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一番辛いのは本人なんだよ

*これは前回のお話の続きです。


このブログを長く読んでくださってる方は、私がノッコの癇癪や勉強のことで悩んでいる時は、たいてい何か自分を振り返るきっかけが訪れ、それを機に気持ちが前向きになるというパターンをすでにご存知かもしれません。

今回もその例外ではなく、「どうしたらいいんだろう」と途方にくれていた私は、あることをきっかけに気持ちの切り替えをすることができました。

                  ◇

トッドと会って数日が過ぎたある日、職場まで車を運転しているとラジオから自閉症についての放送が流れてきた。

それはテレビや映画の中で自閉症者のイメージがどう作られているかという討論だった。

ダスティン フォフマンが演じた「レインマン」の中での自閉症者のイメージが強く、「自閉症者=天才」と思われてしまうことに困惑している自閉症者やその家族が番組内で紹介されていた。

そのラジオ番組は一般の人からの電話も受け付けていた。

何人かの人が電話で自分の意見を色々と述べたあと、自分自身が自閉症者であるという女性が電話をしてきた。

その人は自分の辛かった経験をしばらく話していた。

高校時代にいじめられたこと。

今の職場でもよく笑われること。

「だから、、、」

その人は涙をこらえるようにつぶやき、

「人と違っていることで一番苦しんでいるのは、親でも友人でもなく自閉症者本人なんです。」と言った。

そしてその言葉を発するのと同時に号泣し始めた。

その瞬間、彼女の言葉が運転している私の心臓を撃ち抜いたような気がした。

「人と違っていることで一番苦しんでいるのは、本人なんです。」

そう言った彼女の言葉が、ノッコ自身の口から溢れ出たもののような気がしたからだ。

彼女の涙ながらの訴えを聞いて、ノッコの苦しみに初めて気づいたような気がした。

ノッコは、自分が他の子とどこか違っていることにきっと気づいている。

そしてそのことにひどく傷ついている。

それなのに私は、

「早く感情をコントロールできるようになって!」

「お願いだから8歳らしい行動をして!」

「いい加減自分の頭で考えられるようになって!」

そんな言葉を一日に何度も何度もノッコに浴びせていた。

「お願いだから変わって!」

何度そう言ってノッコを叱ったことだろう。

ノッコはもうすでに変わろうと努力していたのに。

自分なりのペースで、本当に少しずつだけど変わろうとしていたのに。

それを認めようとせず、怒鳴ってばかりいた。

ノッコはわざと癇癪を起こしている訳ではない。

できればノッコだって癇癪なんて起こしたくない。

だけど、彼女の脳がそれを許さない。

その自己矛盾の中で彼女はずっと苦しんできたんだ。

ノッコが発狂して暴れまわる時、

その癇癪は、「助けて」の裏返しだった。

どうしてその事にずっと気づいてあげられなかったんだろう。

私はラジオを聴きながら、その場でノッコを抱きしめたい気持ちで一杯になった。

いつだって全力で何でも取り組もうとするノッコ。

自分なりにもがいて、もがいて、少しずつ変わろうと努力しているノッコ。

それなのに、、、。

そんなノッコを私はどうして嫌いだと思えたのだろう。

どうしてどこかへ行って欲しいなんて思えたのだろう。

私は車の中で、その自閉症の女性と一緒においおい泣いてしまった。


                  ◇


その時以来、私の中で何かが吹っ切れたように心が落ち着いてしまった。

そして自然に「もっとノッコにやさしくなろう」という気持ちが湧いてくるようになった。

ジョンにもその自閉症の女性の話をすると、彼もひどく反省したようだった。

それから私たちは、これからのノッコへの対応について何時間も話しあった。

ノッコが癇癪を起こしたら、絶対に怒鳴らないようにしようとか。

彼女が何を言いたいのかを一生懸命聞いてあげようとか。

二人でたくさん話しあって、

そして変わった。

              ◇

今でもノッコは相変わらず毎日ひどい癇癪を起こしているけれど、私たちは今までのように、

「お願いだから変わって!」

とただ彼女を突き放すのではなく、

代わりに、

「少しずつ治せるように一緒にがんばろう」

と寄り添う態度で接せられるようになった。


(どうしてノッコは他の子のように普通にできないんだろう、、)

私はいつもそんなことを思い、毎日悩んできたけれど、

周りの子と違って一番辛いのはノッコ自身。

そのことを忘れずに、今日もノッコの癇癪と向き合っていこうと思う。





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子供に「おまえを叩きたい」と言ってもいい

*これは昨日の記事の続きです。


ノッコの連日の癇癪に悩まされていた私とジョン。

そんなある日、ジムに行くと友人のトッドに会った。

「最近はどう?」などと言う挨拶を済ませたあと、トッドの息子さん(小4)の様子に話題が移った。

彼の息子さんにはADHDがあって、今薬を飲みながら学校に通っている。

一時期はかなり大変だったようだけれど、最近野球を始めてから友人が増えて、そのせいか性格が明るくなってきたそうだ。

そこで私も最近のノッコの癇癪について彼に相談してみた。

彼は私の話を聞いた後、

「懐かしいなー。JJ(息子さん)にもそんな頃があったよ。僕もアン(奥さん)も毎日ほんとうに疲れていたよ。」

と彼らの苦労話を教えてくれた。

JJはとにかく気分のムラが激しく、機嫌を損ねると怒鳴り散らしてから部屋にこもり何時間も出てこないこともあったそうだ。
学校の勉強は常に遅れ気味で、宿題をやる度に過激なバトルを繰り広げていたそう。

そんなJJがようやく落ち着いてきて、自分の子育てにも自信を持ち始めたトッドが私にこんなことを言った。

「さわこの話を聞いて僕が一つ気になるのは、さわこもジョンもノッコちゃんがもう8歳だから、それに見合う行動をすべきだと考えている点かな。ADHDはスペクトラルだから、彼らの発達のペースはそれぞれの子供によって全然違ってくるんだよ。他の子に比べたらそのペースは遅いかもしれないけれど、彼らは確実に成長しているのだから、「もう8歳なんだから」「もう2年生なんだから」と何度もノッコちゃんに言い続けるのは、彼女に余計なプレッシャーを与えることになると思うよ。」

確かに最近ノッコを叱る時、私とジョンは二言目には「もう8歳なんだから、いいかげんそれくらい判断できるようになって」とか「もう2年生なんだからプレスクールの子供みたいなことしないで」と言ってしまうことが多い。

8歳という年齢は私達にとってもノッコにとっても微妙な年齢で、何もできなかったただの子供から少しずつ責任を持ち始め、自立して何かできるようになる時期のような気がしていた。

だから私たちはノッコにもっと責任をもって行動をして欲しいと思っているし、ノッコはノッコでもっと自立した自由を楽しみたいと思っている。でもノッコの判断力はまだまだ幼稚すぎて安心して何かを任せられるほど成長していない。

そのギャップに私たちもノッコもフラストレーションを溜めていた。

その結果「8歳なのに、、、」という叱り方が多くなってしまっていたのだ。

ノッコを「8歳の型」にはめ込もうとしていたことは確かに良くないことだったと思うので、その点は改善しようと思った。

そして私はトッドに、

「私、最近ノッコが癇癪を起こすと、ノッコを思いっきり叩いてしまいたい衝動に駆られることがあるんだ。」と告白もした。

「アンもそう言ってたよ。自分がJJを叩いてしまいそうで怖いって。」

「あのアンが?」

「そうだよ。親なら誰でもそう思うことはあるんじゃないかな。だから僕は彼女に言ったんだ。僕はジェーン(お嬢さん)やJJに “お父さんは今ものすごく腹が立っている。あまりに腹が立ちすぎて君らを叩きたい衝動に駆られている。でもそれにじっと堪えているんだ”って言うよって。」

「本当?」

「そうだよ。親だって人間なんだから子供と同じように腹が立つし、暴力を振るいたくなることがあるよ。僕はそれを子供たちに伝えてもいいと思うんだ。そして拳を作ってそれをじっと我慢している姿を子供達にも見せてあげるんだよ。お父さんはどうやって怒りの感情をコントロールしてるのか。」

「そうかあ、、、。私たちがノッコに「頭にきすぎて叩きたくなる」と伝えると、彼女に「自分だけじゃない」というような連帯感を与えることができるかもしれないね。そしてそれでも必死に叩かないように我慢している自分たちの姿を見て、彼女なりに学んでくれるかも。」

「そうだよ。」

「ねえ、さわこ、僕はノッコちゃんがきっと少しずつ良くなっていくと思うよ。僕だってあの頃は今のような穏やかな生活が来るとは少しも思っていたなかったもの。そういう難しい時期は必ず過ぎていくから大丈夫。あと少しの辛抱だよ。がんばって。」

彼はそう言って私を励ましたあと、「じゃあ、ちょっと走ってくるね」と言って2階に消えていった。

この日こうしてトッドと話せたことは、後の私にとても役に立った。

自分が子育てに悩んでいる時、私を一番慰めてくれるのはやはり同じような悩みを抱えている友人達。

どんなに仲がよくても、子育てがうまくいっている友人に相談してもかえって落ち込んでしまうことがある。

例えば友人のマーナ家族。

一年間家族でローマに住んでいたマーナたちが数週間前に帰ってきたので、久しぶりに家族ぐるみで一緒に食事をした。

その時のテーブルでの話題はほとんどエマ(娘さん)のことだった。

エマがその一年でドイツ語とイタリア語を完璧にマスターしてしまったこと。

地元の歌のコンテストで優勝してスカウトされたこと。

学校でもお友達がたくさんできて、いつも先生に褒められていたこと。

そんな彼女の成功した話ばかりを聞かされて、私は何とも言えない孤独感を感じてしまった。

「エマについては何の心配もしていない!」と言い切るマーナに、今の自分の苦労は絶対に分からないだろうとひどく寂しい気持ちになってしまった。

だから私と同じような経験をしたトッドに、

「ノッコちゃんは、きっと今よりよくなっていくから大丈夫。」

そう言ってもらえたことがとても嬉しかったし、自分のこれからの心の支えともなった。


つづく


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もうどうしたらいいのか、、、。

*今日は日本滞在時のお話はお休みです。


ノッコがまた最近荒れている。

今南部を襲っているハリケーンのような勢いで、家中をかき回す。

汚い言葉で私やジョンを罵りながら、色々な物を投げつける。

ドアをバンバンと乱暴に開け閉めしたり、ゴミ箱を蹴っ飛ばしたり、

学校からもらったプリントをビリビリに破いて教科書を踏みつけたり。

その姿は、まるで狂った野獣がジャングルを駆け回っているよう。

自分の怒りをどうすることもできないノッコを、私たちが何をしても抑えることはできない。

ただ呆然とそんなノッコを見つめる私とジョン。

どうしてノッコの癇癪が多くなったのか、その原因はだいたい分かっている。

数週間前に特に癇癪がひどかったのは、新学期を前にして新しい先生、新しいクラス、新しい環境への不安をどうしたらいいのか自分でも分からなかったのだと思う。

登校日が近づくにつれて癇癪の頻度も度合いもひどくなり、新学期が始まってからは嘘のようになくなった。

先生やお友達と実際に会ってみて、今まで漠然としていた不安が一気に解消されたのだと思う。

それなのに最近またものすごく荒れているのは、2年生になって急に勉強が難しくなったからだと思う。

先週ぐらいから本格的に教科書の勉強に入り、宿題も増えてきた。

その内容を見ると、一年生の頃よりずっと複雑で難しい。

一年生を2回繰り返してようやく2年生に上がれたノッコだけれど、一年生を余分にやったから他の生徒より進んでいるかというとそういう訳でもなく、どちらかといったら一緒に2年生に上がったお友達(みんなノッコより1つ下)よりちょっと遅れている。

3+4=7という問題を指を使わないと解けないノッコに、2年生の算数はかなり難しい。

学校での「分からない」がノッコのイライラの原因になって、家に帰ると一気に爆発してしまうのだと思う。

だから宿題を手伝ってあげようとしても、落ち着いて机に向かうまでがもう大変。

ようやく座っても、すぐに「そんなの知ってる!」と何でも分かっているふりをするノッコは私の説明を全く聞こうとしない。

私もだんだんイライラしてきて「ママが説明してる時だけはちゃんと聞いて」と注意する。

するとノッコは「うわーっ」と叫び、癇癪が始まるというパターンが多い。

最近では癇癪を起こさずに宿題をやることは、もう不可能な感じになっている。

ノッコがこんな風に荒れている時、私はノッコのことを心から嫌いになる。

顔も見たくないし、声も聞きたくない。

どこかに行って欲しいとさえ思ってしまう。

ノッコがいなくなってくれたら、毎日の生活がどれくらい穏やかで快適なものになるか。

みんなが笑いあえる、楽しい時間がもっと増えるのに。

そんなことばかりを考えてしまう。

最近のノッコの癇癪にはさすがのジョンもホトホト手を焼いているようで、子供達が寝た後二人でどうしたものかとよく話しをする。

「もう薬の力に頼るしかないのかなぁー」と私。

「うーん、そうかもしれないね。」

「でも、癇癪がないときは本当にいい子なんだけどねぇ。」

「うん、僕もできればまだ薬に頼りたくないんだ。」

「ノッコの癇癪はもう痙れんのようなものだと思って、ただ通り過ぎるのを待つしかないのかもね。」

「そうだね。痙れんだったらいつ襲ってきても仕方がないと思えるもんね。ノッコがコントロールできるものではないことも理解できるし。」

「宿題はさ、毎週一回家庭教師をつけるっていうのはどう? 他人が見てくれた方がノッコもあんなに怒らずに済むんじゃない? 友達に息子さんのために算数の家庭教師をつけてる人がいるんだ。ちょっと聞いてみるね。」

そう言って私は早速次の日、友人にメールしてみた。

彼女の話ではその家庭教師は小学校の算数の先生で、教え方も子供の扱い方も上手なので、息子さんはすごく伸びたと言っていた。

けれどその人は40分で5000円チャージするらしい。

彼女の家はすごくお金持ちなので、それくらいの費用は大したことないのかもしれないけれど、我が家にとってはかなり厳しい金額。

「その辺の大学生に頼めばもっと安いんじゃない?」

そう言ってくれる友人もいたけれど、その辺の大学生じゃノッコの相手はできないと思った。

今大学生にノッコのピアノのレッスンを頼んでいるけれど、彼はかなりノッコに手を焼いている。

レッスンの途中でノッコが怒り出しピアノをバンバン叩いてしまうからだ。

そのうち「もうノッコちゃんには教えられません」と言われてしまうのだろうと思いながら、騙し騙し続けている感じだった。

「小学生2年生の算数なら私やジョンで教えられるんだから、本当は家庭教師を雇う必要はないんだよね。家庭教師はもっと算数が難しくなってから雇うことにしようか。」

「うん、そうだね。」

結局私とジョンで引き続きノッコの宿題を見ることにし、毎日バトルを繰り返しながらもなんとか宿題を終わらせていた。


つづく





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父の車を傷つけて、、

* これは前回の記事のつづきです。

狭い道で前から来た車をよけようとして何かに車をぶつけてしまった私。

どうやってこの事を両親に報告しようかと、家までの運転中そのことばかりを考えていた。

家に着いて車を停めた私は、降りてからまたさっきのへこみと傷を確認した。

そして深いため息をついた。

「ただいまー。」

そう言って家に入ってから、

「お父さん、お母さん、ごめんなさい!」

とちょっと大袈裟なくらいに頭を下げた。

「どうしたの?」

母はそう聞きながら、これから私が何を言おうとしているのかを察しているような感じだった。

「車ぶつけちゃった。」

「えっー!」

母が驚いた声をだした。

「だって雨が降ってたし、道は狭いし、それなのに前からすごいスピードで車が走ってきたから絶対にぶつかると思ってハンドルを左に切っちゃったんだよ。そしたら何かにゴンってぶつかって。でも草がいっぱい生えててそんなもの見えなかったし。」

私はまるで小さい子供のように早口で言い訳をした。

そして

「とにかく外に出て傷をみてくれる?」

そう言って両親を外に連れ出した。

外に出て車のへこみと傷を見た父は、

「ありゃー、こりゃー派手にやったなー」と一言いった。

「ごめんね お父さん。これじゃ修理に出さなきゃダメだよね。」

「いいよ、いいよ、お父さんがホンダの飯島さんのところに持って行ってみるから。」

「今から行ける?」

「これは板金だから結構かかっちゃうかもね。」

母が横からつぶやいた。

「大丈夫だ、きっと保険でやってくれるから心配すんな。」

「ごめんね。」

私は本当に申し訳なくて、父の顔をまともに見れなかった。

あんまりしょんぼりしている私に 父は、

「きっと一度か二度はぶつけるだろうと思ってたよ。物なんて何でも壊れるようにできてるんだから、心配すんな。」

と、まるで悟りを開いた禅僧のようなセリフを吐いた。

私にはその時の父が神様に見えた。


                   ◇

この後のエピソードにも度々登場する父は、私たちの滞在中本当にすばらしい存在だった。

風太が中耳炎を起こして夜中に父を叩き起こした時も、嫌な顔ひとつせずすぐに起きて救急病院まで連れていってくれたし、次の日に耳鼻科を訪ねた時もずっと私たちと一緒にいてくれた。

私が仕事で東京に行き帰りが遅くなった時も、いつもは8時ごろ寝てしまう父がお酒も飲まず私の帰りを待っていてくれた。
そして私が駅から電話すると 「あいよ」と言って、10時ごろ車で駅まで迎えに来てくれた。

ノッコと風太がどんなに騒いでも、どんなにわがままを言っても、どんなに迷惑をかけても絶対に怒ったり批判したりしなかった父。

慣れない環境でストレスを溜めていた私に、そんな父の存在がどれくらい心の支えになったことか。

けれどそんな父は、昔からこんなに人間ができていた訳ではなかった。

私たちが小さい頃は、所謂「酒乱&DV男」で、お酒を飲むたびに母に暴力を振るっていた。

大きな怒鳴り声をあげては母を叩いたり、髪をひっぱったりしていた。

一度はあまりに母の悲鳴が凄まじいので、近所の人が父を止めにきたほどだった。

私はいつも叩かれている母が可哀想で仕方がなかった。

だから自分はいい子になって、母を喜ばせようと一生懸命だった。

父は競馬にもはまっていたし、浮気も何度かしたことがあった。

だから私は物心ついた頃から、毎日母の愚痴を聞きながら育った。

自分が今大人になって振り返ってみても、やっぱり父は最低な夫だったと思う。

けれど不思議なことに私も姉達も父が嫌いではなかった。

いつもガミガミうるさい母に比べて、父はおおらかで私たちにとてもやさしかった。

私の友達が遊びに来ると、くだらない冗談を言ってはみんなを笑わせていた父。

「さわちゃんのお父さんて おもしろーい」と笑う友達を見て、そんな父がちょっと自慢だったりした。

けれど私達が成長するにつれて、年頃の娘達とどう接したらいいのか分からなくなってしまった父は、私たちと話すことがだんだんなくなっていった。

そして次第に私たちの距離は広がっていき、家庭の中で父はいてもいなくてもどちらでもいいような存在になっていった。

そんな父と私の関係が変わり始めたのは、私が子供達を連れて帰国するようになってからだった。

4年前の帰国の時は、認知症気味の叔母がノッコの批判をするたびに「だまってろ!」と叱りつけてくれたり、癇癪を起こして暴れるノッコに「環境が変わったから不安で仕方がないんだろ」と理解を示してくれたのも父だけだった。

今回の帰国でも、嫌な顔をせずどこにでも車で連れて行ってくれたり、子供達と一緒に公園に遊びに行ってくれたり、私がスーパーで買い物をしている間に子供達を見ていてくれたり、父はとってもやさしかった。

だから子供達もおじいちゃんが大好きで、いつもべったり甘えて離れなかったほど。

父と多くの時間を過ごして話をしているうちに、今まで知らなかった父の意外な面を知ったりもした。

父は若いころ歌がとても上手で、プロにならないかとスカウトされたことがあったとか。野球が得意だったとか。

私は、私や子供達を理解し深い愛情を注いでくれる父が好きになっていった。

それと同時にちょっと困ったような気持ちも抱えていた。

どう説明したらいいのか分からないけれど、私の中に父をあまり好きになりたくないような矛盾した気持ちも存在していたのだった。

確かに父の私に対する愛情のようなものは常に感じていた。

でも小さいころに見た暴力を振るう父のイメージはしっかり私の中に焼き付いていたし、母を苦しめた父を今でも許すことはできなかった。

それに何十年も私に関わってこようとしなった父は、いつも何を考えているのかがよく分からなかった。

だから父にとって私の生活なんてどうでもいいことなのだろうと思っていたし、私も父に対して特別な感情を持ち合わせることはなかった。

そしてアメリカに移住してしまった今、父をそんな存在にしておくことは私にとってある意味楽なことでもあった。

離れていても全然さびしくなかったし、父に何かを期待する必要も全くなかった。

とにかく元気で生活してくれていればそれでいいと思っていた。

それが今回の帰国で、私の持っていた父のイメージが大きく変わってしまった。

常に私たちの失敗や間違いを許し、私の気持ちを察してやさしい言葉をかけてくれる父。

小さい頃から私の中にあった父への怒りは行き場を失い、今の感謝の気持ちとごっちゃになって、私は父に対してどういう感情を持ったらいいのか分からなくなってしまった。

                       ◇

ホンダの飯島さんのところに傷ついたクルマを持って行った父が、しばらくして帰ってきた。

「大丈夫だ。保険で全部やってくれるっていうから。」

「ああ、よかったぁ」

母がホッと胸をなでおろして言った。

「お父さんがぶつけたことにしておいたから、さわこは飯島さんと話さなくていい。」

「えっ?」

私は驚いてしまった。

だって父は初めて免許証を取ってからこの60年近く一度も事故や違反を起こしたことがなく、それを地元の警察に表彰されたことをいつも自慢にしていたから。

自分は運転が上手だといつも自負していた父は、中古車を購入した際ホンダの飯島さんに高齢のことを言われた時も、「大丈夫」と言い切っていたそうだ。

そんな父がプライドを捨てて、事故を自分のせいにしてくれるとは思いもよらなかった。

「お父さん、今までずっと無事故で来たのに、、」

「いいんだよ、そんなことは。」

そう言って笑った父に、

昔の怖かった面影は少しもみつからなかった。



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あ〜、やってしまった!(2)

皆さん、シリーズの途中なのに更新が遅れてすみません。

それでは、前回のお話の続きです。


モールを出ると雨が降っていたので、なんとなーく嫌な予感がしてしまった私。

アメリカでも雨の日に運転するのはあまり好きじゃない。

ひどい夕立の中 高速を走っている最中に、急に運転席側のワイパーが吹っ飛んで突然前が何も見えなくなったという怖い経験もあるので、雨の日は人一倍ナーバスになってしまう。

それでも「どうせ一本道で車もほとんど通らない経路だから大丈夫」と自分に言い聞かせ、ハンドルを握った。

最初は本当に問題はなかった。

多少視界は悪かったけれど、一本道を私の車だけが走行している状態だったので、ゆっくり慎重に走ることができた。

けれどある十字路を過ぎると、私の後ろに一台の乗用車がつづいた。

その人は急いでいるのか、私の後ろにぴったりと付いてまるで「おっせーなー」と言っているかのような感じだった。

申し訳ないなと思いながらも、それでも時速制限通りに走っていたし、自分の安全の方が大切なので、私は少しスピードを上げただけでそのまま走り続けた。

狭い道で追い越しもできないその人は更にイライラしたようで、私の後ろをバンバーぎりぎりぐらいにぴったり付いて走っていた。

このまま何かの拍子に私が急ブレーキをかけたら絶対玉突きになるなと思った。

そんな時、100メートルくらい前からこちらに向かって走ってくる車が見えた。

この道の狭さだとぎりぎりすれ違えるかどうかだと言うのに、その車はかなりのスピードでこちらに向かってきた。

それを見た私は怖くなって更にスピードを落とした。

すると痺れを切らしたのか、「プップッー」と後ろの車がクラクションを鳴らした。

その音にビックリしたのと、前の車と絶対にぶるかると思った私は、前から来る車とすれ違う瞬間にハンドルを少し左に切った。

その時

「ゴン!」という大きな音がした。

そして私の車はバウンスをして少し右に逸れた。

そしてそのまま走行し続けた。

(えっ! 何?  何? 今の何?)

私は一瞬何が起こったのか分からず、かなり混乱してしまった。

だって道路の左側は草ぼうぼうの更地で、何もぶつかるような物はないはずだったからだった。

私はよっぽど車を止めて車に傷がついたかどうか確かめたかったけれど、後ろの車が相変わらず私の後ろにぴったりついて走っていたので、すぐに止まることができなかった。

バックミラー越しに後ろの人を見ると、「バッカじゃん」というようにニタニタしていた。

全然知らない人だけど、なんか性格の悪い人だなと思った。

ようやく一本道を抜け大きな通りに出た途端、後ろの車は「ブオーッ」といって私の車を追い越して行った。

私はすかさず近くのコンビニに車を停め、車の傷を確認することにした。

(どうか、傷がついていませんように!)

(例え傷がついていても、あまり大きな傷でありませんように!)

そう祈りながら、車を降りて車体の左側を見てみると、、、

ああーーーーー!

もうダメだ、、、。

ドアにボコッと大きなへこみができ、車体の前方からバンバーまでも大きなすり傷が何本もついていた。

ああ、、、どうしよう、、、。

これは両親が数ヶ月前に、中古だけど購入したばかりの車だったのに、、。

絶対に怒られる、、、。

私は両親に怒られることも心配だったけれど、それ以上にこの修理にどれくらいかかるだろうという費用のことも心配していた。

ああ、どうしよう、、、。


私は降りしきる雨よりも重い気持ちで、ドアのへこんだ車を無理やり家まで運転していった。


つづく




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あ〜、やってしまった!

* これは今年の六月に日本に帰った時のお話です。


私の実家は非常に辺鄙なところにある。

家の窓を開けると目の前に広がるのは畑ばかり。

唯一あるコンビニまでも歩いて15分ぐらいかかるし、一番近いスーパーまでも車でないと行けない。

こんな不便な所なので、4年前に帰国した際は自分が日本で車を運転できないことをひどく後悔した。

車がないと自分で好きな時に買い物に行けないし、子供達を公園に連れて行くこともできない。

結局父に車で送ってもらうことが多かったのだけれど、父は公園に行ってもモールに行っても車の中で待っているタイプなので、待っている父に申し訳なくてすぐに用を済ませて出てきてしまうことが多く、少しも楽しめない感じだった。

なので今回の帰国では絶対に車の運転をしようと決めていた。

アメリカで国際免許証も取り、保険についてもしっかり調べた。

幸い父の加入している保険に少しお金を足せば私も加入させてもらえることになったので、その手続きをアメリカにいる間に済ませ、運転する準備を万端にした。

けれど実際日本に帰ってみると、妙にビビってしまった私は中々ハンドルを握ることができなかった。

だって最後に日本で運転したのは確か15年くらい前。

すっかり左ハンドル、右側通行に慣れてしまっていた私には、いきなり日本で運転する勇気がすぐに湧いてこなかった。

なのでしばらくは慣れるまでは父の横に乗って道を覚えるようにしていた。

そして一週間が過ぎた頃、「じゃあ、私がんばってスーパーまで行ってみるから」。

そう言って初めてスーパーまで一人で行ってみることにした。

他人の車を運転するのはそれだけで結構緊張するもの。

車体の幅の感覚を掴むのが特に大変。

しかもワイパーとウィンカーをすぐに間違えてしまい、道を曲がるたびに「ウィーン」とワイパーを作動させてしまった。

けれど無事にスーパーに着き、初めて一人で買い物をゆっくり楽しみ、また無事に家に帰り着いた。

それですっかり日本での運転に自信をつけた私は、雨の日に子供達を学校まで車で送って行ったり、学校帰りに公園に連れて行ったり、一人でスーパーに買い物に行ったりできるようになった。

子供達の学校が始まって二週間ぐらいは、先生から「これを用意してください」と言われるものが毎日あったので、父にお願いしなくても自分でささっと100円ショップにそれを買いにいけるのはとても便利だった。

そんなある日、いつものように子供達を学校に送って行った後、私は初めてちょっと離れたモールまで一人で運転していこうと思った。

その日は以前からずっとノッコに「お友達みたいに扉が開く筆箱が欲しい」と言われていた筆箱を、誕生日のプレゼントの一つとして買いに行こうと思っていたのだ。

そのモールまでは父の運転で何度か行ったことがあるので、なんとなく行き方は分かっていた。

迷ったらスマホのディレクションを頼りに行けばいいやと思っていた。

すると母がすごく分かりやすい裏道があるので、それを使って行けばいいと言い出した。

「地元の人しか知らないから絶対混んでないし、とにかく簡単だからそっちを使って行きなさい。」

そう言って母が描いてくれた地図を見ると、確かにずっと一本道で分かりやすい。

しかもそこはSUVやミニバンなどの大型の車は通行禁止の道で、ほとんど使う人がいないという。

「分かった。じゃあ、今回はこっちの道で行ってみるよ。」

そう言って、私は車に乗り込んだ。

実際その道は母が言うようにとても分かりやすかった。

ただ小型車専用の道なので、とにかく狭かった。

アメリカの道路はたいていとても広いので、その広さに慣れてしまった私にはその道の広さは一台がやっと通れる位のように感じた。

幸いその道を走っている間すれ違う車が一台もなかったので、ビクビク運転ながらも無事にモールに着くことができた。

そして比較的すぐにノッコと風太が欲しがっていた筆箱をみつけて買うことができた。

初めてモールへ一人で来れたことがうれしくて、私はしばらくウィンドーショッピングを楽しんだ。

そしてさてそろそろ帰ろうかなと思って外に出ると、意外にも雨が降っていた。

「なんだぁ、雨か」

上からポツポツと振り落ちる雨を手のひらに感じながら、私は訳もなくイヤーな不安に襲われたのだった。

つづく



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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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