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人を傷つけるためだけのコメントについて


私がこのブログを書いていて本当にうれしいなと思うことの一つに、「読んで下さっている方達が素敵」というのがある。

コメントを下さる方達を見ていても、一人一人のお人柄が分かるようなやさしいものが多く、その方達の言葉に何度も何度も支えられながら今までやってきた。

例え私の書いた内容に同意できないというコメントの時でも「違っていたらごめんなさい」とか「気を悪くされたらごめんなさい」とか「どうか誤解なさらないで下さい」など、とても気を遣って書いて下さっているのがよく分かるので少しも傷ついたりしない。

でもそんな私のブログでも、過去に2回程とても厳しい「鍵コメ」をいただいた事があった。(今現在コンピューターの前でこの記事を読んで下さっている読者の方は「その人達」ではないのでどうかご安心下さい。それはもう一年ぐらい前のことだと思います)

それらはとてもキツい口調だったし、私の全人格を否定するようなコメントだったので、正直言ってしばらくは立ち直れないくらい落ち込んだ。

けれどそれは元々自分の不注意でその方達を不快にさせてしまったことが原因だったので、「今後は気をつけよう」と反省する機会ともなってくれた。

でも毎日20−30のコメントが来るような人気ブログを読んでいると、時々信じられないくらいキツいコメントを目にする事がある。

それはそのブログの常連さんとかではなく、大抵初めて訪問された方のようで、それゆえコメントも短いことが多い。

「結局はご自身の自慢ですか?」とか「それで〇〇気取りですか?」とか、もうただ単にそのブロガーさんを傷つけたいためだけに書いているようなコメント。

そのブロガーさんがどれくらい素敵な人か、どれくらいある問題について悩んできたのかを知っていたら絶対に書けないような酷いコメントを平気でしてくる。

そういうのを見ているとやはり、

「なぜなんだろう?」と思ってしまう。

私も例の「バイリンガル命」のお母さんの投稿を読んだとき、その書き方にすごくムッとしたし、あまり共感できなかったけれど、でもよく考えたら彼女の言う事にも一理あるし、彼女のような母親に比べたら私が怠慢であることも否定できないと思ったので、結局その掲示板には何もコメントを書かなかった。

でも彼女は多くの人から「あなたは最低の母親ですね」というような心ない言葉でさんざん叩かれていた。

                                ◇

私は普段からよく「文章のパワー」について考える。
面と向かって言われたり、電話で言われたりするのとは違う特別なパワー。

以前アルバイトをしていた職場で、あまり面識のない人に仕事上のある依頼をメールでしたところ(ちゃんと丁寧にお願いしたつもり)、

「そんな事この部署でできる訳がないだろう!」とお叱りの返事をもらったことがあった。しかもそのメールの感じから「おまえは何て非常識なんだ」という雰囲気がよく伝わってきた。でも誰がどう考えてもその仕事はその部署がやるべき内容だったので、お詫びを兼ねて一度その人のオフィスに直接お邪魔することにした。

メールの感じからその人を恐れていた私はすごくドキドキしたけれど、実際に会ってみたら「あははは、いつもどうも」と、まるで先日のメールのことを忘れているような陽気な態度だった。しかも私が謝りながらもう一度お願いしてみると、「ああ、そう言われればそれはうちの仕事かもしれないね。じゃあ、こっちでやっておくから安心して。」とすんなり承諾してくれた。

その人のオフィスを出たあと、正直言って「なんだったんだろう?」と思ってしまった。

あんなに気さくでやさしそうな人が、どうしてあんなキツい口調のメールを書いてきたんだろう?

私の頼み方が癇に障った?
それとも、たまたまあの日は虫の居所が悪かった?

その時の私にはその答えが全然分からなかった。

けれどその人と一度顔を合わせてからは、私のメールにいつもやさしく答えてくれるようになった。

その人の例が示しているように「手紙」ではなく、「メール」「テキスト」「ソーシャルメディア上」で何かを書くとき、人は信じられないくらい意地悪になれるものだと思う。

ある心理学者の研究によると、1)何を書いても罰せられたり、友達をなくしたりという状況に繋がらないので、平気で中傷コメントが書ける。2)実際に会ったり電話で話したりするのと違って相手の反応が直接見れないので、その「相手の反応が分からない」という不安から強気にでてしまう。3)またはその逆で、相手を故意に傷つけることで自分の優位性を感じたい。というような理由があるそうだ。

そしてこれらの理由から「誰でも」中傷メールやコメントを送り得るらしい。

以前Youtubeでスマイリーキクチさんと言うお笑いタレントの中傷被害事件のビデオを観たことがあった。その中で私が一番驚いてしまったのは、それらの中傷メールを毎日送っていたのが、スマイリーキクチさんに恨みを持っていた人ではなく、彼とは全く接点のない一般の人達だったということだった。

普段は普通に会社に行ったり友達とお茶をしたりしているOLの人が、家に帰るとパソコンに向かって「スマイリーキクチ死ね!」とか「おまえには生きている資格はない」とか打っていたのかと思うと背筋が凍るような思いがした。

これらの中傷メールがどれくらいスマイリーキクチさんを苦しめたか、彼の恋人や家族を傷つけたのかを想像できなかったのだろうか。

そう言う話を聞くとどうしても「人間て怖いな」と思ってしまう。

普段は「すごくいい人」で通っているような人が、自分が誰だか知られないようなソーシャルメディア上では酷いことが平気で書ける。

それはある意味、ソーシャルメディア上での意地悪なコメントが人間の本当の姿を表しているのかもしれないと思ったりする。

人間は自分に何の害も及んで来ないと分かった時、本当の自分になれるということなのかもしれないと思った。

でもちょっとそれは悲観しすぎかな、、、

とにかく私達は文章でちょっとムッとするようなことを言われると、ついつい攻撃的になりがちだと思う。

そしてメールやテキストはその場ですぐ返事ができてしまうので、そのムッとした感情をそのまま返事の中で書いてしまうことが多い。

だからある投稿やコメントを読んで「カチーン!」と来たら、まず深呼吸をしてみたらいいと思う。

そして何度も何度もその酷いメールやコメントを読み、どうしてその人がそんな事を書いたのかを考えてみる。

そしてその返事をすぐに出すのではなく、必ず一定の時間を置いてから出す。

これらは例の心理学者が提案していたことでもあるのだけれど、これを世界中の人が試してみたら無駄に人を傷つけるコメントが激減するんじゃないかと私も思う。

なんて、そう簡単にいかないのが現実なのだけれど、、、

そう、

現実には酷いコメントを送ってくる人は世の中にまだたくさんいる訳だし、私のところにもこれからたくさん来るかも知れない。
でも私は一ブロガーとしてそんなコメントに振り回されない強さを持ちたいなと思う。

そういうコメントを読んだ瞬間は心臓を銃で撃たれたように「ドキーン」としてものすごく落ち込むのだけれど、でもいじめと同じように当の本人はきっとそんなコメントを送ったことさえ覚えていなのだろうから、そんな事でこっちがグジグジ悩む方が時間の無駄だと思う。

そんな人達に時間を費やすよりも、いつもこのブログを楽しみに読んで下さって、そして誠意のこもったコメントを下さるみなさんのためにこれからもがんばって書いていこうと思います。

みなさんどうか今後とも「ほっぺ と ほっぺ」をよろしくお願いいたします。



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いただいたコメントへのお返事です



コメントを下さったみなさんへ、

本当にたくさんのコメントをありがとうございました。

「あゆみさんへ」とあゆみさんからいただいたコメントへの返事を書き始めたのですが「うーん」と考えてしまい、やはり皆さんのコメント一つ一つにお返事を書くのは時間的に無理かもしれないなと思い始めました。
ですので大変失礼なこととは思ったのですが、まとめてのお返事になってしまうことをお許しください。

皆さんそれぞれが色々なことを考え、時間をかけてコメントを下さったのに本当に申し訳ありません。

でも時々個人的なお名前を挙げてお返事をすることがあるので、その点もご了承下さい。

さて、みなさんのコメントを読んで思ったことは、多くの方がおっしゃっていたようにこれはもう本当に価値観の問題なのだなということです。

そのサイトのお母さんにとっては子供をバイリンガルにすることや一流の企業に就職させることは子供を育てる上でとても大切なことで、そのためには自分の時間や労力を費やす事も当然と思えた。そして思い通りに子供をバイリンガルに育て上げた自分は「勝ち組」である。

そんな彼女に対して音楽の能力を重視しているお母さんは「あなたのお子さん達はバイリンガルかもしれないけれど、ピアノを弾けないわよね。」とかスポーツを重視しているお母さんは「例えバイリンガルでもスポーツができないんじゃ、、」と言うかもしれない。

でもそのお母さんにとってはそんな批判は痛くも痒くもない。なぜなら彼女にとってはバイリンガルであることの方が、ピアノを上手に弾けたりスポーツができることより価値のあることだから。

それと同じように、ピアノお母さんやスポーツお母さんにとってはバイリンガルであることは「二カ国語できるに越した事はないけど、、、」程度のことに過ぎないのかもしれない。

だからこれはもう、どうするのがベストなのかというような答えはなく、それぞれの家庭の価値観で決めればいいだけのことなんですよね。

ただ今回のバイリンガル命のお母さんのように「私はできましたけど、どうしてあなたはできないの?」というような上から目線の態度はやはりいただけないなと思いますが。

毎日の子供の時間、親の時間、そして子供の教育に使える費用というのは限られているので、どんなアクティビティを優先してその時間を使うかというのは、親なら誰でも悩むところですよね。

そのサイトのお母さんは、平日は毎日30分から1時間、週末はほとんど一日中子供にぴったりついて勉強をみてあげていたと言っていました。

子供をバイリンガルにするというのはそういうことなんだなと私も思いました。

ただ二カ国語をペラペラ話せるようにするには、親も子もそんなに努力は必要ないのかなと思います。(うちはそれさえもできていないのですが、、、)

でも何が一番大変かというと、読み書きなんです。

特に日本語は漢字があるので、子供への負担もとても大きいです。

ノッコは今補習校の年長さんでそんなに宿題も多くないのですが、4月から一年生に上がったお友達は、読み取りシート、作文シート、漢字書き取りシートと毎週15ページ程度の宿題が出るそうです。

まだ6歳ですよ。

その子のお母さんは日曜日の半日を使ってそれの3分の2を終わらせ、平日に残りの3分の1を終わらせると言っていました。それに加えてもちろん現地校の宿題も毎日あります。

うちは毎日ノッコを5時半頃アフタースクールから連れて帰り、それからご飯を作って6時頃に食べさせ、7時頃から現地校の宿題をするのですが、ノッコはその宿題にいつも一時間ぐらいかかってしまうので、8時にはお風呂に入れてそのまま寝てしまうというパターンが多いです。

ですので、どう考えてもそれに加えて日本語の読み書きを教えるというのは現実的とは思えないのです。ノッコも相当疲れていますし。

それにhurumskiさんや mimi10さん、そして他の方もおっしゃっていたように 言語習得は個人差があると思うのです。同じ環境の中で育っても、兄弟でバイリンガルの度合いが違ったりしますものね。

ノッコは元々「自分が何を考えているのかを知って欲しい」「自分の思っている事を伝えたい」という願望が他の子供より強くないタイプなので、毎日学校で何があったのか、そのイベントに対してどう思ったのかなどをほとんど話してくれません。
無理やり聞こうとすると「うるさいなぁ」と言われてしまいます。

だからノッコが4歳で日本にいった時に、一ヶ月間日本語のテレビを見続け、周りの人の日本語だけを聞き、保育園の体験入学を日本語でしたりと、本当に毎日日本語オンリーの環境の中にいながら、それでもほとんど英語だけで通したノッコを見ていて、日本語を話さないのは彼女の「選択」なんだと思ったのです。

おばあちゃん達にも英語で話しかけるノッコに、英語で言ったことを日本語に言い直させたりしていたのですが、それでもダメだったので途中でやめてしまいました。

それにあの時のノッコの情緒不安定さを考えたら、日本語習得に躍起になって彼女のストレスを増やしたくないなとも思えたのです。

なので結局は親が色々な要素を両天秤にかけてみた時に、どちらに重きを置きたいのかということなのだと思うのです。

ノッコのストレスを増やしてでも無理やり日本語で話して欲しいのか、それとも日本語習得にはこだわらず、ただ日本での経験を楽しんでくれればいいとするのか。

私はあの時後者を選び、今はそれでよかったと思っています。

この「両天秤」ですが、最近また考えさせられる経験をしました。

私達の住んでいる地域にはたくさん自然公園があるのですが、その中の一つに化石を採掘できる公園があるんです。

私はそういうのにあまり興味がないのですが、ジョンが行きたいというので子供達を連れて行って来ました。

子供達も炎天下での石拾いなんてすぐに飽きてしまうだろうと思っていたら、驚いた事にノッコも風太も「ママー!またあった!」と叫びながら夢中になって貝殻のついた石を拾っていたんです。

やる気のない私が見つけたのは結局2個だけ。でも子供達はバスケット一杯に化石を拾ってきました。その中で一番貝の形がはっきりしているものを4つだけ選んで持って帰ってきました。

帰りにジョンが図書館でその化石の中の貝がどれくらい古い物なのか調べたいというので図書館に寄ったのですが、ここでも子供達は興味津々で貝の図鑑を見ていたのです。

「この貝はこれに見える」などと話しながらジョンと図鑑を見つめているノッコと風太を見ていて、こういう風に何かの体験を通じてあるものに興味を持ち、それを本で調べるという習慣は子供達にとってとても大切なんじゃないかと思いました。

だから日曜日の午後をこういう化石採掘のような体験に使って欲しいか、それとも漢字の書き取りに使って欲しいかと考えてみた時、私はやはり化石をとるかなぁと思ったのです。

だからそういうことにもっと時間を費やせるよう、バイリンガルは「諦めた」というより「躍起になって強制しない」という結論に至りました。

Popoさん、ハナタロウさん、そしてびすけっとさんがおっしゃっていたように、私もバイリンガルより心の豊かさを優先したいなと思ったのです。

でもこれは私の選択というだけで、別にそれが正しいと主張したい訳でも、バイリンガルを優先する人を批判している訳でもありません。

2カ国語話せたほうが話せないより絶対に人生の役に立つと思うし、その事実を否定できる人はまずいないのではないかと思います。

だからそんなに人生にプラスになることを優先しないと決めた私は大バカ者で、「負け組」なのかもしれません。

がんばれる環境にいながら言い訳ばかりしてがんばらない怠け者なのかもしれません。

でも例え誰かがそう思っても、今は別にかまわないと思えるようになりました。

ほとんどの方がおっしゃっていたように、どんなものでも本人が「やりたい」と思わないと伸びないものだし、今のノッコにとって現地校の宿題に加え日本語の読み書きの勉強をすることは苦痛でしかないようなので、いつか彼女が自分から「日本語を勉強したい」と思える日が来るまで気長に待とうと思います。

今はその時が来た時のために、土台になるリスニングだけでも無理せず続けていけばいいかなと思っています。

みなさん貴重なご意見を本当にありがとうございました。

以下は短いですが、やはりお一人ずつへお返事を書かせていただくことにしましたので、よろしくお願いいたします。

あゆみさん、
あゆみさんの二つ目のコメントには心底笑わせていただきました。あゆみさんのお人柄がよく出ているようであゆみさんが大好きになりました。犬の教育がこんなに子育てと似ているなんて本当に驚きです。そしてブログも拝見しました。二人すごくかわいいですねー!

りんさん、
いつもニコニコして歌やダンスが好きなお嬢さん。とても素敵だと思います。
周りのやさしい人達に囲まれて、いつかお嬢さんも周りの人をハッピーにする大人になるのでしょうね。

卯月さん、
卯月さんも英語の文法がよくできたのですね。
私も英語に初めて触れたのは中1でしたが、すぐに大好きになりました。
だから息子さんもきっと大丈夫だと思いますよ。
私は以前「満語」というモンゴル語に似た言語を勉強したことがあるのですが、モンゴル語は韓国語にも似ているのできっとモンゴル人にとって日本語はそんなに難しくないのかもしれませんね。

Hurumuskiさん、
本当に兄弟でも興味のあることや、勉強の進み具合が全然違ってきますよね。
お嬢さんは中々言語の才能がありそうですね。それに日本のおじいちゃん、おばあちゃんと日本語でコミュニケーションがとれるのはやはりいいなぁと思います。
ノッコたちは、私が勧めなくてもきっとマンガやアニメが好きになりそうなので、そこを狙ってがんばってみようと思います。

ひのきさん、
以前書かれていた「悩んでいた事」という記事、すごく共感しました。お嬢さんがそんな風にスイスイ言語を習得していくなんてすごいですね。現地校の勉強の教え方などを見ていると「ああ、そうやって教えればいいんだ!」と目から鱗になったりすることがあるので、やっぱり私のやり方がいけないのかなと思います。でも今は私もノッコも毎日の生活を維持できればいいという感じで、結構いっぱいいっぱいです。私はノッコにひらがなを教えたりするとついついイライラしてしまうし、「日本語のビデオを見せてね」と頼んでいるのに英語のビデオを見せてしまうジョンに怒ったりしてしまうので、そういう意味でもバイリンガルに力を入れすぎるのはよくないのかなと思っています。でもひのきさんのように、無理せず楽しく言語を習得できる方法がみつかればそれに越した事はないのですけれどね。

けいさん、
そうですね、ノッコにはまだ時期がきてないだけなのかもしれません。
けいさんがアメリカの小学校に憧れて英語を勉強し始めたように、ノッコも何か日本の文化に憧れてくれたらしめたものですね!

Mimi10さん、
本当に、言語習得には個人差がありますよね。うちも風太は人とコミュニケーションをとることが好きなので、もしかしたら日本語も彼の方が伸びるかもしれないなと思っています。

のりさん、
私もどちらかの言語を徹底するという考えに共感します。例えば仕事上などではどちらの言語を使っても全く問題のない人でも、ひとたび芸術方面になるとキツくなるのではないかなと思います。素晴らしい詩人や作家は、例えバイリンガルでも自分の作品をもう一つの言語に翻訳することはできないそうですね。
小さい頃に習っていたピアノの感覚が、大人になってまた始めた時に戻ってきたという経験すごく納得できました。

Popoさん、
そんなこともあるんですね。
言語の負担が学校の態度にもでていたなんて。言葉の習得が子供に与える負担というのは私達が思っている以上に大きいのかもしれませんね。そして私もノッコ達が将来学びたくなった時にもう一度日本語を学べばいいと思っている一人です。

ハナタロウさん、
ハナタロウさんの言いたい事すごく分かります。そして世界を転々とした人がいまわのきわに残した祈りの言葉が幼少の時の言語だったという話、とても感動しました。それはきっと自分のアイデンティティの問題でもあるのかなと思いました。ハナタロウさんのおっしゃる通り日本語補習校は、日本語を教える以外に日本の文化を教えてくれる場でもあるので、その点も含めて子供達には楽しく通って欲しいなと思っています。

びすけっとさん、
きっと「失敗組」に入るだろう私には、びすけっとさんの気持ちがとてもよく分かります。私もかなり「鬼ばばあ」だったので、ノッコもひらがなが大嫌いになってしまいそうで危なかったです。スキューバダイビングやフットボールに夢中になれること、とても素敵なことだと思います。
>私は日本語と英語で両方3番になるよりも、母国語(英語)で1番を取って自己評価を高めてほしい。父親(私の夫)のような自立した立派な大人になってほしい。そう願いながら子育てをしています。
もう同感し過ぎて、これ以上何も言うことがないくらいです。

みなさん、本当にありがとうございました!


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ノッコをどこまでバイリンガルにするか #2



* これは一昨日の記事の続きで、8ヶ月−2ヶ月前のお話です。


私が見つけたそのサイトは、自分の言いたい事を何でも載せられる掲示板のようなサイトで、そこに海外に住みながらお子さん三人をトリリンガル(3カ国語話す人)にしたというお母さんの記事が載っていた。

普通だったらそこで「私はどうやって自分の子供達をトリリンガルにしたか」というような体験談や勉強法が書かれているものなのだけれど、そのお母さんは自分の秘法を教えてくれるのではなく、「どうして自分の子供をバイリンガルにできないお母さんがいるのか不思議で仕方がない」というちょっとビックリな発言をしていた。

そのお母さん曰く、

「世の中には、自分の子供をバイリンガルにさせたいと考えているのにバイリンガルの子に育てられないお母さん達がたくさんいます。私的には、あれは単にお母さん達が怠けているからだと思うのです。ちゃんと毎日気をつけてみていてあげれば、普通はどんな子でもバイリンガルにさせることができるんです。(超要約)」ということだった。

それを読んで私は思わず「スゴっ!」と思ってしまった。
それは完全に読んでいる人達にけんかを売っているとしか思えない内容だったから。

しかもその女性は、お子さん3人を有名な大学に進学させ、一流の企業に就職させたようで、「私の子供達はみんな初任給が一千万円を超える仕事に就いています。」と誇らしげに語っていた。そして「それは子供達が小さい頃、私がしっかり勉強をみてきてあげたからです。」と締めくくった。

それを読んで私は「なんて想像力のない女性だろう」と思ってしまった。同時に「きっと彼女のお子さん達はみんな育てやすい子供だったのだろうなぁ」とも思った。

そのお母さん自身もとても頭がいい人のようで、

「みなさんは毎日子供に歯磨きをさせますよね。それは将来自分の子供が虫歯だらけになって困らないようにですよね。だったら同じように子供が将来2カ国語が話せるようにどうして毎日少しずつ他の言語を教えてあげないのですか?それをしないのは、子供の歯磨きを怠っているのと同じようにその母親が怠慢なだけだと思います。」と例を挙げて説明していた。

彼女の言う事は確かに一理あるかもしれないけれど、でも世の中には毎日少しずつ勉強するだけで2カ国語がペラペラになれる頭のいい子供ばかりではないし、彼女のように恵まれた環境の中で子供に時間もお金もたっぷり使える主婦ばかりが存在する訳ではない。

仕事を二つも三つも掛け持ちして、一生懸命子供達を育てているシングルマザーもいるだろうし、旦那さんがいてもDVだったり、お金にとても細かい人だったりするかもしれない。

それに診断はされていなくても軽度の学習障害を持った子供はたくさんいるし、極端に物覚えが悪い子供もいる。性格がシャイなために人前で二カ国語を話したがらない子供もいるかもしれない。

実際ノッコなどは、八ヶ月勉強していてもひらがなを全部覚えられていないし、シャイな性格ゆえに人前で日本語を話す事はほとんどない。

私も工夫しながら一生懸命がんばっているし、ノッコだって一生懸命がんばっている。

それでもどうしてもできない子供は世の中にたくさんいる。

彼女の言う「他のお母さん達」はこういう部類の人達を対象にしていないのかもしれないけれど、この女性のような恵まれた環境にいる日本人のお母さん達が世界に何人いるというのだろう。

彼女自身がそういう厳しい環境の中で子育てをし、もの覚えの悪い子に毎日ひらがなを教え、それがどんなに大変なことかを理解した上でそういうことを言って欲しいと私は思ってしまった。

それに彼女の中にある「子供をバイリンガルにできなかった親は子育ての失敗者」というような考え方にもすごく抵抗を感じてしまった。

子育てがうまくいったかどうかを計る物差しなんて千通りもあるし、それは子供の人生が終わるまで誰にも分からないものなのに。

それにそういう物差しは、それぞれの親、それぞれの子供によって違って当然だし、その一部にすぎない「バイリンガル」という項目だけを取り上げて子育ての善し悪しを決めようとするなんて。

実際彼女は「子供をバイリンガルにする」「一流企業に就職させる」ということだけを生きがいにして子育てをしてきたようで、それ以外のことは全て二の次だったようだ。

でも「バイリンガル」なんて「心のやさしさ」や「創造性」に比べたら本当にどうでもいいことなのに、、、


と、ここまで考えて私はハッとしてしまった。

(私ったら、今まで何をやってたんだろう、、、)

(これじゃ、私もこの女性とほとんど変わらないじゃない!)

そう思ったら急に自分の頭を「バカバカバカ!」と殴りたくなってしまった。

「バイリンガル」なんて、子供の成長のためには本当にどうでもいいことなんだ。

子供には、他にも養うべき大切な要素がもっともっとたくさんあるのだから。

例えば「人の気持ちが分かる」とか「決めたことはきちんと最後までやり通せる」とか「自分の頭で考えることができる」とか。

だから子供達の持つこれらのクオリティーを引き延ばしてあげることの方が、よっぽど親として大切な仕事なんだ。

だって「バイリンガル」なんて、別に子供が大きくなってからなろうと思ったってなれるものだもの。

実際私も小さい頃全く英語とは縁遠い環境の中にいたけれど、大人になってから一生懸命英語を勉強したお陰で今では「バイリンガルです」と言える言語能力を持っていると思うし。

だからなにも子供の頃にギューギュー押し込まなくても、大人になって本人が勉強したくなったらさせてあげればいいんだ。

その方がよっぽど本人もがんばれるかもしれないし。

だから、

私は心を改めることにした。

ノッコと風太をバイリンガルにすることにあまり拘らない。

そりゃ今でも二人がバイリンガルになったらいいなと思うし、子供達ががんばりたいと思う所までサポートしたいなと思うけれど、でももしも「バイリンガルになること」がノッコと風太自身の目標でないのなら、もう無理してそれを強制するのはやめようと思った。

私の言っていることが分かれば、無理して日本語を話さなくてもいい。

がんばってだめだったら読み書きができなくてもいい。

日本語補習校もできれば続けて欲しいけど、もしも土曜日をサッカーの練習に当てたいのであれば、補習校を辞めてもいい。

そう、

もっともっと肩の力を抜いて、長い目で子供達の成長を見守っていこう。

そう思った。

私は今回その「バイリンガル児命」のお母さんを目の当たりにして、正直自分の子供には彼女のような価値観を持った大人にはなって欲しくないなと思ってしまった。

だから私はその女性を反面教師にして、これから子育てをしていこうと決めたのだった。

                                    ◇



「子供に夢を託す」

「子供の将来を思って、、」

これらは確かに響きのいい言葉だけれど、でも「だから子供をコントロールする」という態度に繋がりやすい危険性も持っていると思う。

そして「子供の将来のため」とがんばりすぎているお母さん達は、それが本当に子供のためなのか、自分のためなのかを問い直してみる必要があると思う。(もちろん私も含めて)

ノッコには、勉強、スポーツ、性格と全てにおいて抜出ていて欲しいという夢を持っていた以前の私。

それが次第に「せめて勉強、スポーツ、性格が平均的であればいい」に変わり、

のちに「ノッコがノッコらしく、何かを楽しんで一生懸命やってくれればそれでいい」に変わった。

だから今回の「ノッコをバイリンガルにしてあげたい」という夢も、そんな軌道修正が必要な項目の一つに過ぎないのだということにようやく気が付いた。

軌道修正。

それは文字通り、目標を持ったレールの方向を変えてまた走り出す事。

ノッコが3歳になったとき、4歳になったとき、そして5歳になったとき、

悩み、失望し、考え直していつも「私が」変わってきた。

ノッコはただ、ノッコらしくいつも真っすぐに生きてきただけ。

そしてこれからノッコが7歳になったとき、8歳になったとき、

また私の軌道修正が必要になっていくのだろう。

でも今は、

そんな軌道修正することさえも楽しめるクールな母親になれたらいいな、なんて思っている。


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ノッコをどこまでバイリンガルにするか #1

* これは8ヶ月−2ヶ月前のお話です。


私は子供ができてから、

「子供って本当に親の思い通りに育たないものなんだな」とつくづく思ようになった。

それは風太のトレイトレでも思ったし、ノッコの最近の行動を見ていてもそう思う。

どんな人でも、子供を持った時からその子に対する夢や希望は抱くものだと思う。


やさしい素直な子に育って欲しい。

好奇心の旺盛な、創造性のある子に育って欲しい。

お友達にいつも囲まれているような面白い子に育って欲しい。

勉強もスポーツもできる子に育って欲しい。


望むものはそれぞれ違うかもしれないけれど、どの親もそんな夢を託して大切に子供を育ててゆく。

そして親のコントロールできる範囲で生活している乳児を見ていると、ついついそんな夢も叶うような錯覚に陥ってしまう。

けれどその子の自我が目覚める2歳半ぐらいになると「あれ?今までと違う」と思うことが多くなり、「どうして私が思うように行動してくれないのだろう」とイライラしたりがっかりすることも増えてくる。

そしてそんな壁にぶつかる度に、もう自分の子供は親がコントロールできる範囲から飛び出して、その子にしか持てない人格や性格を形成し始めているのだと徐々に気付き始める。

そしてそんな子供の成長を助長するために、今度はコントロールしようとしていた自分の方を変えていかなければいけないことを自覚する。

                                 ◇


私はノッコ達を養子に迎える前から「子供達をバイリンガルにしたい」という夢を持っていた。

アメリカで日本人の母親に育てられるのだから、そう思うのは当然では?

そんな風に感じていた。

そしてそれは必ず叶えられる夢だとも思っていた。

私が毎日日本語で話しかければ、、、

毎年子供達を日本に連れて行ってあげれば、、、

日本語補習校に通わせれば、、、

そうすればきっとノッコも風太も自然にバイリンガルになるのだと、当時の私は信じて疑わなかった。

けれど今年の2月頃。

ジョンと夏休みの計画について話しあっていた時のこと。

ジョンは例年のように海外への長期出張が決まっていたので、その間私は子供達とどう過ごすかについて考えていた。

「できたら日本に行きたいなぁ」

「そうだね。そうしたら僕も後で合流できるし。」

「今年の夏でノッコは6歳、風太は3歳でしょ。今回日本にまた一ヶ月ぐらい滞在できたら、二人の日本語もぐっと上手になると思うんだよね。」

「そうだね。」

でも我が家の経済状況は相変わらず厳しい状態で、家族4人で日本にいくお金を捻出することなど到底無理な話だった。

でも今年を逃したらノッコの言語習得適例の年齢が終わってしまいそうで、私はちょっと焦っているような部分があった。

風太も3歳で、彼の脳がまだ柔らかいうちに(何が柔らかいのか分からないけれど、なんとなくそう思っていた。)日本語オンリーの環境の中で、無理なく日本語を習得させてあげたいと思っていた。

「今年を逃したら、もう二人は、、、」

そう思うとどうしても日本に連れて行きたい気持ちを抑えられなかった。

「さわこが今年行くのがベストだと思うなら、銀行からお金を借りて行ってくれば?」とジョンは気軽に言った。

そんなジョンのやさしい気持ちはうれしいけれど、でも私はやはり十分な貯金もないくせに自分たちが楽しむ為にお金を借りてまで日本に行こうとはどうしても思えなかった。

じゃあ、アメリカ国内に残って何ができるだろう?

普段から私は子供達に日本語で話しかけるようにしていたし、ビデオもできるだけ日本語のもの、絵本も私が読む時は日本語の絵本を読むようにしていた。

けれどノッコも風太もほとんど英語でしか私と話してくれない。

だからもしもアメリカ国内にいて「日本語サマーキャンプ」のようなものが受けられる学校があったらいいなと毎年思っていた。

そこで早速そんな学校があるかどうか調べてみたけれど、子供を対象に行っているもところは一カ所も見つからなかった。

じゃあ、日本人の家庭教師を雇い、ノッコの補習校のお友達を集めて自分の家でサマーキャンプをしたらどうだろう?

そんなことを考えて補習校のお母さん数人に聞いてみたけれど、みんなうちからかなり離れた所に住んでいたのでちょっと無理そうだった。
それに「この人なら」と思える日本語教師の人も見つからなかったので、この計画はダメになってしまった。

ここへ来て私は、今住んでいるこの地域で、子供達が毎日学校と家庭の両方で英語を話すこの環境にありながら、ノッコと風太をバイリンガルにすることの限界を感じ始めていた。

でもせっかく日本人の母親を持っているのだから、できれば二人を日英のバイリンガルにしてあげたい。

他に何かできることはないのか、、、

そう思いながら色々バイリンガル育児のブログを読んでいたら、ある一つのサイトにぶつかった。



* すみません、ちょっと長くなるのでここで一旦切らせていただきます。
* 今コメントをいただくと、もしかしたらこれから書こうとしている内容と重複してしまうかもしれないので、申し訳ありませんがこの記事の続きを書き終わるまでコメント投稿はお待ち下さい。


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ご報告:日本語補習校の駐車場の件



本当は皆様を「なーんだ」とがっかりさせたり、「どうして?」とイライラさせたりしてしまうかなと思い、ちょっと報告をするべきかどうか悩んだのですが、あんなに色々な方が親身になってアドバイスをして下さったので、やはりとりあえず日本語補習校の駐車場の件がどうなったのかご報告しておこうと思います。

本当は先週補習校の方と話すつもりだったのですが、たまたま秘書の方がお休みを取られていたので、今日話しに行って来ました。

「やはり自分は施設のパーキングパスを持っているので、ビルの前の駐車スペースに停めたいのですが」と話してみると、

「朝と午後の送迎ラッシュの時だけでも、遠くに停めてもらえないでしょうか?」とお願いされました。

そこで「それでは遠くの駐車場まで2回往復することになるし、機材等もあって不便なんです。」とちょっと強めに訴えてみました。

すると「そうですか、、、。ではPTAの理事と校長と相談してからお返事させていただきます。」と前回のような感じで言われたので、

「あの、もしもそれで都合が悪いようでしたら、申し訳ないのですが〇〇施設の方に直接話してもらえないでしょうか。」と言ってみました。(Yuさん、ありがとうございました!)

するとその秘書の方もちょっと困ったような顔になって、

「わかりました。ではそのように校長と理事にも伝えておきます。」とおっしゃいました。

私はそのまま車をビルの前に移動しに行ったのですが、

本来は「よかったぁ」と思うはずのところを、

なぜか

少しもうれしいと思えなかったのです。

ものすごく後味が悪く、せっかく晴れて近くの駐車場に停められるようになったというのに少しも「やったー!」という気にはなれませんでした。

それどころか、

「これは本当に自分の望んでいたことなのか?」

と自問し始めてしまいました。

もしもこれが、「いじめっ子ママにたった一人で立ち向かう」とか「補習校の汚職を暴く」とかいうカッコいい内容だったら、きっとどんなに敵を作っても、どんなに他人を不快にしてもある程度の達成感は味わえたのだと思うのです。

でも今回の「自分の特権を振りかざすために他人を不快にする」という点が、やはり私にはダメだったようです。

あの秘書の方の困った顔、安全当番さんの苦い顔、周りを行く人の「あれっ?」という顔。

あんな顔をされながら、それでも「これは私の権利だから」と平然とあのスペースに停めてゆける勇気も願望も私にはないことが分かりました。

一生懸命「がんばって」と応援を下さった方、ご期待に添えず申し訳ありませんでした。

あんなに色んなアドバイスを頂いて強気になっていたのに、やはり私はへたれでした。

でもやはり自分の中で抵抗のあることを、無理して貫いてでも便利さを得たいとはどうしても思えなかったのです。

自分から補習校の対応に文句を言っておきながら、どうしようもない結末になってしまいましたが、これが今の私の素直な気持ちです。

みなさん、親身なアドバイスをありがとうございました。

とても感謝しています。

とりあえずご報告まで。



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ノッコとひらがな:もう最悪の相性!


* これは7ヶ月前のお話です。


当時私が、タヌキの荒らしたゴミ置場をそうじするよりも、風太のうんちのついた下着を手洗いするよりも、徹夜で仕事のレポートを書くよりも、もっと「やりたくないー!」と思っていたことに「ノッコにひらがなを教える」というのがあった。

だってノッコとひらがなの相性といったら、

まるで「猿かに合戦」の猿とかに。

睨み合ってばかりで、少しも仲良くなれない。

以前少しだけノッコにひらがなを教えてみたことがあったけれど、もう泣く叫ぶの連発で、結局20分勉強しても一個も覚えられなかった。

でも今年に入ってから日本語補習校でひらがなの勉強が始まり、先生に「お家でも時間のあるときにお子さんと一緒にやってみて下さい。」と言われた私たち。

キンダーガーテンに入ってアルファベットはなんとか覚えたようなので、少しずつならひらがなを勉強し始めてもいいかなと思った。

そうすれば6歳になる前にひらがなの半分ぐらいは覚えられるかな、なんて淡い夢を抱いてみたのだが、早速フラッシュカードを作って始めたところ、、

ノッコったら、

本当に一個も覚えられない!

「あ」は覚えたかな、と思って次の週に「これは何だっけ?」とフラッシュカードを見せると「忘れちゃった、、、」と舌を出す。

結局3週間がんばったけれど、かろうじて「い」と「う」が覚えられたかなと言う程度で終わってしまった。(しかもこの二つまでもが怪しい)

他の人はどうやっているのだろうと思い調べてみると、多くの人が「お風呂にひらがな表を貼って“これは何?”とやっていたら覚えてしまった」と言っていた。

なので早速私も、日本で買っておいたひらがな表をお風呂に貼ってみた。

最初は喜んで「あいうえおー(バイキンマン風に)」とやっていたノッコと風太だったけれど、それも一週間もしないうちにポイ。

冷蔵庫とトレイに貼ったひらがな表も、まるでそこに存在しないかのように無視状態が続いた。

アンパンマンもしまじろうのビデオも、お風呂や冷蔵庫の貼紙も全く効果なし。

どうしたらいいんだろう、、、。

そんな行き詰まったある日、ひらがな一つ一つにイラストを付けたものを使うとよい、と書いてあるサイトを発見したので早速それを使ってみることにした。

ちなみに、そのイラストはこんな感じ。

hiragana i



hiragana ka




「ノッコちゃん今日はひらがなに絵が付いてるんだよ。見てみる?」

「うん!」

絵があると、途端にやる気を見せるノッコ。

しかもその日は、ひらがなを10個覚えたら公園に行ってソリ遊びをしてもいいことになっていたので、ノッコは俄然はりきっていた。

「あ for ice skating.」

「あ for ice skating!」

「い for ears.」

「い for ears!」

私の言った言葉を大声で復唱するノッコ。

なんだかとっても楽しそう。

いつもは集中力がなくて全然覚えられないのだけれど、今回はソリ遊びがやりたいばかりにやる気満々らしく集中力もばっちりに見えた。

そして一通り絵をみて復唱したあと、いよいよ確認の時間。

「ノッコちゃん、これはなんだっけ?」

「“え” for ice staking」

「ほら、“ア・イ・ス”だからさ、“え” じゃなくて “あ” だよ。」

「そっかぁ、、、」

「じゃあ、これは?」

「“み” for みみ!」

「これは “い” for earsだよ。そこで急に ”ears” を日本語にしなくていいからね。イヤーズだからね.」

「わかった。」

「じゃあ、さっきのこれは?」

「“す” for ice skating」

「だからさぁ、ア・イ・スでしょう。だから “あ” だよ。アイスは “あ” の音で始まるんだから。これはみんなイラストの最初の音がひらがなになってるんだよ。」

「わかった、、、」

「じゃあ、これは?」

「“い” for みみ」

「うーん、“い”は合ってるんだけど、“みみ” の中に “い” の音は入ってないでしょ。”い” for ears だよ。」

この辺で私は、ノッコがこのイラストを使って勉強する意味を全然理解していないことに気がついた。

これじゃあ、いくら説明しても無駄かな。

そう思ったので、こうなったら何回も復唱してノッコに "身体で“ 覚えてもらえるようにがんばろうと思い、とにかく「あ for ice skating」「いfor ears」を歌のように何回も繰り返した。

すると絵のイメージが頭に入ったらしいノッコは、イラストを見て「Ice staking」とか「ears」とか言えるようになった。

なので「そうそう、その最初の音がわかれば、それがそのひらがなの音なんだよ。」と教えてみた。

もうジョンと風太が2階で首を長くして待っているので、当初の「あいうえお、かきくけこ」の10個を覚えさせる計画は諦めて、「あいうえお」の5個だけでも覚えられたらその日はよしとすることにした。

「いい、ノッコちゃん、“あいうえお” ができれば、ソリ遊びに行けるからね。がんばれるかな?」

「うん、ノッコできるよ!」

「よっしゃー! じゃあ、これは?」

「い for ears!」

「そうそう! じゃあ、これは?」

「え for exercise !」

「いい調子! じゃあ、これは?」

「お for on the green!」

「すごい! あと二つだよ。これは?」

「あ for ice skating!」

「いいゾー! ノッコちゃん! これで最後だよ。これができたら終わりだからね。」

「イエーイ!」

「さあ、じゃあ、これは?」

「あっ、、」

その時、

ノッコの今までの勢いが、風船みたいにしぼんでいくのが分かった。

「あー、あー、えっと、、、あー」

(なんだよノッコ、ここへ来てまた振り出しに戻るかぁ、、、)

「ちょっと待って、ノッコ知ってる! えっと、、、」

そのイラストを睨みつけるように、ノッコは前屈みになった。

「ノッコ知ってるんだってばぁ! えっと、、、」

何かを絞り出すように、ノッコの顔も険しくなった。

「えっと、、ほら、、えっと、、、」

と、ノッコがお尻を持ち上げたその瞬間、、、

「ぷぅー」




なんとも申し訳なさそうな音が部屋中に響いた。

(えっ? 何、今の?)

私は途端に吹き出し、笑いで涙を流しながら、

「これは “ぷ” じゃないよ、ノッコちゃん。」 と言うと、

「ヒーッ、ママやめてー!」

ノッコもソファーに顔を埋め、お腹を抱えながら笑っていた。

それからは二人で「もうこのままじゃ死ぬ」というくらい笑ってから、ノッコが

「わかった!ノッコわかったよ。それは“う” for Ooh heavyだ!」とようやく正解を出した。

ブラボー、ノッコ!

結局45分かけてひらがなを5個おぼえたノッコ。

確かひらがなは全部で46個。

更にカタカナも同じ数だけあるはず。

そう考えると気が遠くなりそうだけれど、でも5個だけでもノッコにはすごい進歩だなと思うことにした。

そしてそんな「進歩」なんかよりもっと大切なのは、こんな風にノッコが笑いがら何かを学んでいくことなんだと思った。

いつもはイライラした私にガミガミ言われながら泣きべそをかいて勉強しているノッコが、今日は本当に楽しそうだった。

だからこれからは私も、もっとノッコの笑顔が見られるように工夫しながら勉強を教えていきたいなと思った。



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育てられないのに子供を次々に産む女性達

*これは約8ヶ月前のお話です。


ある日、いつものように通勤中の車の中でラジオを聞いていると、ちょっと興味深い特集が放送されていた。

それはバーバラ・ハリスという人の経験談。

その女性にはすでに二人の男の子がいたけれど、どうしても女の子が欲しかったバーバラはご主人と相談したあと思い切って養子縁組をすることに決めた。

そしてその数ヶ月後、待望の女の子の赤ちゃんが紹介された。

けれどその子の産みのお母さんはドラッグ中毒者だったので、赤ちゃんにもドラッグの影響が出ていたそうだ。

ようやくその赤ちゃんを家に連れて帰り育児を楽しんでいると、その数ヶ月後にまたエージェンシーから電話があり、その産みのお母さんがまた男の子を生んだと知らされた。

その子も養子に迎えるつもりで病院に迎えにいくと、その赤ちゃんもドラッグの影響を受けていることがわかり、やはりしばらく病院に入院した。

その数ヶ月後にまた女の子が生まれ、一年後にまた男の子が生まれた。

結局バーバラと旦那さんは、同じ産みのお母さんから合計4人の子供を養子に迎えたのだった。

そこでバーバラは考えてしまった。

(どうしてこんなことが繰り返されていいのだろう。)

(どうして明らかに育てられないことが分かっている女性が、こうして何人も子供を産むのだろう。)

そんな疑問からバーバラは、ドラッグ中毒の赤ちゃんを産んでしまった女性に避妊薬を飲むことを義務付ける法律を州に作らせようと動き始めた。

けれどその法律の申請は却下されてしまったので、今度は自分でドラッグ中毒者に300ドル払って不妊治療をさせたり避妊薬を飲ませたりする非営利団体を立ち上げた。

その団体のウェブサイトはこちら


「望まない子供を7人も8人も産んで、結局一人も自分では育てることができず全員州に取り上げられてしまう。このことはその母親にとってもその子供にとってもいいことなど一つもないのです。だからそれならいっそ、本人の承諾を得て事前に妊娠できない身体にしてしまったほうがいいのではないかと考えたのです。そして私達はドラッグの影響を受けて生まれてきた子たちの身体的、精神的な負担を一番に考えているのです。」

バーバラはラジオのインタビューの中でこう言っていた。

現在このサービスを利用して不妊手術を受けたり避妊薬を飲んだりした人は3千人以上いるそうだ。

私はラジオでこの特集を聞いたときは「いいのではないか」と思っていた。

ドラッグ中毒者本人が「もう妊娠したくない」と望み、でもお金がないから不妊手術を受けられないというのであれば、その手助けをしてあげる団体があってもいいと思った。

実際4人も子供を生み、その一人も自分で育てられなかったジェシカは自ら不妊手術を受けていた訳だし。

けれど家に帰ってからバーバラの団体について調べてみると、この団体がかなり世間の批判を浴びていることを知った。

その一番の理由は、この団体が貧しい地域の女性ばかりをターゲットにしていたこと。

貧困地域にばかり広告のビルボードを立て、ストリートに住む女性にばかり「不妊手術をしたくありませんか?」と訊く。

そういう団体の姿勢が差別的だと非難する人がたくさんいた。

けれど現実問題としてドラッグ中毒者は貧困層に一番多いわけだし、お金持ちの中毒者は自分でお金を払って不妊手術を受けられるので、バーバラの貧困者をターゲットにしたやり方はある程度仕方がないのではないかと私は思った。

けれどバーバラをサポートしたいと思う私のそんな気持ちも、彼女のインタビューを見て180度変わってしまった。

テレビのインタビューの中でバーバラは、こともあろうにドラック/アルコール中毒の女性達を「犬(しかも野良犬に近いもの)」呼ばわりし、「そういう犬達にボコボコ子犬を産んで欲しくないんです。だから私達はそういう犬達が妊娠しないようにスプレーをかけたり、避妊手術をしたりするんです。」と言ってのけた。(後に彼女はこれは別の人が言った言葉を引用しただけと言っていたが、、)

その口調はまるで、ドラッグ中毒の女性達に対して嫌悪感を感じているかのような言い方だった。

(これじゃ、叩かれても仕方ないかなぁ)と思っていると、彼女の団体を批判し、抗議しているビデオを後日みつけたのでそれを見てみた。

そのビデオはこちら(英語のみ)

そこには、以前ドラッグ中毒だった頃に子供を産んだ4-5人の女性とその子供たちが映し出されていた。

ビデオの中のお母さん達は、バーバラのやっていることは自分達のような女性に「あなたには子供を産む資格がない」と言っているのと同じだと非難していた。

そしてバーバラはドラッグの影響を受けた子供を「ダメージを受けた子供」と呼んでいたけれど、ビデオの中の子供たちはみな健康で優秀な子ばかりだった。

(ちなみに現在の医学のリサーチでは、ドラッグが子供の身体/精神に与える確実な悪影響はまだ証明されていない。)

なのでこのビデオに出ている女性達の訴えようとしている「私達は間違いを犯したけれど、それでも悪い母親という訳ではない。」という点が私にも理解できた。

誰でも間違いは犯すものだし、実際そんな間違いを犯したジェシカが更正した様子や、彼女がどれくらい彼女の子供たちを愛していたのかをこの目で見てきた私には、「私達にも子供を愛する権利はある」と訴える彼女達の気持ちがよく分かった。

けれど、

それでもこういうビデオにはやはり問題があるなとも思わずにいられなかった。

なぜなら、こういうビデオに出てくる女性はたいていただの「例外」にすぎないから。

バーバラの言うように、ドラッグ中毒の女性の大部分は更正せずに子供を産み続け、それらの子供たちは施設に送られ高校も卒業せず犯罪者になる確率はとても高い。

だからこのビデオに出てきたような素敵なお母さん達、成績優秀な子供たちはある意味とても稀で、バーバラの言う女性達を代表しているとはどうしても思えなかった。

ほんの一部の成功した人達を集めて「こういう人達もいる」と抗議するのはいいと思うけれど、その一部の人達を使って「だからバーバラの言っている事は間違っている」と訴えるのは少し違うように思った。

ビデオの中のお母さんたちの言うように、ドラッグ中毒者をリハビリしてあげることがもちろん一番効果的な解決策ではあることは私達も知っているけれど、実際それには莫大なお金がかかるし、そのプログラムのために自分の払う税金を使いたい人がどれくらいいるのかと言ったらそれも疑問だと思う。

だからバーバラのように、

現実を現実としてしっかり見据える目をもつこと。

それはとても大切なことだと思う。

そしてその中で自分には何ができるのかを考え、実行する。

そういう彼女の姿勢はけして悪いものだとは思わない。

ただ、バーバラのドラッグ中毒者を見下したような態度はやはりいただけないなと私も思う。

あるインタビューで、「どうしてドラッグ中毒の産みのお母さんたちを敵視するのですか?」という質問に対してバーバラは、「病院でドラッグと闘う赤ちゃん達をみて、そんな赤ちゃんを産んで逃げてしまうお母さんに非常に腹が立った」と答えていた。

私も病院で初めて風太の苦しむ姿を見た時、バーバラと同じように腹が立った。

どうしたらお腹の中にいるわが子にこんなことができるのかと。

けれどそんな見知らぬ産みのお母さんとジェシカの姿を重ねてみたら不思議と怒りも治まってしまった。

風太の産みのお母さんもジェシカのような人なのかもしれない。

そう思ったら風太の産みのお母さんを「漠然とした影」ではなく、一人の「人」としてみることができるようになった。

そしてもしも風太の産みのお母さんに会うことができたら、彼女に対する私の印象も必ず変わると思うことができた。

人には、

人にはそれぞれ事情というものがある。

みんながみんな幸せな環境の中で育ってきた訳ではないのだから。

だからドラッグ中毒者の現状を軽蔑するだけでなく、どうして彼女達がそうなってしまったのかというところまで考えてあげる必要があると思う。

バーバラが今やっていることは確かに社会貢献に違いないのだけれど、でもそういう「他人の事情」をあまり理解しようとせず、中毒者達の立場にたって物事を見れない彼女のやり方では、やはりうまくいかないのかなと思ってしまった。



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ノッコの日本語補習校とモヤモヤ感

* これは約8ヶ月前のお話です。


2014年の秋から始まったノッコの日本語補習校。

ノッコは相変わらず日本語であまり話したがらず、そのせいかお友達の数はけして多くはなかったけれど、実際クラスでの様子を見ると楽しそうだったのでとりあえずそのまま通わせていた。

そんな風に毎週問題なく通っていた日本語補習校だったけれど、一度だけちょっとした問題が生じたことがあった。

でもそのいざこざはノッコには全く関係ないもので、私と補習校の意見の違いから生じたようなものだった。

ノッコの日本語補習校は、あるビルの一角にあるデイケアを週末だけ借りて運営されているもので、そのビルの中には他にも色々な会社や施設が入っていた。

そのビルは私の職場からわりと近かったので、私はそのビルの中に入っているある施設の会員になっていた。そしてそれを利用するためにその施設の専用駐車スペースの駐車券も購入していた。

それはジムなどのような気軽なものではなく、もっと仕事に関係した専門的な施設だった。だからノッコを補習校の教室に連れて行ったあと、私はその施設で仕事をするようにしていた。

日本語補習校に通う子供の保護者はビルの前にある駐車場に車を停めることはできず、もっと遠くにある駐車場か、お金を払って近くの立体駐車場に停めなくてはならなかったので、以前は私も皆と同じように遠い方の駐車場に車を停めていた。

けれど今年になって仕事用の機材が増えたことと、冬になって本格的に寒くなってきたこともあり、私はビルの前にある施設専用の駐車スペースに車を停めることにした。

そこからノッコを補習校の教室に連れて行き、そのあとそのまま施設に行って仕事をしようと考えていた。

けれどある土曜日にビルの前の駐車スペースに車を停めようとしたところ、安全当番の保護者の方(アメリカ人のお父さん)がこちらに歩いて来て、

「すみません、ここは〇〇施設用の駐車スペースなので駐車は禁止なんですが、、」と教えてくれた。

そこで私はすかさず、

「ああ、ごめんなさい。でも私〇〇施設の会員なので、このスペースの駐車券を持っているんです。」と言って、バックミラーにぶらさがっている駐車券をその人に見せた。

するとその人は、

「ああ、そうだったんですか。すみませんでした」と言って、そのまま行ってしまった。

そして次の週、

私にちょっとした用事ができたため、ジョンにノッコを連れて行ってもらったところ、例の駐車スペースに車を停めても誰にも何も言われなかったと言っていた。

けれどそのまた次の週、

今度は安全当番の人に何か言われる前に説明しておこうと思い、車を駐車場に入れる時に、

「すみません、私この〇〇施設の駐車券を持っているのでここに停めたいんですが。」と断ってみた。

するとその人は、

「ああ、そういうの困るんですけど、、、。周りの人はあなたが駐車券を持っているって知らない訳ですから、どうしてあの人だけここに停めていいのってことになっちゃうんで。」と言った。

でも私もすぐに引き下がらずに、

「ああ、でも私その施設に運ぶ機材などもあって、遠くの駐車場に停めるとどうしても不便なんです、、、。そのためにちゃんとお金を払ってこの駐車券を購入した訳ですし。」と言ってみた。

けれどその人は、

「そうなんですけど、でも周りの人はそういうの分からない訳ですから。」と同じ事を繰り返した。

仕方ないので私も遠くの駐車場に車を停め、そこからノッコを教室に送ったあとまた駐車場に戻り、その駐車場からまた機材を施設に運んだ。

帰りも機材を車に運んでからノッコを迎えに行き、そこから二人でまた駐車場まで歩いた。

家に帰ってからジョンにその話をすると、ジョンは心底驚いた顔をして「なにそれ?」と言った。

「僕には、さわこがその駐車スペースに車を停めちゃいけない理由が全く分からないんだけど」と少し飽きれたような顔をしていた。

私もジョンと同感だった。

私が平日仕事のためにその施設を使う時は、もちろんその駐車スペースに車を停めている訳で、週末に日本語補習校があるからと言ってどうして仕事をするのにそこに停めてはいけないのか。別に日本語補習校がそのビルのオーナーという訳ではないし、そのビル内にある〇〇施設がもうけた駐車スペースにどうしてその会員が車を停めてはいけないのか。

あの安全当番の人の対応は、どう考えても納得のいかないもののように感じた。

「いいよ、今度は僕が行ってちゃんと説明してくるよ。」

ジョンがそう言ってくれたので、次の週はジョンにノッコを補習校まで送って行ってもらった。

どうなったかな、、と少し心配しながら、帰って来たジョンに何と言われたか訊いてみると、

「例の駐車スペースに車を停めたけれど、前回と同じで誰にも何も言われたかったよ。」という返事が返って来た。

(なんなんだー! アメリカ人だったらあのスペースに停めてもいいというのか! それは人種差別というものではないのかい?日本人が日本人を差別してどうする!)と私はすっかり気分を害してしまった。

そしてその次の週に補習校に行った時に、PTAの理事をしている知り合いのお母さんにその話をしたところ、「じゃあ、私が他の理事や補習校の人達に話してみようか?」と言ってくれた。

それから数日経って補習校の秘書の方からメールが送られて来た。

それには「〇〇さんからお話を伺いました。ご事情は分かりますが、やはり一人だけ例外を作るとあとが大変ですし、周りの目もありますのでビルの前の駐車場への駐車はご遠慮下さい。(超要約)」というような内容が書いてあった。

そうなんだぁ、、、。

私だったら、他の人が近くの駐車場に停めていたら「何でだろ? いいなぁ、、」とは思うと思うけれど、「あの人は〇〇施設の駐車券を持っているからよ。」と言われたら「ああ、そうなんだ。」で終わると思うのだけれどな。

しかも重い機材を運んでいる姿を見たら尚更納得できるような気がするのに。

でもそれは他の人が持っていない「特権」をたまたま手にした私の、ただの傲慢にすぎないのかもしれないなとも思った。

普段はそういう特権を持っている人達を非難してばかりいるくせに、いざ自分がそういうおいしい立場になるとついついいい気になってしまう。

そんな人間の心理に妙に納得したり、反省したり。

補習校に子供を通わせている保護者は全員、遠くの駐車場か立体駐車場に車を停めなければいけない。

私もそのうちの一人なんだから、そのルールに従わなければいけないんだ。

確かにノッコの補習校がなければ、週末にあの施設を使う必要は全くない訳だし。

そう思って一生懸命自分を納得させようとしたけれど、

それでもやっぱり、

どちらの言い分が正しいのか、よく分からない出来事だった。



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おせち料理と、、、


2015年のお正月、日本人の知り合いのミサさんに呼ばれて彼女の家に遊びに行って来た。

ミサさんの家はうちからかなり離れていたのだけれど、

「おいしいお節料理をごちそうするわよ」という彼女の一言で、私もジョンも迷わず行くことにした。

私はアメリカに来てからお正月に日本に帰ったことがないので、最後におせち料理を食べたのはもうかれこれ20年以上前になる。

実は子供の頃、私はあまりおせち料理が好きではなかった。

なんとなくどの料理も変に甘かったし、豆だのお魚だの子供にとってはあまり魅力的なものが入っていない印象があったから。

でもそれはきっと料理下手の母が、毎年出来合いのものをスーパーから買ってきて重箱に詰め込んでいたからという理由もあったと思う。

だからアメリカに来て急に日本食大好きになった私にとって、ミサさんの「手作りのおせち料理」はとーっても魅力的に聞こえたのだった。

元旦の朝、高速を一時間半ぐらい走ると郊外のひっそりとした住宅街にミサさんの家があった。

ピンポーンとドアベルを押すと、

「いらっしゃーい!」

とドアの向こうから、ミサさんと旦那さんのディビッドさんが笑顔で迎えてくれた。

そして玄関に入った途端、プーンとカツオだしのような匂いがした。

(あーっ、もう楽しみで仕方がない!)

ワクワクする心を抑えながら、私は二人に続いて家の中へ入って行った。

                                 ◇


ミサさんとディビッドには11歳と8歳の二人のお嬢さんがいた。

今はどちらのお嬢さんもとてもいい子だけれど、昔は下のお嬢さんにかなり手を焼いたとミサさんはよく言っていた。

実は下のお嬢さんが4歳ぐらいの時に娘さんの問題行動が多くなったため、心配したミサさんはお嬢さんのためにフルタイムの仕事を辞めてしまったという過去があった。

ノッコの癇癪に悩み始めた頃、私はミサさんに下のお嬢さんの問題はなんだったのかを訊いてみたことがあった。

というのは、数年前初めて下のお嬢さんと会った時、彼女がノッコと似ていることに驚いたからだった。

それは単に顔が似ているというよりも、なんというか彼女が全体から醸し出している雰囲気がノッコのそれと全く同じだった。

シャイでムーディで。(ミサさんの娘さん、ごめんなさい!)

だから下のお嬢さんの「問題」というのがどんなものだったのか、とても興味が沸いてしまったのだった。

「下のお嬢さんが4歳ぐらいの時、ミサさんが仕事を辞めなければないほどの深刻な問題があったって言っていたけれど、それはどんな問題だったの?」

ある日ミサさんと一緒にお茶をしている時にそう訊くと、ミサさんは、

「ああ、あの子、当時はすごく情緒不安定で、とにかく癇癪がすごかったのよ。」と言った。

(やっぱり、、、、)

「いつもいつもunhappyで、私達にあたったり、物にあたったり。でもどんな問題があるのかまだ小さかった彼女にはちゃんと説明できなかったのね。」

「そう。」

「それでディビッドと話し合って、私が彼女と過ごす時間をもっと増やした方がいいんじゃないかってことになって、とりあえず仕事を辞めたのよ。娘は私のアテンションを求めてそういう行動に出るのかなと思ったから。」

「そう、、。でもそれはミサさんにとって大きな決断だったんじゃない?」

「そうねぇ、あの時はかなり悩んだけれど、でもやっぱり娘との時間を増やしてよかったと今は思うわ。私が仕事を辞めてから娘もだいぶ落ち着いたから。」

「じゃあ、私がもっとノッコとの時間を増やしてあげればノッコの癇癪もよくなっていくのかな?」

「うん、そうね。でも癇癪は年齢とともに少しずつよくなっていくんじゃないかな。それに私達は別のこともしたし、、」

「別のこと?」

「あまり大きな声では言えないんだけど、その頃から私達は下の娘が悪さをするとお尻をペンペンすることにしたのよ。あんまり強くじゃないけど。でも‘そんなことするとパパにお尻ペンペンしてもらうよ!’と叱ると、わりと素直に言うことをきくようになったの。」

「ああ、そう、、。」

(お尻ペンペンかぁ、、、。私達にはちょっと無理かなぁ、、)

そんなことを心の中で考えていると、ミサさんは次にとても興味深いことを言った。

「でも面白いものね。あんなに反抗的で手がかかった子だけれど、今では高い創造性があるということでgifted childのプログラムに入れられてるのよ。上の子は小さい頃からとても素直で勉強もできたんだけど、下の子は上の子より可能性を秘めているらしいわ。こうして今振り返って思うと、下の子の癇癪は彼女が繊細だったあまりに起こっていたことのような気がするの。だから逆にその繊細さを上手に伸ばしてあげれば、創造性のある面白い子に育つかもしれないのよ。」

この時の彼女のこの言葉ほど、当時ノッコの癇癪に悩まされていた私を勇気付けてくれたものはなかった。

そうか、、ノッコの癇癪も彼女の過剰な繊細さゆえの行動なのかもしれない、、。

そしてそれはけして落ち込むべきことではなく、ノッコの今後の果てしない可能性を示しているものなのかもしれない。

そう思ったら、急に色々なことがとても前向きに考えられるようになったのだった。

「ミサさん、ありがとう! 今日ミサさんと話せて本当によかった。ありがとう!」

その日、そう言ってスキップをしながらコーヒーショップを出た自分をよく覚えている。

                                      ◇

その元旦の日、ミサさんの娘さん達とノッコ、そして風太は4人で日本の子供番組を見ながら大笑いをしていた。

その間もミサさんはキッチンでクルクルと忙しそうに動き回り、私もできるだけ彼女のお手伝いをした。

「さあ、みんなぁ、ご飯よー。」

そう言ってミサさんが子供達をテーブルに呼んだ。

そして次々とテーブルに並べられたのは、



Osechi.jpg
見事なお節料理!


アメリカでこれだけの食材を探すだけでも一苦労なのに、なんとミサさんは丸三日かけて20種類以上の料理を毎年作ると言っていた。

この他にもすばらしいお吸い物や、から揚げ、安倍川もちまで用意しておいてくれた。

「手作りのお節料理ってこんなにおいしいんだぁ!」

そう言いながらその一品一品を堪能している私の横で、ノッコと風太がガッツイて食べていたものは、










Furikake.jpg
なんとふりかけご飯!(この写真は別のサイトから拝借)



モッタイナサスギー!



でもその横では、やはりミサさんの娘さん達もふりかけご飯を食べていた、、、。



「うちの子達は毎年こうなのよ。」

ミサさんは笑いながらそう言った。

「でもお正月になるとなんかママがごそごそ作り始めるな、という思い出を子供達に作ってあげたくて。」

(うん、うん、そうだね。それってすごく素敵だね。)

その後ミサさんが録画しておいたという「紅白」を20年ぶりに見ながら私は、

(なんかこういうのいいなぁ)としみじみ思っていた。

伝統というほど大げさなものではないけれど、でもその家庭にしかない一年に一度の行事。

そんなものを私も作っていけたらいいなとぼんやり考えていた。

よーし!

「ねえジョン、私も来年からお節料理を作ることにするよ!」

帰りの車の中で、私はそう宣言してみた。

「えっ、本当? それ、すごくいいアイデアだね!」

ジョンもうれしそうにそう言ってくれた。

そうだな、、まずはお節料理の本を買わないとな、、、。



さあて、みなさん、さわこ家の伝統が本当に始まるのか、

それは来年に乞うご期待!

(なーんて、こんなことブログに書いちゃって、もう取り返しがつかないゾー)


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平気そうに見えていても



* これは去年のクリスマス頃のお話です。


2014年の12月、例年通りジョンの両親が子供達とクリスマスを過ごすために遊びにきてくれた。

ジョンのお母さんは、本当はダナとトムの双子ちゃんと初めてのクリスマスを一緒に過ごしたいと思っていたようだけど、

「ダナからもトムからも“一緒にクリスマスを過ごしましょう”という誘いが来なかったから今年は行かないことにしたわ。」と、ちょっと残念そうな顔をして言った。

ダナの両親が、違う州からダナ達のすぐ近所に越して来たのも彼女としてはあまり面白くないらしい。

「ダナのお母さんは毎日双子ちゃんと時間を過ごしているのに、私達はクリスマスさえも一緒に過ごせないのよ。」

彼女はプリプリした様子でそんなことも言っていた。

それを聞いて私は、(こういう問題って、国とか文化とか関係なくやっぱりどこにでも存在するんだな)などと思っていた。

私はダナとお義母さんがもっと仲良くなってくれればいいなと思う反面、トムとダナがお義母さん達を呼ばないお陰で、毎年こうして彼女たちとクリスマスを過ごせることがやはりうれしかった。

ノッコと風太がグランマ達にとって唯一の孫達という年月が長かったため、彼女達が子供達に頻繁に会いに来てくれるのを私はほとんど当然のように感じていたのだった。

そしてジョンの両親が双子ちゃんと一緒にいるのを見たことがないノッコと風太も、「グランパとグランマは自分たちのもの」と信じ切っているところがあった。

だからいつかジョンの家族がみんなで集まる機会があった時、自分達と同じように双子ちゃんをかわいがっているグランパとグランマを見たら、二人はきっとすごく焼きもちを焼くんだろうな、などと思っていた。

(なんて、かく言う私自身も実はちょっと焼きもちを焼いちゃうかななんて思っていたのだけれど、、。)

でもトムたちの双子ちゃんもグランマ達にとってはかわいい孫だし、もしもジョンの妹に子供が出来たりしたら、グランマ達はきっとそちらに通う回数が多くなってゆくのだろうと思う。

そうなったら、ノッコ達がグランマとグランパと過ごせるクリスマスは今後しばらくやってこないかもしれない。

そう思ったらその年のクリスマスは特に貴重な気がして、できるだけ楽しく過ごしたいなと考えていた。

ジョンの両親が滞在していた間、子供達はグランパとゲームをしたり、グランマとクッキーを作ったりして本当に楽しい時間をすごしていた。

普段子供達と一緒にいる私とジョンは、ついつい二人を叱りつけることが多いのだけれど、グランパとグランマはぜーったいに怒ったりしなかった。

尊敬してしまうくらいに。

子供達がわがままを言っても、それをなだめようとするだけでけして叱らない、怒鳴らない。

どうしてあんなに包容力があるんだろう。

二人を見ながら、私はいつも不思議だった。

私もいつかおばあちゃんになったら、あんなに寛大な心で孫に接することができるのかしら。。。

そしてグランマ達は、ノッコ達がどんな失敗をしても、悪行をしても、絶対に子供達の人格を否定するようなこと(全然聞かない子だね等)を一切言わず、いつでも子供達をそっくりそのまま受け入れ、愛してくれた。

その「愛されている」という安心感は、子供達同様、私までも心地よい気分にさせてくれるのだった。

だからノッコなどは始終グランマにべったりで、私とジョンはまるでそこに存在しないかのような態度だった。

けれどそんなノッコとグランマ達のハネムーン状態を見ているうちに、私の中である不安が芽生えてきた。

それは、

(グランマ達が帰る時、ノッコは一体どうなってしまうのだろう!!!!)という不安だった。

「帰っちゃやだー!」と泣き叫んで、家中のものを破壊するのか。

グランマ達が空港へ行けないように、ドアを全身で塞ぐのか。

それとも、

「ノッコも一緒に行くー!」とグランマ達にすがりつくのか。

その瞬間が一日、一日と近づくにつれ、私のそんな不安も次第に大きくなっていった。

なので日頃からノッコには「ノッコちゃん、あと3回寝たらグランマ達帰っちゃうんだよ。」と伝え、彼女の心の準備ができるように計いをしておいた。

そして私が「グランマ達もうすぐ帰るよ」と言うとノッコは、「帰っちゃったらやだな」とぽそっとは言うけれど、特別悲しそうな素振りはみせなかった。

そしてジョンの両親が帰るという前日。

次の日の朝4時頃家を出る予定だったグランマ達は、子供達を起こさずそのまま出て行くことに決めていた。

なので出発の前の晩が子供達と過ごせる最後の時間だった。

グランマはお風呂上がりのノッコの髪をとかしながら、「ノッコちゃん、明日グランマとグランマは帰らなくちゃいけないのよ。」とやさしく話しかけていた。

それを聞いたノッコは案外平気そうな顔をして、「I know (知ってるよ)」と言っただけだった。

そしてその後もノッコは、別に感傷的になったり愚図ったりすることもなく、普段通り風太とふざけあって遊んでいた。

そんなノッコを見ながら私は、「なーんだ、案外大丈夫なんじゃない」などと少し拍子抜けしたような気持ちさえしていた。

けれど、

みんなが寝静まった夜中の1時頃、

突然ノッコと風太の部屋から、誰かの叫び声が聞こえた。

何事かと慌てて彼らの部屋に駆けつけると、ノッコが暗闇の中でぽつんとベッドに座りながら「うわーん」と泣いていた。

そして私に気付くと、私の方に助けを求めるように手を伸ばしてきて、

「Don’t gooooooooooo ! (行かないでー!)」と泣き叫んだ。

「どうしたの、ノッコちゃん?」

私が慌ててそばに寄るとノッコは私の腰にギューッとつかまって、また

「Don’t gooooooooooo ! (行かないでー!)」と叫んだ。

それはとても悲痛な叫びだった。

「ノッコちゃん、、、、、」

私には、ノッコの「行かないで!」が誰に対して発せられたものなのかよく分かっていた。

「ノッコちゃん、寂しいんだね、、。」

そういってノッコを抱きしめると、ノッコは私の胸に顔を埋めて「ひっく、ひっく」としゃくりあげながら「I don’t want you to go (お願いだから行かないで)」 と小さく呟いた。

そのまま何も言わずノッコの背中をトントンしていると、ノッコは次第に落ち着いてきたのか、しゃくりあげがだんだん弱くなってきた。

そしてそのうち「スースー」と寝息が聞こえてきたので、私はそのままノッコをベッドに横たえて静かに部屋を出た。

バタン。

(あんなに平気そうな顔をしていたのに、、、)

(グランマ達が帰ってしまっても別にどうってことないような顔をしていたのに、、。)

本当はやっぱりすごく寂しかったんだなぁ。

夢の中でグランマ達に一生懸命「行かないで!」と叫んでいたノッコのことを思うと、私はなんだかとても切ない気持ちになってしまった。

子供って平気そうな顔をしていても、心の中ではすごく傷ついていることがある。

だから私もこれからは、ノッコや風太の心の動きにもっと敏感に反応できるようにしてあげたいなとその時思った。


                                  ◇


次の朝、スーツケースをクルマに積んでいるジョンの両親に、昨日のノッコの「行かないで!」のエピソードを話した。

するとジョンのお母さんは途端に目を真っ赤にして「poor girl….(かわいそうなノッコ)」と言い、

前の晩に決めた「子供達は起こさない」という約束を破って、すぐさまノッコ達の部屋へ走って行った。

そして「Grandma loves you (グランマはノッコちゃんが大好きよ)」と言いながら、寝ているノッコのおでこにキスをした。






また来年、

また来年のクリスマスも来てくれるといいね。

サンタさんよりも大好きな、

グランマとグランパ。




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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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