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更新が遅れています

いつも「ほっぺ と ほっぺ」をご訪問いただきありがとうございます。

今仕事に追われて、だいぶ更新が遅れています。

全然更新できていないにもかかわらず、変わらないサポートをしてくださる皆さまに心から感謝しております。

来週には仕事の方も落ち着くと思いますので、ノッコのカウンセラーと会った時のことなども含めて少しずつ記事を書いていきたいと思います。

我が家は全員花粉にやられていますが、みなさまもどうかご自愛ください。

さわこ

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育てにくい子でラッキー!?

先日ADHDのお子さんを育てていらっしゃるお母さんのインタビューを見た。

そのお母さんはとても前向きな方で、息子さんがどんな問題を起こしても「子供の特徴」として捉えていると言っていた。

インタビューをしている人が、「ADHDのお子さんを育てている上で、何か特に苦労なさっていることはありませんか?」と聞いても、

「そんなのありませんよー。ADHDは彼の特徴であって、他の子となんら変わりはありませんから。私は、今日は彼がどんなことをしでかしてくれるのか考えるだけで、いつもワクワクしちゃうんです。彼は本当に毎日私を驚かせたり笑わせてくれますから。」と答えていた。

私はそんな彼女を「すごいなー」と思う反面、彼女の返事に少し違和感を感ぜずにもいられなかった。

インタビュアーの「ADHDの子供を育てるのは大変」という先入観も確かに良くないかもしれないけれど、それを否定したいばかりにそのお母さんもちょっと無理をしすぎているように感じたからだ。

そしてそのお母さんは最後に、

「息子が次はどんな行動で私をビックリさせてくれるのか毎日ワクワクできるので、息子にADHDがあってラッキーだったなと思うんですよー。」と締めくくっていた。

そのインタビューを見た後、まるでそのお母さんの後ろに薔薇のバックグラウンドが見えるほど、彼女は本当にキラキラとポジティブな人だった。

すごい人だなーと思った。

私はとてもじゃないけどこうはなれない。

そう思う一方で、このお母さんは本当に心からそう思っているのかなと懐疑心が湧いてしまったのも事実だった。

だって私は、ノッコの脳の働きが他の子達と違ってラッキーだったと思ったことは一度もないから。

もっと育てやすい子だったらどんなにいいだろうと、毎日思いながら生活しているから。

ノッコが癇癪持ちであることに対して一番嫌だなと思うのは、ノッコの行動自体でなくノッコが癇癪を起こした時に怒鳴りつけてしまう自分だった。

ノッコに反省させたいあまりに、私は自分でも信じられないくらいいじわるになって、「癇癪が治らないと友達が誰もいなくなるよ」などノッコの全人格を否定するような、ノッコを更に追い詰めるような、そんな事を言ってしまう。

そんな自分が一番嫌だった。

ノッコがもっと育てやすい子だったら、私もこんなにいじわるな人間にならずにすむのに。

もっと毎日の生活が楽しいものになるのに。

そう思うことがよくあった。

けれど、ノッコがこんなに育てにくい子だからこそ学べたということもたくさんあった。

私自身の忍耐力や許容力が、ノッコが生まれる前より10倍は増えたような気がする。

人を理解する力、同じような苦労をしているお母さんを労わる気持ちもずっと強くなった。

そしてそれらの変化は、私の仕事や友人との付き合いの中でもとても役立っている。

だから上記のお母さんが「息子にADHDがあってラッキー」と言ったのも、もしかしたらそういう意味があったのかもしれない。

その息子さんのおかげで自分が成長できてよかったと。

                             ◇

そしてノッコの脳の働きが他の子と違うことで、ノッコ自身にとってもよかったなと思うことがある。

それはまだこんなに小さいノッコに「挫折」の辛さを何度も味あわせてくれたこと。

世の中には親が子供に教えなければいけない道徳やスキルはたくさんある。

けれどそれらのほとんどは「子供が失敗しないように」「子供が成功するように」というゴールを念頭においてデザインされているような気がする。

私はよくドラッグ中毒者や引きこもりの人たちのドキュメンタリーを観るのだけれど、それらの問題を抱えた若者の中には小さい頃からいじめられた経験がある人より、小さい頃から何でもできる完璧主義の若者の方が多い。

そんなドキュメンタリーを観ていると、子育ての上で一番大切なことは勉強やスポーツを伸ばしてあげたり、友人関係のスキルを教えてあげることより「打たれ強い性格」を作ることではないかと思うようになった。

勉強、スポーツ、人間関係で失敗した時、自分自身に失望したとき、なりたい自分になれない時、そんな自分とどう向きあうか、どうやってその落ち込みから抜け出すか。

そのやり方を小さい頃から身につけている子は、例え人生が思ったように進まなくても、その都度修正しながら前に進んでいけるのだと思う。

けれどそのやり方を学んでこなかった子は、そこで崩れてしまう。

うまくできない自分を許せず、周りの人を責め、なんとかして「以前のなんでもできた自分」に戻ろうとする。

そう。

そこで前に進まずに、戻ろうとしてしまうのだ。

すると上手に軌道修正することができず、無駄にもがき、最後には投げやりになって落ちていく。

でも今のノッコは、7歳にして「これでもか」というほどの挫折を経験している。

できることよりできない事の方が多いノッコは、そんな「できない自分」を認め、一生懸命そんな自分と向き合おうとしている。

一年生を2回繰り返したことは、確かにノッコの自信を彼女から奪ってしまったのかもしれない。

けれど学校で周りの子にからかわれても、それを上手にかわす術をノッコは自分なりに見つけたし、今度こそ2年生に上がれるようにこの一年本当にがんばった。

器械体操で上のレベルに上がれなかったノッコは、気持ちを切り替えて今テニスと水泳ですごくがんばっている。

「これがダメならこうすればいい」

そういう態度が自然に身につき、自分なりに上手に軌道修正している。

自分に失望して落ち込んでるだけでは何も変わらないということをこの歳ですでに学んでいるのだと思う。

もちろん彼女のうまくいかないことへのストレスは、癇癪という良くない形で現れてしまっているけれど、でもこの爆発がまだ小さいうちに起こってよかったとも思う。

思春期になって初めて出てしまったら、警察の手を借りなくては解決しなくなっていたかもしれないから。

そして色んなことができないノッコは、自分を過大評価せず、自分の能力に対していつも客観的で謙虚でもある。

ノッコは最近口癖のように「I am so stupid(私はバカだから)」と言う。

その言葉を聞くととても悲しくなってしまうけれど、彼女は「今自分は低いところにいるから、これから這い上がるのみなんだ」ということをなんとなく理解しているようなので、私もそこを強調して話をするようにしている。

不器用な子だからこそ、他の子より劣る点が多いからこそ、ノッコはそんな自分としっかり向き合える強さをこの歳で少しずつ身につけているのだと思う。

そう考えると、今のこの辛い試練も何かに繋がっているのかなと前向きに思えるのだった。

ノッコが育てにくい子でラッキー。

毎日疲れきっている今の私には、正直言ってそう思うことはまだできないけれど、いつかノッコが成長した時に過去を振り返ってそう思えたらいいなと思う。


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どれだけ愛せば分かってくれるのだろう

ノッコがまた最近荒れている。

毎日同じことを話して聞かせ、その度に「もう暴れたりしない」と約束するのに、次の日にはまた同じようなことで癇癪を起こし暴れ出す。

来る日も来る日もそんなことの繰り返し。

おとといは発狂したように私たちを罵り、物を投げつけ、ドアを蹴ったので、ドアにへこみが二つできてしまった。

これは一種の家庭内暴力だと思う。

(昨日あれだけ反省したんだから、今日はさすがに癇癪を起こすことはないだろう)という私の予想に反し、今日も全く同じように怒り出すノッコを見ていると、

「これはもう彼女自身にもコントロールできない問題なんだろうな」と思う。

どんなに私たちが言って聞かせても、どんなに彼女自身ががんばってなおそうと思っても、もうなおらないもの。

彼女の意思が彼女を狂わせるのではなく、彼女の脳の働きがもうそうなっているために、ノッコ自身がどんなにコントロールしようとしてもできない。

それはある意味、痙攣のようなものなのかもと思うようになった。

痙攣は自分の意思と関係なくいつでもどこでも起こりうる。

そしてそれは本人がコントロールできるものではない。

それを周りの人も知っているから、痙攣を起こした人を責めたりしないし、科学的な方法でそれを治そうとする。

けれど癇癪はどんな子供でも起こすものだし、成長するにしたがっておさまっていくものなので、それがいつまでも続く子供は「甘えているだけ」と見られてしまう。

そして「いい加減にしなさい」と責められる。

ノッコには医学書に載っているような、はっきりとした障害はないのかもしれない。

でも他の子とどこか違っているのは確かな事実だと思う。

それはノッコの行動の色々なところから読み取ることができる。

例えば愛着障害。

ノッコは愛着障害のせいなのか、常に口の中に何かを入れていないと安心できないところがある。それはボトルウォーターのキャプだったり、ぬいぐるみの足だったり、ブランケットのはじっこだったり。その日によって色々だけれど、まるで赤ちゃんのようにいつも何かを口に入れていないと落ち着かないようだった。

そして人との距離の取り方も下手だった。

幸い同い年ぐらいの友達はたくさんいて、友人を作るのは問題ないようだった。

でも大人の人に会うと、急におチャラけ星人になってその人が嫌がるようなことをしつこくやる。

そして「この人はこんな私を受け止めてくれるか」をテストするのだ。

例えば習い事のレッスン中にふざけたり、先生をからかったり、わざと間違えたり。

先生がイライラするようなことをわざと何度もやって先生を試す。

先生はみんな大人なのでそんなノッコにも我慢強くつきあってくれるけれど、きっと内心ではノッコのことを嫌っているのだろうなとよく思う。

そしてそれを鋭く感じ取っているノッコは、さらに先生の前でおチャラケていくのだった。

それと同じようにノッコは何かあるごとに私やジョンの愛情を確かめようとする癖がある。

それは「終わることのない要求」によく表れている。

朝起きてから夜寝るまで、ノッコは絶えず私たちに「これやっていい?」「これ食べていい?」と聞いてくる。

「ママ、朝ごはんにキャンディー食べていい?」

「ミルクの代わりにジュース飲んでいい?」

「晩ご飯食べたらまビデオ見ていい?」

「ビデオがダメなら、ゲームは?」

よく次から次へと頼み事が思い浮かぶなと思うくらい朝から晩まで「いい? いい?」と聞いている。

そしてそのお願いの大半が許可できないことなので、私もジョンも「ダメだよ」と言う。

いちいち「ダメ」という私たちも、何度も「ダメ」と言われるノッコもストレスがたまってくるし、最初からダメって言われるのが分かっているんだから訊かなきゃいいのにと思う。

それでもノッコは訊かずにいられない。

そして「ダメ」の返事を聞くと、

「ママはノッコが嫌いなんだ。」と始まる。

「そんなことないよ。大好きだよ。でも朝からキャンディはやっぱりダメだよ。」と答えても、

「ママはノッコなんていなくなっちゃえばいいと思ってるんでしょ。」

としつこく聞いてくる。

何度否定しても納得しないので、最後には

「ほらもういいから、寝なさい。」

となる。

すると「やっぱりー! ママはノッコが嫌いなんだー!」と大泣きが始まる。

ノッコはそんな自分の態度が人に嫌われると分かっているから、それでも私がノッコを嫌いにならないことを確かめたくてしつこく聞いてくるのだろうと思う。

でも私も疲れている時などは、いちいちそれに付き合っている余裕がない。

そういう時は「ママはノッコが嫌いなんだ」という言葉にも、あえて返事をしない。

するとノッコは、この世の終わりのような顔をしてそのまま泣きながら眠ってしまう。

そのあと私は罪悪感に押しつぶされながら(なんで”大好き”って言ってあげられなかったんだろう)と落ち込むのだった。



ノッコの愛情試しに、「常にどこかが痛い」というものある。

「ママ〜、足が痛い」

「ママ〜、なんか吐きそう」

「ママ〜、熱があるかもしれない」

「ママ見て、ちょっと切れてるー!バンドエードしないと死んじゃうー!」

その訴え方がまた大げさで、いかにも「心配して!」という雰囲気ムンムンなので、つい私も「はい、はい、痛いのね」と軽くあしらってしまう。

本当はノッコが怪我した時、私が労わることでノッコに「人にやさしくすること」の見本を示すべきなんだろうと頭では分かっているんだけど、行動がどうしてもついていかない。なぜなら全然心配していないから。

1日に何度も何度も「痛〜い」だの「吐きそう」だの言われると、どれが本当なのか分からなくなって、もうどうでもよくなってしまう。

その点ジョンはいつもノッコが痛いと言っているところにキスをしてあげたり、おでこを触って熱を測ったりしてあげて本当にやさしいなと思う。

私はまだまだ心が狭く、人間ができていない。

ノッコの全てを受け入れブランケットのように包んであげることができない。

今が自分の精一杯。

これが私の限界。

ノッコはいつになったら自分が愛されていることを理解してくれるんだろう。

そんなに必死になって私たちの愛情を確かめたり、他人の顔色を伺わなくてもノッコはもう十分に愛されてる。

一体いつになったらそのことに気づいてくれるのだろう。

私たちはこれ以上何をすれば、あなたを納得させることができるのだろう。

ママはもうよく分からなくなっちゃった。

                           ◇


おとといノッコがいつもよりひどい癇癪を起こした後、私はまたノッコと話し合った。

その中でノッコの罵倒がどれくらい私やジョンの気持ちを傷つけるかを伝えた。

「ノッコちゃん、一度口から出た言葉はもう取り消すことはできないんだよ。ノッコちゃんが本気でママを嫌いじゃないことは分かってる。でもノッコちゃんが吐いたそういう言葉は私の胸の中にずっと残るの。そしていつまでもママの心を傷つけるんだよ。」

私がそう言うと、ノッコは泣きながら

「I hate myself !」と何度も言った。

「ノッコちゃん、ノッコちゃんは自分を変えたいと思ってる?」

「うん。」

「ノッコちゃんの癇癪はね、自分が変えたいと思わないと誰にも変えてあげることはできないんだ。ママ達が変えてあげられるならそうしてあげたいけど、できないの。ノッコちゃん自身が自分の感情をコントロールできるようになりたいと思わないと、何も変わることはできないの。」

「、、、、、。」

「ノッコちゃん、もしも誰かがノッコちゃんが感情のコントロールをできるように手伝ってくれるって言ったら、その人に会ってみたい?」

「うん。」

「そう。 じゃあ、ママその人に連絡してみるよ。そしたらママとパパと一緒にその人に会いに行ってみる?」

「うん。」

「でも約束して。その人に会ったら、その人の言うことをちゃんと聞いて、その人が“やってください”って言うことはちゃんとやるって。」

「うん。」

「ノッコちゃんはとってもいい子なんだよ。やさしいし、明るいし、お友達もたくさんいるし。ママもパパもノッコちゃんが大好きなの。ただ、この癇癪の問題は早く解決しないといけないね。ノッコちゃんもママもパパも風太も、みんなが傷ついちゃうから。」

「うん。」

「ママ?」

「ん?」

「ママが大好き」

「ママもノッコちゃんが大好きだよ。ほら、もう遅いから寝よう。」

「うん。」


そうして次の日私は、早速以前学校が薦めてくれた精神科医に連絡をとった。

専門家に相談することにしたのは、ノッコのためというより、ノッコが癇癪を起こした時に私たちはどうするべきなのか、どういう心持ちでノッコに接していけばいいのかなどのアドバイスを受けたいと考えたから。

私たちのために専門医に会おうと思った。




ノッコはノッコなりに出口を探して一生懸命もがいている。

それが分かるから、

だから私もがんばろうと思えた。


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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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