことが言えるんですか?勉強なんてできなくたって、他に得意なことがあればいいじゃないですか。」

「お子さんが可哀想です。どうか息子さんをありのまま受け入れてあげてください。」

「お母さんがそんな気持ちでいると、お子さんが将来心に傷を負った大人なってしまいますよ。」

そんな風に書いてくるのは、たいてい自分の子供も小さい頃は勉強ができなかったけど大人になってから成功したという親御さんばかりだった。

自分達の経験を踏まえて「勉強なんてできなくても大丈夫」とブロガーさんに伝えたい。

恐らくそういう善意から彼女達はそういうコメントを送ったのだろうと思う。

でも正直言ってこういうコメントは、子供の勉強のことで悩んでいる親の気持ちを楽にはしてくれない。

確かに子育てが終わってみると、勉強ができないなんてあんまり関係なかったと感じる方がいるかもしれない。

私だって、もしもノッコが将来普通に大学に行って、普通に就職して自立してくれたら、「あんなに勉強、勉強って言わなくてもよかったかな」と思うかもしれない。

でも将来に何の保証もない私たちには、「今現在、勉強ができない子供」のことしか分からない。

だから 「もしも一年繰り返すことになったらどうしよう」とか「勉強がついていけないために不登校になったらどうしよう」など、今 目の前にある問題しか考えられない。

子供がどこの高校も受からないかもしれないと絶望的になっているお母さんに、

「勉強ができなくてもなんとかなる」という慰めは、何の慰めにもなっていない。

「勉強のことばかり気にするな」とか「子供が可哀想」というコメントは、 ただでさえ落ち込んでいる私たちの傷口に、更に塩を塗られるのと同じくらい私たちを傷つける。

子供をそのまま受け入れてあげることの大切さは、私たち自身が一番よく分かっている。

分かっているけど、勉強ができない子供にがっかりしてしまう気持ち、子供をありのまま愛せない気持ちをどうすることもできない。

だから私たちは苦しんでいる。

ブログを通じて自分と同じように苦しんでいる人達の存在を知り、こんな親は自分だけじゃないと思えたのはよかった。

けれどそこからこの問題解決の糸口を見つけることはやはりできなかった。

私は一体どうしたらいいんだろう、、。

そんな風に悩んでいる間も、私のノッコに対する態度は益々ぎくしゃくしたものになり、私たちの距離はどんどん広がっていくばかりだった。

そのせいか、ノッコの癇癪も日に日にひどくなる一方だった。

(このままでは、もう修復できないくらいノッコとの関係が悪くなってしまうかもしれない)

そう焦れば焦るほど頭が混乱して、私は少しも前に進む事ができずにいた。


つづく

にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村

自分の気持ちをごまかすのをやめてみる


*これは昨日の記事の続きです。


その日から、私のノッコに対する態度が少しずつ変わっていった。

以前は熱心に教えていた勉強も、なんだかやる気が失せてしまったし、ノッコのためによかれと思ってやってきたことも、何だか全てが無駄な事だったように感じてきたのだ。

実は以前の面談で先生が私に提案してくださったことは、家ですでにやっていることばかりだった。

学校の宿題以外にも、短い読解の問題はよくやっていたし、単語の練習もただ覚えさせるだけじゃなく、どんな風に使うのか例を挙げながら丁寧に教えていた。

「ノッコちゃん、”Conclusion” ていうのはね、自分なりの答えを出すことだよ。色んなデータや経験を基にして自分なりの答えを出すの。例えば、ある科学者が最初に“きっと地球は丸いに違いない”と思って色々調べるでしょ。そしてその結果、やっぱり丸いんだって分かったら、それがその科学者の “conclusion”なんだよ。」

私がこんな風に説明している間、ノッコはたいてい近くにあるものをいじったり、窓の外を見たりしてほとんど聞いていなかった。

私の話すことは、ノッコには全然響いていなかった。

どうせ私の言っていることを少しも理解していないのなら、一生懸命理解させようとする必要はないんじゃないか。

やってもやらなくてもノッコは伸びないのなら、やらなくてもいいんじゃないか。

だんだんとそんな風に思うようになっていった。

そして宿題をやるたびに、

「どうして毎日勉強しなくちゃいけないのー!」

「ノッコやりたくない! もうやらない!」

そう叫びながら、鉛筆をボキボキ折ったり、ノートをぐしゃぐしゃにしているノッコに付き合うのも、ほとほと疲れてしまった。

以前はそれでもなんとか宿題を終わらせようとなだめすかしていたけれど、その頃はもうどうでもいいような気がして、

「オーケー、じゃあいいよ。もうやらなくていいから遊んでおいで。」

と言ってしまうのだった。

すると喜んで遊び始めるノッコを見ては、それはそれでまたイラついてみたり がっかりしてみたり。

ノッコの勉強のことはもうどうでもいい。

そう思えたらどんなに楽か。

なのにどうしてもノッコの勉強を気にかけてしまう自分にイライラしては、更に落ち込むということを繰り返していた。

そんな毎日を過ごす中で、私は少しずつ自分の本当の気持ちに気づき始めてしまった。

それは、自分が子供を愛おしいと思う条件の中で、「頭がいい」という点がどれくらい大切だったかということだった。

私は、自分の子供は頭のいい子であって欲しかった。

私たちがノッコを迎えた時、例え遺伝子で繋がっていなくても、私とジョンが育てればきっと頭のいい子になるのだと信じていた。

それは「成績がいい」という頭のよさではなく、「飲み込みが早い」とか「分析する力がある」などの頭のよさ。

それさえ備えていれば、運動ができなくても、音楽の才能がなくても、少しぐらい性格が悪くったって私はその子に満足できたような気がした。

その子をもっと愛せるような気がした。

それくらい「頭がいい」というクオリティーは、私にとって欠かせないものだったのだ。

だから「勉強ができなくても、何か他に得意なことがあればいい」とか「勉強ができなくてもお友達が多ければいい」などという慰めは、自分やノッコの気持ちを楽にするために無理して言っていただけで、けして自分の本当の気持ちではなかった。

そんな「ごまかし」をこのブログに書いたり、お友達に話したりしていたけれど、本当は心の中でいつだって「頭のいい子であって欲しかった」という思いを捨てきれずにいた。

勉強さえできれば他のことはその次でいいと思っていた。

勉強ができることだけが、本当の意味で私を幸せにし、この子が愛おしくて堪らないと思わせる一番の要素だった。

だから、10ドルを二人で割ったら5ドルだということも分からないノッコは、私を満足させられる子供ではなかった。

未だに曜日も分からない、時計も読めないノッコ。

スペルミスのせいで何が書いてあるのか全然分からない文章を書くノッコ。

そんなノッコに私が満足する事はどうしてもできなかった。

これからノッコの頭が急によくなるとはとても思えない。

ということは、これからもずっと遅れ続けていくノッコを私が必死でサポートしていかないといけないんだ。

そう思うと、どうしようもない倦怠感と絶望感に襲われるのだった。

(自分の子供は頭のいい子であって欲しかった。)

そう思う気持ちは、どんなにごまかそうとしても事実として私の中に存在した。

だから、

もうきれい事を言ってごまかすのではなく、この事実を自分の中でしっかり受け止め、その上で勉強のできないノッコとどうつきあっていくか。

その事を真剣に考えるところから始めてみようと心に決めた。



にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村



勉強ができない子を持つ親の気持ち

去年の10月ごろ、ノッコの担任の先生と二者面談があった。

そこでノッコの学校での様子や、勉強についての話を伺った。

先生のお話によると、ノッコは学校では何の問題もなく友達と楽しくすごしているようだった。

よかった、、。

算数も、今のところは何とかついていけてるとのことだった。

「でもですね、、。」

先生がそう切り出したところで、

(ああ、やっぱり読み書きがちょっと遅れてるんだな)と思った。

一年生を2回繰り返して今2年生のノッコは、2年生になりたての頃は問題なくクラスについていけているようだった。

でも学期が進むにつれ、勉強に遅れがでてきているのはなんとなく分かっていた。

「この間、二年生の総合テストがあったんですが、」

「はい」

「ノッコちゃんの読解力は、まだ一年生の終わりぐらいのレベルなんです。」

「えっ? そうなんですか?」

「はい、2年生に上がったばかりの頃よりはかなり読めるようにはなってきてるんですが、それでも2年生のスタンダードにはまだ達していない感じですね。」

「そうなんですか、、、。」

その先生の言葉を聞いて、正直私は愕然としてしまった。

今2年生のノッコが、本来のお友達(今の3年生)より遅れていることは分かっていた。

でも本を読むのもだいぶ上手になっていたし、長い文章も書けるようになっていたので、すっかり今のクラスメートのレベルには達しているのだろうと思い込んでいた。

それがまだ2年生のレベルにも達していなかったなんて。

本来は3年生であるはずのノッコが、まだ1年生のレベルだなんて、、。

「ノッコちゃんの弱いところはですね、」

思わずボーっとしてしまった私の気を引くように、先生は続けた。

「語彙の少なさと、読んだものの内容を理解して質問に答える能力ですね。」

「はい、、、。」

先生に先日受けたテストを見せてもらうと、同意語や反意語の問題がほとんど全滅で、文章を読んで答える問題もボロボロだった。

「ノッコちゃんは、だいぶスラスラ読めるようにはなってきたんですが、自分が何を読んでいるのかを理解せずに、ただ読んでいるだけという感じですね。」

「はい、、。」

「お家でも、お夕飯のときの雑談などで“この単語の意味分かる”と聞いてみたり、読み聞かせをしたあとに“この人はどうして怒ってると思う?”など質問をして確認するといいと思います」と先生は提案してくださった。

「分かりました。ありがとうございます。」

そう言って先生のオフィスを出たあと、駐車場まで歩きながら私はひどく落ち込んでしまった。

こんなに毎日一生懸命勉強しているのに、どうして?

少しずつクラスメートとの差が縮んでいるんだとばかり思っていたのに、、。

泣き叫ぶノッコをなだめすかしながら、毎日なんとか宿題を終わらせている私は、なんだか絶望的な気持ちになってしまった。

ノッコは、学校で週4日も算数と読み書きの補習のクラスに行っている。

朝起きたら単語の練習をしてるし、学校から帰ったら宿題をして本を読んでいる。

これだけでも、もう一杯いっぱいなのに、

これ以上、ノッコにどうしろというのだろうか。

これ以上、私にどうしろというのだろうか。

私はなんだか色んなことが一気に嫌になってしまい、全てを投げ出してしまいたいような衝動に駆られた。

今までも、こんなことは何度となくあった。

ノッコの勉強のできなさにがっかりして、絶望的な気持ちになったこと。

でも今までは2−3日もすると「でもノッコはノッコのペースでやっていけばいいんだ」と自分に言い聞かせ、なんとか気持ちの切り替えをすることができたのに、なぜか今回はその落ち込みからいつまでも抜け出すことができずにいた。

そんなある日、

私は子供達をあるお店に連れて行った。

そのお店は親は立ち入り禁止で、店員さんに手伝ってもらいながら子供達だけでおじいちゃんとおばあちゃんへのクリスマスプレゼントを買えるというお店だった。

私はノッコに10ドル、風太に10ドルを渡して、

「ノッコちゃん、ママ、今ノッコちゃんに10ドルあげたね。グランマとグランパ二人にプレゼントを買うから、それぞれにいくらずつ使っていいのかな?」と聞いてみた。

するとノッコはしばらく考えてから、

「2ドル」と答えた。

「うーん、違うな。10ドルを二人につかうんだからさ、10ドルを半分にしなくちゃ。」

「12ドル」

「10ドルより増えることはないよ。」

そんな会話を横で聞いていた風太が、

「5ドル!」と元気よく答えた。

「そうだね。グランパに5ドル、グランマに5ドル使っていいんだよ。」

私がそういうと、二人は「わーい!」とはしゃいでそのままお店に向かって走って行った。

そんな二人の後ろ姿を見ながら、私は何だか泣きたいような気持ちになってしまった。

どこにもぶつけようのない、何ともやるせない思いで胸が一杯だった。

そしてふとお店の方に目をやると、何やらノッコが店員さんと揉めているのが見えた。

どうやら店員さんが値段の説明をしているのに、ノッコがそれを理解できずに喚いているようだった。

(ノッコは、もうだめだ、、、。)

その時、私の中で何かがフッと切れてしまったような気がした。

それはまるで飛んでいってしまった風船のように、

もう二度と私のところに戻ってくることはない

そんな何かだった。


つづく



にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村

私たちの育て方の何がいけないのか!?

年が明けた1月4日から子供達の学校が始まった。

今、私が一番心配しているのは、

「風太大丈夫かな〜」である。

というのも、風太は学校で恐らく今一番の問題児だから。

去年の8月にキンダーにあがってから、校長先生の呼び出しをもう2回もくらっている。

一回目は風太のスクールバス内での行動で、2回目はお友達を叩いたこと。

ノッコの癇癪と勉強だけで手いっぱいなんだから、2番目の子ぐらい問題なく育って欲しいと思う私の細やかな願いも虚しく、風太はひたすら極道をまっしぐらに進んでいる。

風太は元々感情の起伏があまりない子で、ノッコのようにさっきまで笑っていたかと思ったら急に怒り出すというようなことはあまりなかった。

集中力もあるほうだし、周りの空気を読み取る力もかなり鋭い。

だから風太を受け持った先生はたいてい「風太君は頭がいい」と言ってくれた。

けれど風太は、とにかく頑固であまのじゃく。

「やって」と頼むと絶対にやらないし、「止めて」というともっとやる。

頭の回転が早い分、風太の聞き分けの悪さはタチが悪い。

どうすれば周りの人が怒るのかをちゃんと心得て、それをわざとやるから余計に腹が立つ。

ノッコはひどい癇癪持ちだけれど、根は単純でやさしいので、逆に風太のような子の方が将来どんな大人になるのだろうと心配してしまうことがある。

それに風太は、「病気じゃないか?」と思うくらい落ち着きがない。

自分の好きなレゴやトランスフォーマーなどのおもちゃで遊んでいる時は、何時間でも集中して遊べるのに、ご飯を食べる時や好きなおもちゃがない時などは、とにかく一箇所にじっとしていることができない。

近くにあるものに触ってはそれらを壊してみたり、近くにいる人にちょっかいを出しては嫌がられたり、10分間の間に何度「座ってて」とか「じっとしてて」と言わないといけないことか。

そんな風太だから、スクールバスの中でも落ち着いて座っていることができず、すぐに周りのお友達にちょっかいを出してしまう。

風太の学校のスクールバスは、運転手から3回注意を受けると一週間バスに乗れなくなるというルールがある。

風太が最初の注意を受けたのは、風太がバスの床に落ちていた木の実を女の子に投げ、それがその子の髪に絡まってとれなくなってしまったから。

2回目は友達とバックパックで相撲のような遊びをしていたから。

バスで問題を起こすたびに風太と話をして、どうして風太の行動がいけなかったのかを話し合ったりした。

そして風太の友達と離れてドライバーの後ろに座るように、バスの先生にも伝えておいた。

それなのに!

もうすぐで冬休みというある日、風太はまた問題を起こしてしまった。

バスの中でお友達をパンチしたという。

どうしてそんなことをしたのかと風太に聞いてみると、「〇〇君が、バナナシェークとフルーツパンチとどっちがいい?と聞いてきたから“フルーツパンチ”と答えたらパンチしてきたんだ。だから僕もパンチ仕返した」と言っていた。

それはちょっと相手の子も悪いかなと思ったけれど、相手がパンチしたからといって風太もやり返して言い訳はなく、その点はきちんと風太にも言い聞かせた。

結局3回のストライクをくらった風太は「これで一週間バスに乗れません」と宣告されてしまった。

おかげで私たちは、風太を毎日運転して学校まで送っていくはめになってしまったのだった。

この話を友人たちに話すと、みんな口を揃えて

「男の子なんだから、それくらいいいんじゃない?」と笑った。

「男の子はそれくらい腕白なほうがいい」

実は私もジョンも心の奥底で、これと同じような気持ちがあった。

風太はまだ5歳だし、男の子同士だったら少しぐらい乱暴な遊びをしても仕方ないんじゃないか。

バスの運転手がちょっと厳しすぎるんじゃないか。

そんな風に思っていた時期があった。

けれどやはり風太が傷つけてしまったお子さんの気持ちや、その親御さんの気持ちを考えたら、風太の行動は許されるべきものではないし、私たちが密かに「これくらいいいんじゃないか」と思っている気持ちは、鋭い風太には必ず伝わっているはずだと思えたので、今回は敢えて厳しく臨むことにした。

風太がバスに乗れない一週間は、お夕飯のあとのデザートもなし。

バスに乗れないことよりもデザート抜きになったことの方がこたえたのか、これを聞いた風太は彼にしては珍しく泣き叫んでいた。

風太がバスに乗れなくなったことを機に、私は担任の先生にも相談してみることにした。

先生の話では、風太は怒って友達を傷つけたりすることはほとんどないということだった。

ただ友達を触るのが好きで、タックルをしたりプロレスをしたりしているうちに相手を泣かせてしまうらしい。

先生の言うことを聞かなかったり、お友達の嫌がることをするのも、どうやら自分に注意を引きたいゆえの行動らしいと先生は言っていた。

確かに家でも、私やジョンがノッコの宿題にかかりきりになったりすると、風太は「これでもか」というくらい邪魔をしにくる。

風太は、この歳の男の子らしくママが大好き。

いつも「ママあそぼー」と私のところに来るのに、ノッコの日本語の宿題が始まるとついつい「パパと遊んでて」とか「ちょっとあっちいってて」とか、いかにも風太を邪魔者扱いするような態度を露骨に見せてしまっていた。

それでちょっと寂しかったのかもしれないなー。

そう思った私は、風太と二人で過ごす時間を以前より少し多く持つように心がけた。

その時間は、「抱っこー」と言われれば抱っこし、「おんぶー」と言われればおんぶし、できるだけ風太に甘えさせてあげた。

それと同時に、風太がノッコを叩いたりしたら、以前より長いタイムアウトを与えたり、お友達を叩きたくなったらその手をぐっと胸の前で重ねる練習も風太に教えた。

学校の先生は先生で、学校専属の精神科医をクラスに呼んで、風太の様子を観察してもらうアレンジをすると約束してくれた。

風太は手持ちぶたさになるとお友達にちょっかいを出してしまうらしいので、口の中にいれて嚙めるネックレスを購入し、それを授業中に噛ませたりもしてみた。

そのおかげで新学期に入ってからは、風太の様子はだいぶよくなったようだった。

さっき先生から、

「今日風太くんは “あのね、他の子を叩きたくなったら、こうして手を胸のところでぐっとむすぶんだよ” とお友達に教えていましたよ。」というメールがきた。(スマイルの絵文字付き)

そのお友達は全然問題を起こさない 聞き分けのいい子なんだけれど、、。

でも風太が自分からよくなろうと努力しているようで、このメールは素直にうれしかった。

ノッコだけでなく、風太もこんなに手がかかる子だということは、きっと私たちの育て方に何か問題があるのだろうと思う。

でも「ダメな親」と落ち込んでるだけでは何もよくならないので、どうしたら事態はよくなるのか、子供達と話し合いながら少しずつ改善していきたいと思う。

きっと二人とも、将来は素敵な大人になってくれると信じながら。(そう信じたい!)



にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村

子供の癇癪を薬で治すことについて

みなさん こんにちは

大変ごぶさたしております。

そろそろお正月気分も抜けて、仕事や学校気分に切り替え始めた方も多いのではないでしょうか。

アメリカは年が明けてから学校が始まるのが早いので、ノッコも風太も今朝元気に学校に行きました。

3週間の戦争のような休暇が終わり、急に静かになった自宅で久しぶりにくつろいでいます。

私は毎年お正月になるとその一年の抱負を考えるのですが、なぜか3日もするとそれが何だったのか忘れてしまいます。そしてそのあとの362日その抱負を思い出すことはありません。

それにも懲りず、今年も一応今年の抱負なるものを考えてみました。

それは、「自分を追い詰めない」です。

子育てでも、仕事でも、趣味でも。

少しキツイなーと思ったら、一旦止めて休む。

ちょっとこれを心がけてみようと思っています。

そしてこの「自分を追い詰めない」という試みは、このブログにも適用していこうと思っています。

私は元々白黒はっきりさせないと嫌な性格なので、ブログを書くなら毎日書く。もしも毎日書けないなら書かない、というような決まりを自分自身に押し付けていた頃がありました。それがキツくなってからは、書く頻度がガタッと減り、最後には3ヶ月も放置しっぱなしという状態になってしまいました。

そしてそんなに間が空いてしまうと、今度はまた書き始めるのにすごく勇気が要り、更に書けないという悪循環に、、。

ですので無理して頻繁に書こうとせず、書ける時に書くというスタンスで、しかもいままでのように過去にあったことを丁寧に順を追って書いていくのではなく、その日書きたいと思った内容をサラッと書いていく感じでいこうと思っています。

そして自分を追い詰めないためにコメント欄も閉じさせていただこうと思っています。

私のブログには丁寧なコメントをくださる方が多く、私もそれに対して丁寧なお返事を書くのが好きでした。
けれど副業ができてからのスケジュールでは、以前のように何時間もかけてお返事を書くことができそうもありません。かといって、サラッとした短いお返事を書くことは性格上無理なので、いっそのことコメント欄を閉じてしまおうと思っています。

このブログにコメントを書くことを楽しみにしている方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありません。

ご理解いただけるとうれしいです。

と、前置きがかなり長くなりましたが、こんな感じでこれからもこのブログを細く長く続けていこうと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

それでは、今年初めの記事です。

といっても、実はこれは去年の9月頃にある方からいただいたコメントのお返事として書いたものだったのですが、あれからまた色々と思うことがありましたので、その返事に少し付け足した内容になっています。

トピックは、ノッコの癇癪を和らげるために薬を投与すべきかどうかです。

        ◇


去年の9月頃ノッコの癇癪が本当にひどい時期があって、私もジョンも毎日途方に暮れていた。

そんな時、これはもう薬に頼るしかないのかと二人で真剣に話し合ったことがあった。

私たち親の中には、子供の体の不調には何の抵抗もなく薬を与えることができるのに、精神科関係の問題となると薬を与えることには抵抗感を持ってしまう人が多いと思う。

その人それぞれに色々な理由があるのだろうけど、本当に子供本人のためを考えるなら薬を投与してあげたほうがいいのかもしれない。

実際子供に薬を与えるようになってから感情の起伏が和らいだり、集中力が伸びたという知り合いの例をいくつも聞いたことがある。

それでも私達がなかなか薬を使う決心がつかなかったのには、次のような理由があった。

1つは、ノッコが正式に発達障害や学習障害の診断を受けていないこと。

2つ目は、ノッコが学校では癇癪を起こさないこと。ノッコ本人は気づいていないかもしれないけれど、これは本人が本気でコントロールしようと思えば感情を抑えることができる証拠なのだと思う。

3つ目は、家でひどい癇癪を起こす時期が続いても、しばらくすると必ず落ち着いて普段のノッコに戻るから。

そして4つ目は、ノッコがまだ8歳だから。

特に4番目の理由は大きい。

ノッコはもう8歳だけれど、まだ8歳。

口も達者になったし、色んなことが自分でできるようになったけれど、それでも私たちにとってはやっぱりまだ子供だ。

特にノッコの脳の発達は、他の8歳児よりもかなり遅れているから。

ちょっと極端な例だけれど、例えば2−3歳の子供がレストランや道端で癇癪を起こしていても、だからと言って薬でその癇癪を治めようとする親はあまりいないと思う。それは2−3歳はまだ癇癪を起こしても仕方がないと考えるから。

でも8歳児のノッコのが癇癪を起こすと「ちょっと普通じゃない」と思われる。たいていの人は、子供が8歳にもなればもっと感情をコントロールしたり、物事を理解したりできるはずだと考えるから。

でも私たちが見る限り、ノッコの脳の発達は同い年の子供たちよりずっと遅く、彼女の精神年齢は普通の8歳児より2−3年遅れている(5−6歳児)感じではないかなと思われる。

でも人間の脳は複雑だから、彼女の脳の働き全てが8歳児に達していないという訳でもない。

ノッコの中で、友達を気遣う気持ち、物語の内容を理解する力、漢字を覚える能力などは普通の8歳児並みだと思われる。

でも感情をコントロールしたり、物事を分析したりする力は5歳の風太よりも劣っているように見える。

だから彼女の脳の発育の遅れが原因で癇癪を起こすのであれば、その部分の発達とともに癇癪も落ち着いていくのではないかなと思っている。

だって子供の成長のペースって、その子によって本当にさまざまなだもの。

赤ちゃんの中には11ヶ月で歩き出す子もいれば、一歳を過ぎても歩けない子もいる。
でも一歳過ぎても歩けないからといってその子に障害があると決めつけ、薬の力で歩かせようとする親はあまりいない。

たいていは「他の子よりちょっと発達がゆっくり気味なだけ。そのうち歩ける」と思う親御さんがほとんどなのではないだろうか。

2、3歩歩いては転ぶというのを繰り返すと、子供本人も痛いのとフラストレーションで泣くし、親もそれを見ていてつらくなるけど、それでもやっぱり私たちは子供が自分の力で歩けるように促す。

今の私とジョンはそんな感じなのだと思う。

世間一般にある「〇〇歳だから」という概念にできるだけ囚われず、もっと長いスパンでノッコの成長をみていけたらと思う。

今はただノッコを励まし、彼女に癇癪の乗り越え方を教えたり、見守ったりするだけで、あとは本人の力を信じてあげたいと思う。

1歳半で歩けない子供でも、足の筋肉が発達し、バランス感覚が身につき、手足をコントロールする能力が備わってくれば必ず歩けるようになる。

それと同じようにノッコも脳の発達と同時に癇癪を抑えられる日が必ず来ると信じたい。

私たちの薬を使わないというこの決断は、しなくていい苦労をノッコに与えているだけなのかもしれない。

ノッコを不幸にしてしまっているのかもしれない。

でも、今はやっぱりもう少し様子をみてみたいと思ってしまう。(最近はすごく落ち着いてるせいもあるけれど)

あと数年してもやはり状況が変わらないようであれば、その時は薬のオプションについて専門医に相談してみようと思っている。



にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村

明けまして おめでとうございます!

皆さま、

明けましておめでとうございます。

大変ごぶさたしておりますが、さわこ家は変わらず元気にやっております。

休暇に入って少しずつ時間はできてきたのですが、いまいち書くペースを取り戻せず記事を書くことができないでいます。(これをスランプと呼ぶのでしょうか?)

キンダーガーテンに入った風太が、いきなり送迎バス乗車禁止をくらったり、ノッコの勉強の遅れ&癇癪など、相変わらず書きたい話題は盛りだくさんなので、早く以前の「書く気」を取り戻せるようにがんばりたいと思います。

2018年が、皆さまにとってもよい年でありますように。

今年もよろしくお願いいたします。

さわこ


にほんブログ村 家族ブログ 養子縁組へ
にほんブログ村

sidetitleプロフィールsidetitle

さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitle管理者ページsidetitle
sidetitle広告sidetitle
sidetitleメールフォームsidetitle

名前:
メール:
件名:
本文:

sidetitle検索フォームsidetitle
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。