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子供を信じることの難しさ

* これは去年の夏頃のお話です。


ノッコを日本の小学校に通わせることが決まった時、私にちょっとした悩みが生まれた。

それはノッコを日本の小学校の一年生に入れるか二年生に入れるかという問題だった。

ノッコはアメリカの現地校では一年生を2回繰り返したので、年齢は7歳だったけれどまだ一年生に在籍していた。

アメリカで通っている日本語補習校でも一年生だった。

だから2017年の夏には、現地校でも日本語学校でも2年生になる予定だった。

けれどノッコの日本語はほんとに「トホホ」な感じだったので、このまま日本の小学校の2年生に入れたら、何の授業をしているのかも分からず勉強についていけなくなるんじゃないか。毎朝「学校に行きたくないー!」と泣くんじゃないかと心配していた。

だったら日本の小学校の一年生に入れて、もう補習校で勉強したひらがななどのおさらいをさせた方がいいのかも。そうすればノッコも他の子よりできる自分に自信が持てるかも。

などと考えていた。

それをジョンに相談してみると、

「僕はノッコを予定通り2年生に入れた方がいいと思うな」と言った。

「でも勉強がわからないと、授業が楽しくなくて学校にも行きたがらなくなるよ。」

「うん、それはそうかもしれないけど、学校生活で大切なのは勉強より友達と遊んだりすることじゃない? ノッコを一年生に入れたらノッコよりずっと年下の子達と遊ぶことになるよね。ノッコはそれじゃ物足りなくなるんじゃないかな? もっと同じ年齢ぐらいの、同じようなことに興味があるお友達と遊んだ方が楽しいんじゃない? 」

「うん、、、。」

「日本の小学校に1年も2年も通うわけじゃなく、たかが1ヶ月なんだから、勉強についていけるかどうかより、どれくらい楽しい経験ができるかを一番に考えた方がいいと思うよ。」

「うん、、そうだね。」

と一応ジョンの意見に賛成はしてみたけれど、心の中でまだジョンの考え方に反対する部分があった。

ノッコは確かに年齢は7歳だったけれど精神年齢はまだ5歳児並みで、4歳の風太の方がずっと落ち着いていると感じるくらいだった。だから彼女なら一つ二つ下の子供達とクラスメートになっても全く問題なく遊べると思えた。

それに私は「ジョンは日本の小学校がどんな風なのか分かってないなぁ」とも思っていた。

アメリカの現地校の一年生は、もちろん授業中勉強はするけれど楽しいアクティビティもたくさんあった。

でも日本の小学校はきちんと机に座って先生の話を聞いている時間がすごく長く、日本語が弱いノッコにはあの状況はきっとキツイのではないかなと懸念していた。

算数の1+1=2もよく分かっていないノッコに、日本の小学校の2年生の勉強など分かるはずもなく、落ちぶれていく自分が嫌になって絶対に「行きたくない!」になるような気がしていた。

そこで、実際自分の子供達を日本の小学校に通わせた八重子さんにちょっと聞いてみることにした。

次の週、日本語補習校で見かけた八重子さんに早速相談してみると、

「2年生で大丈夫だと思うよ。」という返事がすぐに返って来た。

八重子さんのお子さん達も全く問題なかったからだそうだ。(でも八重子さんのお子さんは二人ともとても優秀で、現地校でも日本語補習校でも成績は常に上位だった。だから日本の小学校に二人を入れた時も全く問題なかったのだと思う。)

けれど八重子さん曰く、息子さんと同じクラスにもう一人一時帰国の女の子がいたそうだ。その子はほとんど日本語が話せなかったけれど、先生がその子に授業中は絵を描かせたりしていたので楽しく過ごせたそう。

「学校側もノッコちゃんが勉強についていくことなんて期待してないし、とにかく楽しく日本の学校生活を経験して欲しいと思っているだけだから、そんなに心配しなくてもいいと思うよ。」

そう言って笑った。

八重子さんとそんな話をしていた時、そばに立っていたノッコの補習校の先生が私に声をかけてきた。

「ノッコちゃんは来年日本に行くんですか?」

「あっ、先生。はい、そうなんです。2ヶ月ぐらいなんですが。」

「いいことですね! 日本に行って生活することが、子供達の日本語上達には一番ですよ。」

「そうですね。それで私たちが日本にいる間ノッコを日本の小学校に入れることになったんですが、一年生に入れるべきか二年生に入れるべきかちょっと悩んでしまって。先生はどう思われますか?」

「それはぜひ、二年生に入れてあげてください。」

「でも、ノッコの日本語では、、、」

「お母さん、心配されるお気持ちはよくわかりますが、子供って大人が思っているよりずっと適応能力があるんですよ。私の知り合いのお子さんはノッコちゃんより日本語ができなかったけれど、給食がおいしいという理由だけで毎日喜んで小学校に通っていたそうです。あの年齢の子供達なんてそんなものなんですよ。何が理由で学校が好きになるのか嫌いになるのかなんて、私たちには分からないことの方が多いんです。だからノッコちゃんをもっと信じてあげてください。そして時々は子供を突き放すことも大切ですよ。」

そう言って私の肩を叩いてくださった。

ジョン、八重子さん、そして日本語の先生の3強打を受けた私には、もうそれ以上彼らに反対する理由が見つからなくなってしまった。

本当にみんながそれぞれ言う通りだったから。

このブログを長く読んでいる方はお気づきかもしれないけれど、私には日頃から子供達を守ろうとしすぎる傾向があり、特にノッコは最初の子供なのでその傾向が強く出てしまいがちだった。

いつもノッコが悲しんだり自信をなくしたりしないように防備線をはって、彼女の行動範囲を制限してしまう癖があるのだ。

そして自分の中で「こんな風に私を過保護にさせてしまうのはノッコのせいでもある」と思っていた。

勉強面やスポーツ面、習い事や癇癪の問題など、「ノッコはきっと変わってくれる」と期待しそれが裏切られるたびに、私の中で少しずつノッコに過大な期待をするのをやめる習慣ができてしまった。

「子供に対する過度の期待は子供にとって毒になる」

色々な参考書にもよくそう書いてあったので、私はノッコへの過度の期待をやめ、「これくらいならノッコにもできるかな」という程度の期待を持つように努めた。

今でもそれ自体は悪いことではないと思うけれど、そうやって期待度を落とすことで、自分でも知らぬ間にノッコの行動を制限してしまっていたのだった。

何かを始める前から、それに挑戦するチャンスを彼女から奪い取ってしまっていた。

それは私がノッコに何か新しいことを始めさせる時、いつも彼女ができないことばかりに焦点を当てていたからだった。

読むレベルが他の子より3つも下。算数の簡単な数式が解けない。日本語が上手に話せない。器械体操でいつまでたっても上の級に上がれない。癇癪がなかなか治らない。

これらのノッコの「できない要素」を考えた時、いつも

「きっとノッコにこれは無理だろう」という結論に達し、ノッコにもできそうな無難なことだけを選んで与えてきた。

けれどよく考えてみると、ノッコにはできるようになったこともたくさんあるのだ。

最初5歳のノッコを日本語補習校に通わせることにした時、私は「きっとノッコの日本語能力では半年も続かないだろう」と思っていた。

けれど私の予想に反して、ノッコはたいして文句も言わずに毎週日本語学校に通い皆勤賞までもらった。

そしてあれから2年が過ぎた今もきちんと通っている。

先生の言う通り、子供の適応能力って私たちが思っているよりずっと強いものなのかもしれない。

もしも2年前、「日本語補習校なんてノッコの日本語能力では無理」と決めつけて通わせなかったら、ノッコはそこで日本のような運動会も夏祭りも経験することができなかった。

「ノッコには無理かもしれない」

そう思ったけれど、あの時ノッコを少し突き放してみて本当によかったと思う。

だから、

今回も少し突き放してみようと思った。

突き放してみて、ノッコがどれくらいその挑戦に耐えられるのか、どれくらい成長できるのかを見てみようと思った。

その結果、日本の小学校が大嫌いになるかもしれない。

でもそれはそれで仕方がないことだと思うことにした。



子供を守るのは親の役目。

そして子供の独立を促すのも親の役目。

そのバランスを保つのはとても難しいけれど、時には心を鬼にして子供を突き放すことも大切なんだと思った。

私にように「子供のため」という名目で親が防備線ばかり張っていたら子供はいつまでたっても成長できない。

本当の意味での「自信」を見つけることはできないのだ。

と言うことで、私はノッコを二年生に入れてもらえるよう日本の小学校にお願いすることに決めたのだった。

そしてあれから8ヶ月経った今。

あの当時の私の心配をよそに、ノッコの日本語はあれからめきめき上達し、今では一年生の漢字をほとんど覚え、教科書もつっかえながらも全部読めるようになった。

そして留年することなく、補習校のみんなと二年生に上がれることをとても喜んでいる。

親の「突き放し」とそれを乗り越えた子供の「実績」の積み重ねだけが、本当の意味での自信を親と子の両方に与えてくれる。

私はそのことに改めて気付かされたのだった。


ノッコなら日本の小学校に入っても大丈夫。

今は一点の曇りもなくそう思える私だった。




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読者(特に海外在住)の方への質問

いつも「ほっぺとほっぺ」を読んでくださっている皆さまへ、


実は、私が3年前に4歳のノッコと1歳の風太を連れて日本に帰った時、学校が見つからなかったこと以外に「失敗したなー」と思ったことが二つあるんです。

その一つは、携帯電話を持っていなかったこと。

私の両親は「low tech」どころか、「無テク」という感じで、コンピューターはおろかDVDプレーヤーも使えないおじいちゃんとおばあちゃんなんです。

なので実家ではインターネットを全く使えず、近くにインターネットが使える喫茶店もありませんでした。

その上携帯電話もなかったので得られる情報が乏しく、その分私たちの行動もとても限られたものになってしまいました。

あの時スマホなどの電話が使えていたら、もっと子供向けのイベントなどを調べて参加できたのにと後悔したものです。

とは言いつつ、アメリカに帰ってしまうと別段スマホの必要性を感じることもなく、相変わらずインターネットもテキスト(ライン)も使えない電話をずっと使っていました。

けれどここへきて日本行きが決まり、前回と同じ過ちを犯したくない私は、思い切ってスマホを購入したのです!

そしたらその便利さにビックリ!

今まではお店の電話番号が知りたい時は、わざわざ家に帰ってコンピューターで調べていたのに、今では車の中でもすぐに調べられるんです。

しかもお店の下に載っている番号を指で触るとそこへ電話がかかるという。

なんという便利さ!

どこか知らないところへ行くのにも、今までのようにいちいちgoogle mapで調べて地図をプリントアウトしなくてもいいんです。

なんという便利さ!

でもやはりテキストを送り合うのはどうしても面倒くさく感じてしまい、友人に何か連絡したいときはメールを送るか電話をかけて話をしているんですけれどね。

そこでこのスマホについての質問なのですが、

海外から日本に一時帰国した時に、海外にお住みのみなさんはどうやってご自分のスマホを使っていますか?(ちなみにスマホはunlockのものを買いました)

私が調べたところによると、スマホ自体を日本に着いてから借りるか、シムカードを買うかなどのオプションがあるようですが、どれが一番安くて便利なのか実際に日本で使った方達のお話を伺いたいと思いました。

それからもう一つの質問は、日本での車の保険についてです。

というのは、前回の反省点に「車の運転ができなかった」というのもあって、今回は国際免許証を取って日本で運転しようと考えているのです。

ただ調べたところによると国際免許で加入できる車の保険がほとんどなく(当たり前ですが)、海外からの一時滞在者などはどうしているのかなと思ったのです。

幸い両親の車がまだ実家にあるし、父が入っている保険があるので、父と車は保険が効くのですが、私が運転中に何かを破損したり誰かを傷つけてしまったりした時の保険を探しています。

日本の免許を取りなおすのが一番いいのでしょうが、筆記と実技試験をもう一度受け直して再交付してもらうまでにアメリカに帰る日がきてしまいそうです。
(ちなみに私が住んでいる州は、実技試験が免除されているワシントン州などではありません。)

何かいい知恵がありましたら、教えていただけると大変助かります。

よろしくお願いいたします。

さわこ



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一時帰国中の体験入学

* これは前回の記事の続きで、去年の夏頃のお話です。


ある日ノッコの日本語学校で、以前図書当番で一緒になった八重子さんというお母さんをみかけた。彼女の旦那さんもアメリカ人で、小学校に通う息子さんと娘さんが一人ずついた。

そのお母さんとはとても気が合い、その後もよく事務所の前で立ち話をしたりするようになった。

「あらー、久しぶり。元気?」

なんて挨拶をしてから、

「最近はどう? 忙しい?」

と質問が続いた。

「うん、来年の夏に日本に帰ろうと思ってるんだけどね、なんか子供達の学校のことで色々大変で。」とちょっと愚痴ってみた。

「大変てどうして?」

彼女がそう聞いてくれたので、私はノッコたちの学校探しの経過をかいつまんで話した。

「そうかあ。。」

私の話を聞いた八重子さんは、ちょっと考えてから

「実は、私も毎年子供達と一緒に日本に帰省してるんだけど、子供達が通っている学校の校長先生が本当にいい人で、彼女と飲みに行くくらい仲良くなったのね。その学校私立なんだけど、あの校長先生ならきっとノッコちゃんも受け入れてくれると思うんだ。すごく熱心に国際化を進めている学校だから。よかったら私から聞いてみるけど、どう?」

「うん、うれしいけど、八重子さんの実家って確か〇〇市だったよね。うちの実家からはちょっと遠くて通えないと思うんだ。」

「うん実はね、母が数年前に亡くなって、日本にある実家が今空き家状態なの。一応一軒家だし、そこでよければ貸すよ。その学校は家から歩いてすぐだから、そこから通えばいいんじゃない?」

「えっ? そうなの?」

突然の彼女からの申し出にちょっと戸惑いはしたけれど、私はすぐにいいお話だと思った。

八重子さんの実家は私の実家よりずっと都会にあって交通も便利だし、インターネットもついているし、子供達と過ごすなら確かに八重子さんのところのほうが快適かもしれない。

けれどあまり知りもしない八重子さんに色々と迷惑をかけるのも気が引けたし、日本に帰る目的の一つに、父と母に子供達とできるだけ多くの時間を一緒にすごして欲しいというのがあった。

もしも実家以外の所で寝泊まりしていたら、両親が子供達と過ごす時間が極端に少なくなってしまう。

なので八重子さんにはお礼を言ってから、その場で丁寧にお断りをした。

けれど別れ際に八重子さんが、

「さわこさん、私も日本では学校関係のことで手続きに困ったことがたくさんあったけど、学校側と直接交渉してみると結構うまくいくことが多かったよ。一度子供達を入れたい小学校と幼稚園に電話して聞いてみたらいいんじゃない? メールじゃなくて、電話で聞いてみるのがいいと思うよ。」

そうアドバイスしてくれた。

「うん、ありがとう。」

そう言って別れたあと、私は自分がまだ直接小学校や幼稚園に訊いてみていないことに気がついた。

住民票がないからどっちにしてもダメだろうと最初から諦めていたからだった。

でも「ダメ元で訊いてみよう!」と思い直し、早速次の週に実家から一番近い公立の小学校に電話してみることにした。

その小学校に電話すると教頭先生が出て、しばらく私の事情を静かに聞いてくださった。

そして私が話し終わると、

「1ヶ月の体験入学という形であればかまいませんよ。」

と思いがけない返答をしてくださった!

先生の話によると、その年の夏もヨーロッパから帰国中のお子さんがその小学校で数週間体験入学をしたそうだ。

その経験がクラスメートにとってもとてもいいものだったので、学校側でももっと積極的に受け入れていこうという話が出たばかりだと言う。

しかも体験入学という形であればいちいち市の教育委員会に申請する必要もなく、学校側が受け入れを認めれば、たいてい市の方も同意してくれるという。故に住民票も戸籍謄本もいらないそうだ。

「あっ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

もう天にも昇るような気持ちで、教頭先生に何度も何度もお礼を言ってから私は電話を切った。

そこで勢いづいた私はすぐさま、その小学校と同じ敷地内にある幼稚園にも電話してみた。

するとそこでも「体験入園」という形で風太の入園を認めてくれることになった!

「夢見たい!」というのは、正にこのことを言うんだとその時つくづく思った。

物事って、ダメ元ってやってみるものだなー。

最初から諦めてたら本当に何も得ることができないんだなー。

今更そんなことを改めて経験した気がした。

そのあと学校から送られてきた申込書に記入してそれを返送し、子供達の体験入学が確定したものになった。

その後、以前お願いしようと思っていたアフタースクールにキャンセルとお詫びのメールを送った。

ここに至るまでの過程で知り合った小学校や幼稚園の教頭先生、そしてアフタースクールの担当の方は本当によい人たちばかりだった。

私の状況にとても理解を示してくれて、時々冗談を言いながら一生懸命ノッコたちの入学を許可しようとしてくれた。

それはやはり八重子さんがアドバイスしてくれたように、電話で何度もお話したからだと私は思っている。

「あのー、子供達は二人とも日本語がちょっとカタコトでして、、、。」と私が言うと、

「あらー、日本の子供達だって6−7歳だと日本語でも何を言ってるのか分からないんだから同じですよ!」

なんて笑って返してくれる。

そして何度も「心配いりませよ。」「こちらが責任を持ってお預かりしますから」とおっしゃってくださった。

日本の学校って本当にすばらしい!

そして最近は技術の発達のおかげでコミュニケーションがメールやテキスト(ライン)に偏りがちだけれど、こちらの意向を伝えたい時にはやはり電話で直接話す方がいいんだなと改めて思ったりした。

電話の様子から私が受けた教頭先生達の印象は、二人とも花マル!

あの学校・幼稚園ならノッコも風太も大丈夫そうな気がした。(もちろん担任の先生次第だけれど)

とりあえずこれで子供達の通学先が決まり、ホッと一安心したのだった。



*次の記事では日本に関する質問について少し書かせていただきたいと思います。





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日本での学校探し

* これは前回の記事の続きで、去年の夏頃のお話です。


日本への一時帰国中に、日本の公立小学校と幼稚園に子供達を通わせることを諦めた私。

次に民間の小さな学校を探し始めた。

まず両親が住んでいる地域にある全ての学校のリストをプリントアウトし、よさそうな所を一つ一つチェックしてみた。

すると小さな寺子屋のような学校を見つけた。

それは所謂「アフタースクール」で、仕事を持つ親御さんたちのために子供達を放課後預かってくれるという施設だった。そして小学校が夏休みの間は子供達を一日中預かってくれるという。

その学校のサイトを見てみると、まるで戦時中に子供達が疎開先で通ったような、民家を学校に改造した作りになっていた。

畳の上に机を並べて勉強したり、庭で竹馬を作って乗ったりしている子供達の写真が載っていた。

「これ、ノッコも風太も好きそう!」

私は思わず興奮気味につぶやいた。

日本で学校に通うなら、こんな風にいかにも「日本」という環境で勉強したほうがノッコや風太にとっても思い出深いものになるんじゃないか。

そう考えたので、私は早速そのサイトに載っていた連絡先に電話してみた。

プルルルと呼び鈴が鳴ってしばらくすると

「もしもしー」と、かなりお年寄りのおばあさんの声がした。

「あのー、すみません〇〇学校のことでお尋ねしたいことがあるんですが。」

「ああ、学校ね。ちょっと待ってくださいね。房江さーん。房江さーん。学校のことで聞きたいって。電話—。」

そう言っておばあさんが「房江さん」という担当者(お嫁さん?)を呼んでからかなり時間が経って、ようやく房江さんが電話口に出た。

「はい、お電話かわりました。」

「あのすみません、〇〇学校のことでいくつかお伺いしたいことがあるのですが。実は私は今アメリカに住んでいて、、、」

そこまで言うと房江さんは、

「えっーーーー! アメリカ? 今これアメリカからかけてるの?」

「はい。」

「あらーっ、ばあちゃん、やだよー、ずっと待たせたりして。これアメリカからだって。」

「あら あら」

横でおばあちゃんの慌てる声が聞こえた。

もう、

なんてかわいい二人。

そんな二人の会話を聞いて私は、絶対こんなところに子供達を通わせたいなと思った。

このおばあちゃんなら、きっとノッコや風太をかわいがってくれそうな気がしたから。

それから房江さんにこちらの事情を細かく説明すると、

「はい、はい、大丈夫ですよ。」と気軽に承諾してくれた。

「でも、あの、住民票とかもないのですが、、、」

「大丈夫、大丈夫、あとはこっちに着いてから手続きすればいいから。」

「ああ、そうですか、、、じゃあ、せめてメールでやりとりだけでもさせていただけないでしょうか」

「大丈夫よ。とにかくあとは着いてから。じゃあ、長電話になるとよくないから。」

そう言って房江さんはガチャンと電話を切ってしまった。

房江さんの「とにかく着いてから」というこのセリフ。

実は3年前もある幼稚園から言われた言葉だった。

「とにかく着いてから手続きすれば大丈夫ですから。」

私はその言葉を鵜呑みにして実際日本に帰ってみたけれど、手続きは思ったより複雑で結局子供達を通わせられなくなってしまったのだ。

そんな経験から私は今回も房江さんの「大丈夫」という言葉をあまり信用していなかった。

そしてそんな適当なことを言うこの学校にもちょっと不安を覚えた。

それにこのアフタースクールは実家からかなり離れてもいたので、それもちょっとマイナス要素ではあった。

念のため似たような学校を他にも探してみよう。

そう思って調べていると、もっときちんとしていそうなアフタースクールが見つかった。

それは全国に何校も姉妹校があるようなアフタースクールで、夏休みになると子供達を一日中預かってくれるし、サマーキャンプなどにも参加できるという。

早速そこにも電話してみると、とても気さくで感じのいい男性が電話に出た。

私が手短に事情を説明すると、

「そうですか。ご事情は分かりました。一応上のものにも確認してみますが、おそらく問題ないと思います。」と言ってくれた。

「私共は入会申込書でも住民票や戸籍謄本の提出を義務付けておりませんし、比較的簡単なものですから。」

「そうですか、よかったです。では、来年度の申込書をメールで送っていただけないでしょうか。」

「ええっと、、来年の分はまだ作成していないのですが、、、。 では出来上がり次第お送りするという形でよろしいでしょうか。」

「ええ、構いません。では、お手数ですがよろしくお願いします。」

ガチャン。

ということで、

来年の夏は、ノッコと風太をこのアフタースクールに入れることにほぼ決めたのだった。

ようやく預け先が見つかってよかった。

そう安心した反面、実はこのアフタースクールに対しても私は100%ハッピーという訳ではないのだった。


一つは学費がとても高いこと。

子供達を預けている時間数とお昼代、アクティビティ費などを入れると、子ども二人で20万ぐらいかかってしまう。

しかもこのサマースクールは日本の小学校が夏休みに入ってからでないと始まらないので、私たちが日本に行くのがどうしても8月ごろになってしまうのだった。

ジョンの出張は6月に終わるので、私たちが8月に日本に行くとジョンと合流することができなくなってしまう。

そうすると子供達とジョンは3ヶ月近くも会えなくなってしまうのだ。

(あーあ、子供達を日本の小学校/幼稚園に入れられたら、一番いいんだけどなー。)

そんなことを考えていると、ある知り合いから耳寄りな話を聞かされることになった。


つづく




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養子だからぶつかる壁

* これは昨日の記事の続きで、去年の夏頃のお話です。


いつもこのブログを読んでくださっている皆様へ、

これから私が書いていく記事を読んで、「さわこさん、こういう方法がありますよ!」という提案をしてくださる方がいらっしゃるかもしれませんが、ある程度落ち着くまでにいくつか展開がありましたので、提案してくださった内容とダブらないためにもしばらくコメント欄を閉めさせていただきたいと思います。申し訳ありませんが、ご了承くださいませ。


突然のたなぼたに背中を押された形で決まった私たちの日本行き。

行くと決まってから私の心は一気に「ワクワク感」に変わっていった。

3年前に4歳のノッコと1歳の風太を連れて日本に行った時は、さまざまな準備不足から本当に大変な思いをした経験があるので、今回はそれを反面教師にしてできるだけ準備をしていこうと決めた。

以前思いもよらず失敗したのは、子供たちをどこにも預けられなかったことだった。

出発前に幼稚園に入園可能であることを確かめておいたにもかかわらず、書類が足りないだとか、書類を提出してから2週間後にようやく入園できるとか、予想外の展開になってしまい結局私が仕事をしながら子供たち二人の面倒を見るという状態になってしまった。

両親が歳をとってしまったために、全然頼りにならないというのも想定外だった。

だから今回は子供達をどこかに預けて仕事をする環境をしっかりと作っておかなければならない。

それに子供達の日本語にとっても、学校に通っていた方が上達が早くなると思った。

日本に1ヶ月もいたのに、その間ノッコが全く日本語を話さなかったのは、やはり同年代のお友達と遊ぶ機会を与えられなかったからだと思っていた。

そういう意味でも今回は、なんとしてでも子供達が通える学校を探しておきたいと考えた。

たまたまその年の夏休み(2016年)に友人のあつこさんが子供達を連れて日本に2ヶ月ほど帰国し、その際娘さんを地元の小学校へ、そして息子さんを地元の幼稚園に問題なく通わせることができたと言っていたので、早速あつこさんに電話をして聞いてみることにした。

あつこさんは日本に着いてからその地区の学務課に行って手続きをすると、すぐに学校に通えるようになったという。

その時に必要な書類も、申込書とパスポートぐらいだったと言っていた。

そこで私は、自分がまずやらなくちゃいけないことは子供達の日本のパスポートをとることだと考えた。

以前ノッコが生まれた時に日本のパスポートを取ろうとアメリカの日本領事館に電話すると「養子の場合は産みのお父さんかお母さんのどちらかが日本人でないとダメです」と言われ、すぐ諦めてしまった。

けれど子供達の出生証明書を見ると母親の欄に私の名前しか書いてないし、「養子」という言葉もどこにも書いていない。

ということはこの書類をだまって提出すれば、ノッコたちは私の実子と見なされ日本のパスポート取得が可能なのではないか。

そう考え始めた途端、罪悪感と期待で胸がドキドキし始めた

けれどよくよく調べてみると、パスポート申請の書類に「日本のパスポート申請は出生後3ヶ月以内」と書いてあった。

ああ、遅かった! 

なんでノッコと風太が生まれてすぐに申請しなかったんだろう!

そんな風にひどく後悔したけれど、よく考えてみるとノッコたちとの縁組が法的に成立したのは子供達が生まれてから6ヶ月後だったので、どちらにしても生後3ヶ月の時点で日本のパスポートは申請できなかったのだ。

アメリカ人の産みの親を持つ養子の場合は、例え養親が日本人でも日本のパスポートは取得できない。

今の日本の法律ではそういう仕組みになっているのだった。

私はそこで子供達を日本の公立の学校に通わせるという考えは諦めることにした。


次に、自分たちの住民票を以前住んでいた東京から今両親が住んでいる地区に移すことを考えた。

子供達にその地区の住民票がなければ、きっと公立以外のどの学校でも受け入れてはくれないだろうと考えたからだ。

けれど住民票を移すには、以前住んでいた東京の戸籍を提出する必要があった。

早速母親に頼んで東京の戸籍を郵送してもらうと、そこに私たちの家族として子供達の名前は載っていなかった!

それは日本のパスポート申請を断られた時点で領事館に子供達の出生届を出していなかったから。

そこで急いで子供達の出生届を領事館に提出して日本の戸籍に加えてもらおうとしたところ、もう遅すぎると言われてしまった。

それもパスポート同様、生後3ヶ月以内だったのだ。

縁組が成立していない生後3ヶ月の時点で子供達を日本の戸籍に入れることはどちらにしても無理だったので、結局養子は日本の戸籍さえも持てないということをこの時初めて学んだ。

日本の戸籍を取得できないから、日本のパスポートも取得できない。

当然と言えば当然のことにその時の私は全然気づかず、なんだか一人で空回りばかりしていた。

そして普通に何の問題もなく子供達を学校に通わせられたあつこさんが、ひどく羨ましく感じられた。

でも、ちょっと考えてみた。

実子を産んだ人でも、きっとうっかりして生後3ヶ月以内に領事館に出生届を出すのを忘れちゃった人だっているに違いない。

そういう人たちのためにきっとなんらかの形で後から申請できる制度があるに違いない。

そう思った私は、早速日本の区役所の法制課に電話をして聞いてみた。

するとそういう制度はやはりあるという。

やったー!

けれどその第一の条件は、子供を連れて日本に6ヶ月以上滞在すること。

そうすれば子供達を戸籍に加えられ、住民票の移動もできるという。

アメリカで仕事を持っている私には、日本での6ヶ月の滞在はとうていできることではない。

それにノッコの現地校もある。

ということで、結局このセカンドチャンスも私たちには使えないものだと判明した。

それですっかり気を落としてしまった私だったけれど、それでも負けずに別の方法を考えてみることにした。


つづく


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ジョンの欠点

* これは去年の夏頃のお話です。


このブログの中で、私は自分の夫であるジョンのいいところをたくさん書いてきた。

だからずっと読んでくださっている方の中には、ジョンがまるでとてもできた旦那さんのように感じている人がいるかもしれない。

確かにジョンは穏やかでやさしく、どんな時でも冷静な判断ができる人だと思う。

けれどそんなジョンにもやはり欠点はある。

たくさんある。

どれもこれも小さいことだけれど、、。

例えば、ジョンは大抵のことには無頓着である。

この「無頓着」という言葉の中には、「不潔」とか「気が利かない」とか「忘れっぽい」とかのさまざまな要素が含まれている。

例えば「不潔」。

ジョンはさすがに社会人なので、毎日一応シャワーを浴びたり、歯磨きをしたりはする。

けれどそれ以外のことは、本当にどんな状態でも気にならないらしい。

ジムに行って汗ビッチョリかいたTシャツを、そのまま椅子にひっかけて乾かし、それをまた着てジムに行くこともある。

私が「洗濯するからちゃんと出して!」と注意すると、

「あれはcool offしたから大丈夫」と訳わからないことを言う。

どうやら汗をかいて熱くなったTシャツを、乾かすことで冷やすという意味があるらしい。

そういえばお互い大学生だったころ、ジョンのアバートには「cool off area」と呼ばれるスペースがあって、汚れた服が山積みになっていた。

白いシャワーカーテンもピンクのカビでいっぱいだったため、メルヘンちっくなものになっていたし。

だから私は、子供達をジョンに預けて何日も家をあけることなんて怖くて未だにできないでいる。

「気が利かない」も「忘れっぽい」も例がたくさんありすぎて書ききれないくらいだけれど、最近手を焼いているのは「クリネックス入りシャツ」だ。

ご存知の方も多いかもしれないけれど、アメリカ人はたいてい鼻をかんだテッシュをそのまま捨てずに、またシャツやパンツのポケットに入れてしまう。

ジョンももちろん例外ではなく、使ったティシュをいつもポケットに入れっぱなしにする。

パンツの場合は、洗濯する前にいつもポケットをチェックするのだが、時々シャツの小さなポケットにテッシュが入っていることに気がつかないことがある。

ティシュが洗濯機の中で散乱し、もちろん他の洋服にもついてしまう。

そういう時に限って、黒いシャツが多かったりして。

「お願いだからシャツのポッケにテッシュを入れるのやめて」と何度も頼んでいるのに、自分が洗濯するわけじゃない彼にとってはたいした問題ではないらしく、いくら言っても気をつけてくれない。

ある日、またチェックしそこねたシャツのポッケからティシュが溢れ出したので、ティシュの破片でいっぱいになった黒いTシャツをジョンに突き出し、

「もう自分でこのテッシュ一つ一つとってよね!私はやりませんから。」と言った。

すると次の日、ジョンはそのティシュだらけのTシャツをそのまま仕事に着て行ってしまった。

「歩いてれば自然に落ちるから大丈夫」と言いながら、、。

もうダメだと思った。

あんな真っ白なものがたくさん付いたTシャツを平気で着ていくジョンの神経。

彼とは絶対に同じ感覚を持って生活することはできないと思い、今は彼の影響が子供達に及ばないことだけを祈って毎日を過ごしている。

けれど「不潔」「気が利かない」「忘れっぽい」などによる被害は、まだ許される範囲のものだった。

彼の無頓着さで一番困るのはやはりお金の問題だった。

他の多くのアメリカ人がそうであったように、ジョンも大学の学費の一部をStudent loanでまかなっていた。

それは卒業して仕事に就いたら少しずつ返していかなければいけないものだったのに、ジョンはお母さんに言われるまでそのローンのことをすっかり忘れていた。

そのおかげで借りた金額にしっかり利子が上乗せされていた。

どうしたら自分がどれくらい借金をしているかを把握しないでいられるんだろう?

お金のことにはきちんとしたい私には信じられないことだった。

結局金額自体はそんなに大きくなかったのと、それ以上利子が膨らむのは嫌だったので私の貯金から一括で払った。

それからジョンは私のことを「sugar mama」と呼ぶようになった。

ジョンはけして浪費家ではないけれど、もともと使おうと思った時にはドーンと使いたいタイプだった。

だから金欠状態でバケーションに行った時も、一番安いサラダばかりを食べている私の横で80ドルもする刺身の盛り合わせを頼もうとした時は、本当にジョンの金銭感覚を疑ったりした。

                            ◇

楽しかった姉家族の訪問が終わり、寂しいのと気が抜けたのとで毎日ポケーッとしている私に、ある日ジョンが

「ねえさわこ、来年日本に行こう!」と突然言い出した。

「えっ? 日本?」

「うん、ノッコも風太もアミやカイとまた会いたいだろうし、もう3年も帰ってないんだから、さわこの両親も子供達に会いたいんじゃない?」

「そりゃそうだけど、、。」

「僕はまた海外出張があるから、その仕事が終わったら日本で合流するよ。」

「待ってジョン。私だって行きたいのは山々だけど、金銭的に絶対無理だよ。」

「それがね。」

そういってジョンはニコニコしながら、秋からの昇進の話をしてくれた。

ジョンのポジションが今の肩書きより一つ上になるので、その分お給料が上がるらしい。

それはとってもいいニュースで私もうれしかったけれど、昇給はそんなに大したものではなく、それで家族4人の日本行きはとても無理そうな気がした。

「それに来年には屋根の張替えもしないといけないし、窓の修理もしなきゃいけないし。気持ちはうれしいけど、やっぱり無理だよ。」

私がそういうと、ジョンはいつものように

「大丈夫だよ。お金はなんとかなるから。」と言った。

この「お金はなんとかなるから」という言葉、彼と知り合ってから何度聞いたことか。

実際彼の言う通りいつもお金はなんとかなっている訳だけれど、それはこの堅実なさわこが懸命にやりくりしているからなのに。

「なんとかなるってどうするの?」

「いいよ、もしも足りなかったら銀行から借りれば。」

「えっ? 銀行から借りるの?」

「うん。」

それからジョンは、自分なりに調べたことをベースにどうして来年日本に行った方がいいのかを理論立ててトクトクと私に話して聞かせた。

日本で仕事をしていた頃は、借金をしてまでバケーションに行くなんて考えられなかったけれど、アメリカに来てから私の感覚もかなり麻痺したようで、

「子供達はすぐ大きくなってしまう」

「さわこのお父さんやお母さんも、いつまで元気でいられるか分からない」

そんなジョンの言葉に非常に心が揺れてしまった。

もともと日本には行きたかった私。

結局その話にちょこんと乗ってしまい、銀行からお金を借りることに同意してしまった。

そんな矢先、

信じられないことが起こった。

私の職場の人事部から連絡があり、私が勤め始めた2009年からずっと私のお給料が間違った金額で支払われていたという。

毎月の差額自体は微々たるものだったけれど、それが7年にも及んだので、結局総額80万近くが戻ってくるという。

「えーっ!」





こうして私たちの日本行きが決まったのだった。


つづく



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姉家族の訪問

これは去年の夏ぐらいのお話です。


ある日久しぶりに日本にいる姉から電話がきて、「ねえ、8月にそっちに遊びに行きたいんだけどいい?」と急に持ちかけられた。

その日まであと数週間しかない。

「えっ! そんな急に? どうして?」

「うん、来年はアミが受験だし、行くなら今年しかないかなと思って。」

「こっちはいつでも大丈夫だよ。」

「じゃあ、飛行機のチケットを取ったら知らせるね。」

という感じで、突然姉家族(旦那さんは仕事で不参加)が遊びに来ることになった。

そのあと、「お父さんとお母さんも一緒に行くことになった」という展開があったけれど、どうやらその計画は予算不足でなくなったらしい。

姉家族が来ると聞いてからは、家中の大掃除と大量の買い物、観光地の下調べなどで私は大忙しになった。

そうしてあっという間に姉家族が遊びに来る日がやってきた。

姉には高校2年生の娘(アミ)と中学一年生の息子(カイ)がいる。

空港で二人を見た時、あんまりにも大きくなっていたので誰だか分からないくらいだった。彼らとその前あったのはもう3年前だから無理もない。アミは女の子というより、もう大人の女性のような感じがした。

その分姉が少し老けてなんとなく小さくなっていた。

姉たちの滞在は一週間とちょっと。

その間私は彼らを自分の仕事場に連れて行って「アメリカの仕事体験」をさせたり、2泊3日のキャンプに連れて行って、テントでみんなで寝たり、湖で泳いだりした。

姉はとにかく買い物が好きなので、モールやアウトレットに連れて行くのも忘れなかった。

夜はみんなが寝た後、姉と二人でいつまでも話が尽きず毎日12時を過ぎてもずっと話し続けた。

姉と話すのは本当に楽しく(特に美容院のお客さんの話)、姉がもっと近くに住んでいたらいいのになと何度も思ったりした。

以前ニューヨークに住んでいた頃、日本から友人や知り合いがしょっちゅう来ていたけれど、その中にはいかにも私のアパートをホテル代わりにし、私をツアーガイド扱いしている人がいて、ぜんぜんもてなす気になれなかったことがあった。でも姉たちの場合は、どんなことをしてでも彼女たちを喜ばせてあげたいという気持ちしかなく、相手によってもてなす側の気持ちも違ってくるんだなと思ったりした。

姉家族と一週間ちょっと一緒に過ごしてみて、いつくか気がついたことがあった。

それは姉の子供たちがあまりに大人しく、あまりに礼儀正しいということ。

もともと姉の子供たちは小さい頃から口数が少なく、聞き分けもよく、いわゆる「育てやすい子供たち」だった。

以前日本で姉家族とレストランで食事をしている時に、となりのテーブルで4歳ぐらいの女の子が癇癪を起こして泣いているのを見た姉は「私のアミちゃんは、一度もあんな風に愚図ったことなんかないわ。」と自慢げに言っていたのをよく覚えてる。

実際あみが小さい頃、彼女が愚図ったり泣いたりしているのを私も一度も見たことがなかった。だから子供なんてみんなそんなものなのだと思っていた。

自分がのちにノッコという子を育ててみるまでは。。

けれどそんな姉も学習障害のある弟のカイが生まれてから、障害のある子供を育てることの難しさを学んだらしく、手のかかる子供達に対して以前よりも理解を示すようになった。

学習面では障害のある甥も、ノッコとは違い性格はいたって素直で穏やかだった。

そしてまだ13歳だというのに、やたらと遠慮ばかりして何が食べたいとか何がやりたいとかをはっきり言わない。

それは姪のアミも同じで、いつも私やジョンに遠慮ばかりして、私たちに迷惑がかからないようにと気を使ってばかりいた。

思春期真っ最中なのに、反抗期の「反」の字もない感じだった。

普段とーってもうるさく、「これが食べたい!」「これがやりたい!」という欲求しかないノッコと風太に慣れていた私は、あまりに大人しい甥と姪を見て本当にビックリしてしまった。

でも二人は大人しい分、私たちが何をしてあげても、どこに連れて行ってあげても、本当に楽しんでいるのかどうかが分からないという部分もあって、それがちょっと物足りなくも感じることがあった。

結局子供はみんなそれぞれいいところ、そうでないところがあって、自分が育てている子供たちが一番いいという結論に達するのだろうと思ったりした。

そしてもう一つ私が気になったことは(全然大したことではないけれど)、甥の言葉遣いだった。

中学一年生の男の子としてはいたって普通の言葉遣いだったのだけれど、アミにからかわれた時などに言う「うるせーな」とか「あっち行けよ」などと言う言葉が私にはすごく新鮮だった。

私の周りで日本人の友人といったら女性しかいないし、ノッコの日本語学校でちょっと話す男性はみんな大人の男性なので、彼らは丁寧な言葉遣いしかしない。

だから甥の話すのを聞きながら

(そうだよなぁ、日本人の男の子ってこういう話し方するんだったよなー)と改めて思ったりした。

そして今はマショマロみたいにプクプクとかわいい風太が、もしも日本語が上手になったら自分のことを「オレ」なんて呼ぶのかなーなんて思ったら、なんとなく可笑しくなってしまった。

                           ◇

そんな風にして楽しく過ごした姉家族たちとの一週間があっと言う間に終わってしまった。

姉達が帰国する日、ノッコと風太が姉にハグをすると姉は急に泣きだしてしまった。

そしてそれを見た私も涙腺崩壊。

そんな私たちを見ていたあみの目もだんだん赤くなってきた。

かろうじてカイはぐっと堪えていたようだったけれど、やっぱりジーンとくるものがあったようだった。

アミは本当にやさしい子で、子供達ともたくさん遊んでくれた。そしてそんなアミがノッコは大好きだった。

風太も初めてできたお兄ちゃんであるカイにべったりで、いつも「レゴで遊ぼう」とレゴを持ち出してきていた。

そんなに懐いてくれたノッコと風太と別れるのが二人ともやっぱりさびしいのか、妙にしんみりとした表情をしていた。

そして私も、そんなアミや姉たちに次に会えるのはいつだろうと思うと、やはり別れが惜しくて仕方がなかった。

「近いうちに、また日本に遊びに行くから。」

私がそう言うと、姉は

「うん、本当にありがとね。」と言って、手を振りながら去っていった。

家に帰ってから姉達の使っていた部屋を掃除していると、私宛の手紙があった。

姉からのものだった。

そこには今回の滞在が自分にとっても子供達にとってもどんなに楽しいものだったか、ノッコと風太と久しぶりに会えてうれしかったこと(ジョンもね)、私が幸せそうで安心したことなどが書いてあった。

そして〇〇ちゃん(亡くなったもう一人の姉)がいたら、どんなによかったかな、とも書いてあった。

そこで私はまたもや涙腺崩壊。


家族って、

やっぱりすごくいいなと思った。

どんなに遠くに住んでいても、どんなに長い間連絡を取らなくても、けして消えることのない絆。

姉との間には、そんな絆がある。

私はそのことに感謝しつつ

姉からの手紙をそっと引き出しにしまった。


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面白いビデオ


今日は記事を書いている時間はないのですが、さっきジョンが 「これ見て」と言って送ってきたビデオがあまりにおかしかったのでご紹介します。

BBCのライブインタビュー中に起こったできごとです。

私も似たような経験があるので笑えました。








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子供に教える道徳とそれを守れない親


*これは先月のお話です。


ノッコは今英語のスペルの練習をしていて、私が出す5個の単語のテストを毎日している。

それで満点を取るとシールが一個もらえて、それが20個貯まるとみんなでサーカスに行く約束になっていた。(風太もABCを勉強したらシールを一個)

時には1日シールを3つも集めてがんばったノッコと風太は、いよいよ20個シールが集まり、念願のサーカスへ!

実は子供達よりサーカスをずっと楽しみにしていたのは、何を隠そうこの私。

小さい頃に「木下大サーカス」に行ってえらく興奮したのに、それ以来サーカスなんて一度も連れて行ってもらえなかった。

だからこの街にサーカスが来ると聞いて、「行こう!」と提案したのは私だった。

毎日ノッコに、「ママが行きたいんだからスペルがんばってよー」とせがんでようやくシールを20個集めてもらった。

そしてそのサーカスの当日。

子供達の興奮ぶりはもう。

そしてそれに負けない私のワクワク度。

けれど会場に入ってみると、ちょっと「あれっ?」という感じだった。

だってセットが安っぽくてちょっとしょぼかったから。

それにサーカスが始まってからも、始終ムチで脅かされている動物たちがなんとなくかわいそうになってしまい、心から楽しむ事ができなかった。

空中ブランコで団員が落っこちてしまった時も「わざとかな?」なんて疑ってみたり。

子供の心を失っていくというのはこういうことを言うんだなぁ、なんてちょっと寂しくなったりしたのだった。

そんな私を横に子供達は大はしゃぎ。

特に犬の芸がお気に入りだったようで、しょっちゅう「かわいいー!」と叫んでいた。

そして前半の出し物が終わり、20分の休憩時間に入った。

すると奥からゾウやラクダが出てきて、子供達はそれに乗る事ができるという。

会場を一周して一人20ドル。二人で40ドル。

高っ!

でもすかさずノッコと風太は「乗りたーい!」と叫んだ。

もっと安かったらノッコたちにやらせてもいいかなと思ったけれど、会場は本当に狭かったし、順番待ちの列があっという間に長くなってしまったので、

「乗せてあげたいけど、一人20ドルは高いよ。それにママもパパもそんなに現金持ってないし。」

と説明した。

けれど二人ともそんな説明は全然耳に入っていないらしく、

「乗りたーい!」を繰り返していた。

それでも「今日は乗らないよ」を言い続けると、ようやく二人は諦めたようだった。

けれど後半の出し物が始まってからもノッコはずっとふてくされたままだった。

そんなこんなで後半の出し物も全て終わり、帰り支度をしながら時計を見るともう9時半。

子供達が普段寝る時間(8:15ぐらい)をすっかり過ぎていた。

風太はさすがに疲れたのか、ジョンに抱っこしてもらうとそのまま寝てしまった。

けれどノッコは疲れのせいかイライラ絶好調。

駐車場まで歩いている間も「ゾウに乗りたかったー」と文句タラタラ。

そして最後には、こともあろうか

「ノッコ、サーカスなんて大っ嫌い。来なければよかった」とほざいた!

私はすかさず、

「ノッコちゃん! 世の中にはね、サーカスに行きたくても連れて行ってもらない子供がたーくさんいるんだよ! ノッコちゃんはママたちに連れてきてもらってすごくラッキーなんだよ。それなのにその態度は何? どうしてサーカスが見れただけでもラッキーって思えないの? ママたちはね、ノッコちゃんたちが喜ぶと思ってサーカスのチケットを買ったんだよ。それなのに“ありがとう”の代わりに文句言われなきゃいけない理由は何?」と叱りつけた。

するとノッコは急にしょぼんとして、

「ごめんなさい、、」と言った。

でもすぐに、

「だけど他の子はみんなゾウに乗ってたよ。みんなサーカスを見て、ゾウにも乗ってたよ。」と続けた。

「他の子のママとパパはたくさんお金を持ってるからじゃない? ノッコちゃんのママとパパはそんなにお金ないの。あのねノッコちゃん、40ドルっていうお金はすごくたくさんのお金なの。その40ドルを得るためにママもパパも毎日一生懸命働いてるの。だからその40ドルを5分で終わっちゃうゾウより、もっと他のことに使いたいと思うのはいけなこと?」

「、、、、、。」

その時私たちのクルマは信号のところで止まった。

そこにホームレスの男の人が「恵んでください」というカードを持って立っていた。

「ほら、あの男の人を見てごらん。彼は家も食べるものもないんだよ。」

「どうして?」

「分からない。病気で働けないのかもしれないし、家族がいないのかもしれない。」

「、、、、」

「あんな風に、寒い夜に帰る家もない人がいるのに、ノッコちゃんは暖かい家も食べる物もあってラッキーなんだよ。いつもそのことを忘れないで。ゾウに乗れなかったくらいで文句なんて言わないで。 」

信号が変わって私たちのクルマが走り出した。

「ママ?」

「なあに?」

「あの人、きっとお腹すいてたね。」

「そうだね」

「どうしてママはあの男の人に食べ物をあげなかったの?」

うぐっ!  そうきたか、、。

「だって食べ物持ってなかったし。」

「じゃあ、お金は?」

「うん、お金もあげたかったけど、、、、」

(うーん、どう言ったらいいかな、、)

「あのね、ああいう人は街にたくさん居すぎて、ママ全員にお金をあげられないのよ。」

「変なの。」

“変なの”という言葉が心に突き刺さり、私はそれ以上どう返したらいいのか分からなくなってしまった。

「ノッコ、パパたちはああいう人達一人ひとりにお金をあげることはできないけれど、税金という形で彼らを助けてるんだよ。」

その時ジョンがそう言って助け舟を出してくれた。

それからジョンが税金についてノッコに説明してあげたけれど、ノッコはその話には興味がなくなったようで、ただだまって窓の外を見ていた。

いやー、しかし 子供に道徳を教えるって難しい。

親が尤もらしいことを並べ立てても、今回のように自分の偽善度を曝け出すだけになってしまうことがあるから。

子供に「人はこうあるべき」と教えながら、自分はそういう人間にはなれないことがあるから。

子供はそれがわかっていないようで、実は親の言ってることとやってることの矛盾をするどく嗅ぎ分けていたりする。

でもその矛盾が何なのか概念として理解できないし説明もできないから、だた「変なの」とつぶやくことしかしない。

「世界中の恵まれない人たちのことを考えてみろ」

そうノッコに説教しながら、本当は私自身が何もできていないことに気づいた夜。

反省しなきゃいけなかったのは、ノッコより自分の方。

凍えながら立ち続けるホームレスの人に1ドルもあげなかった私の方。



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ノッコのお弁当事情


またまた更新がしばらく遅れてしまいました。
すみません。

今週は少し時間ができたので、今日はノッコのランチについてちょっと書いてみたいと思います。

                                 ◇

ノッコの小学校には「ホットランチ」と呼ばれる給食のようなものがある。

だいたい1食が$3−5ぐらいで、毎月一定の金額を学校の口座に振り込むと、子供がホットランチを食べるたびにそこから引き下ろされるようになっている。

ノッコはこのホットランチがだーい好き。

なぜかというと、ランチと一緒にちょっとしたデザートがついてくるから。

だから「毎日ホットランチが食べたい!」といつも言っている。

けれどホットランチはあまり健康によくないものもあるし、毎日オーダーするとお金もかかるので、ノッコは一週間に一度だけホットランチを食べていいことになっている。

それ以外の日は毎日手作りのお弁当。

毎日同じようなものをお弁当に詰めているので、せめて彩りだけもきれいにしてあげようと、日本のお母さんたちほどではないけれど、それなりにかわいいお弁当を作るようにがんばっている。

時々ノッコは私がお弁当を詰めているのを見て「やったー!今日はミートボールだぁ」なんてはしゃぐこともあるし、大抵きれいに食べてくれるので別にノッコのお弁当が何か問題になっているなんて思ったこともなかった。

けれどある日ノッコの宿題をみてあげていると、急にノッコが、

「ねえママ、ジェイクがね、いつもノッコのお弁当が気持ち悪いっていうんだよ。」

と意外なことを言い出した。

「えっ? そうなの?」

「うん、時々ノッコのお弁当を見て“何それ!”」って聞くんだよ。

「あらそう? ノッコちゃんはそういう時、何て言うの?」

「おにぎりだよ。気持ち悪くないよ、って言うよ。」

アメリカの学校でおにぎりを食べていると、他の子にからかわれるというのは他のお母さんたちから聞いた事があったので、ノッコの話を聞いても私は「ああ、来たか」と思うだけでさほど驚きはしなかった。

それに子供達はただ珍しくて「変なの」とか「気持ち悪い」とか言っているだけで、別に悪気はないのだろうとも思った。だから、

「そうだよね。気持ち悪くないよね。ジェイクはきっと日本の食べ物を知らないからそんな事言うんじゃない? 知らないから気持ち悪いって言ってるだけだと思うよ? ノッコちゃんは“これはおにぎりっていってね、おいしいだよ”って教えてあげればいいんじゃない?」と言った。

「教えてるよ! おいしいよって言ってるよ。でもジェイクは気持ち悪いってずっと言うんだもん。」

「ノッコちゃんが3回“おいしいよ”って言ってもジェイクがやめなかったら、あとは無視すればいいんだよ。」

「でもジェイクはずっとノッコのそばで言うんだもん。」

「そういう時は、ノッコちゃんが席を移動すればいいの。そうすればそのうち飽きて言わなくなるから。」

「だってー。」

ノッコはそれでも納得のいかないような顔をしていた。

「それにねママ、この間はアンドリューがノッコに“どうして鉛筆でランチ食べてるの?”って聞いてきたんだよ。」

「あはは、鉛筆はいいね。その時ノッコちゃんはなんて言ったの?」

「鉛筆じゃないよ、箸だよって言ったよ。」

「でもアンドリューはしつこく言ってきたの?」

「ううん、アンドリューは“変なの”って言って行っちゃった。」

「そっかあ、、、ねえ、ノッコちゃん、ノッコちゃんが嫌ならママも他の子みたいにサンドイッチを作ってあげようか? おにぎりとか、お稲荷さんとか、日本のものは入れないようにしてあげるけど、どうする?」

しばらくノッコは考えてから、

「いいよ。ママのお弁当でいい。ノッコ、サンドイッチあんまり好きじゃないし。」

「そっかあ。」

「ねえノッコちゃん、みんながサンドイッチ食べてるのにノッコちゃんだけおにぎりとかお稲荷さんとか食べてるの、ママはかっこいいと思うよ。みんなと違うっていうのは、本当はすごくかっこいいことなんだよ。ねえ、ノッコちゃんの友達で箸が上手に使える子は誰がいる?」

「奈々ちゃん」

「それは日本語学校のお友達でしょ。アメリカの学校でお箸が使える子いる?」

「いない。」

「でしょ。それはね、お箸を使うのはすごく難しいし時間がかかるからだよ。それがちゃんとできるノッコちゃんはかっこいいと思うよ。」

「うん。」

本当に分かったのか、分かってないんだか、はっきりしない様子でノッコはその時そう返事しただけだった。

                               ◇

そんなノッコとの会話も忘れかけていたある日、いつものようにノッコが持って帰ってきたお弁当箱を開けてみると、食べ物が半分以上残っていた。

「あらっ、ノッコちゃん、どうしたのこれ? 今日お弁当食べなかったの?」

そう私が聞くと、ノッコはモジモジして言いにくそうに

「うん。」と言った。

「どうして? ノッコちゃんの好きなお魚のフライが入ってるじゃない。お腹空いてなかったの?」

「うん、、、。お弁当箱、、、落としちゃったの。」

「えっ? 落としちゃったの?」

「だって、蓋を開けようとしたら、手が滑って、、床に落ちちゃったの。」

「そう。」

「だからノッコ、床からおにぎり拾ってお弁当箱に戻したの。でも食べなかった。汚いから。」

「そうだね。床に落ちたのは食べないほうがいいね。」

「そしたら、先生が来て、“これ食べないの?”って聞いたの」

「そう」

「うん、って言ったら、“じゃあ、先生が食べていい?”って。“先生いつもノッコちゃんのお弁当を食べてみたかった”って、、、」

「えっ? それで?」

「先生、おにぎり食べて“おいしい”って。それで“卵焼きも食べていい?”って」

「だって、それも床に落ちたんじゃないの?」

「うん。先生が“どうしてこんなにおいしいのに、食べないの?”って言うから、“床に落ちたの”って言ったの。」

「そしたら?」

「そしたら先生、“うげっ”って口から全部出しちゃった。」

「あっはっ はっ はっ はっ  そうだったのー?」

どうしてノッコはそういうところではっきり先生に説明してあげないんだろうと思う反面、その時の先生の顔を想像するとおかしくて仕方がなかった。

しかし生徒のお弁当をほうばる先生がいるなんて

アメリカっておもしろい。

だけど毎日学校でノッコのお弁当を見ながら「食べてみたい」と思ってくれる人がいただけでも、お弁当づくりの甲斐があった気がして私はすごくうれしかった。

そしてそれからは、さらにはりきってお弁当作りに励んだのだった。

いつかノッコや風太がそんなお弁当を懐かしく思ってくれたらいいな、と思いながら。


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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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