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ノッコとクリスマスツリー


これは去年のクリスマスのお話です。


12月頭になったので、私達は恒例のクリスマスツリーハントに出かけた。

ずっとこのブログを読んで下さっている方はもうご存知かもしれませんが、我が家では毎年近くの栽培農場にツリーを切りに行き、それを家で飾るようにしています。

おととしは大雪の中みんなで鼻水を垂らしながらツリーを切りにいったのですが、去年は幸い天候にも恵まれ、ずっと楽なツリーハントとなりました。

今日はその時のかわいいエピソードを、写真を交えてご紹介したいと思います。





Nokko tree 1
切ったツリーをのせるワゴンを 一生懸命引っ張っているパトラッシュとネロ。







Nokko and Tree 2
さあて、どのツリーにしようか。










Nokko and Tree 3
ノッコ:  「ねえ、パパ見て!こんなところに木が倒れてるよ。どうしたのかな?」
パパ:  「ああ、誰かがそれを買おうとして一度は切ったものの、もっといい奴を見つけたからそのまま置き去りにしちゃったんだろう。酷い事をする人がいるもんだね。」









Nokko and Tree 4
ノッコ: 「ねえ、パパ。 ノッコ、このツリーを持って帰りたい。」
風太: 「持って帰りたい」










Nokko and Tree 5
パパ: 「うーん、ノッコの気持ちは分からないでもないけど、でもこのツリー、切られてから何日経っているか分からないよ。もうだいぶ弱っているみたいだしなぁ。クリスマスの前に枯れちゃったりしたら嫌じゃないかい?」

ノッコ: 「ううん、いいの。 ノッコ、このツリーがいいの。」







Nokko and Tree 6
パパ 「やれやれ、ノッコのためなら仕方ないか」
ノッコ 「アイラブユー パパ!」









IMG_5165.jpg

こうしてこのツリーは、今まで買った中で一番素敵なツリーとなりました。




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母からの意外なクリスマスプレゼント



* これは去年のクリスマス頃のお話です。


もうすぐクリスマスが近づいていたある日、日本にいる母から突然小包が届いた。

母から小包が届くのなんてもう何年ぶりだろうというぐらい、それは久しぶりのことだった。

「えっ? もしかして子供達へのクリスマスプレゼント?」

その荷物を玄関で受け取りながら私はとてもビックリしてしまった。

だってうちの母は私や姉の誕生日もすっかり忘れる人で、アメリカに来てから「おめでとう」の電話やプレゼントをもらったことなど一度もなかったから。

私が小さい頃だって、誕生日会をやってもらったのは一回だけ。

クリスマスも、ケーキやお菓子の靴下を買ってきてくれたことが一度あっただけだった。

そもそも母にはクリスマスが何なのかさえ分かっていなかったのだと思う。

そんな母親がわざわざ孫達のためにクリスマスプレゼントを送ってくれるなんて、、、。

どうして今年に限って?

次から次へと疑問は湧いて来たけれど、それでもあの母がノッコ達のことを考え、「何かを送ってあげよう」と思ってくれたその気持ちがとてもうれしかった。

そして日本のおばあちゃんからプレゼントが届いたよと伝えたら、ノッオ達もきっと喜ぶに違いないと思った。

私はウキウキしながらその場で箱を開けてみた。

すると、

何と中に入っていたのは、

子供達へのプレゼントなんかではなく、




20冊の短歌雑誌!

しかも母の書いた短歌が掲載された同じ物ばかりだった。

「なんだよー、お母さん。」

思わずそう叫んでしまった。

だってひじょーにがっかりしてしまったから。

自分の短歌が載った同じ短歌雑誌を20冊も送って来て、日本語の読めない知り合いにそれを一冊ずつ配れとでもいうのか?

高い送料を出してそんなものを送って来た母の意図が私には全然分からなかった。

そう言えば、

母は私が日本に帰国する度に、

「ねえ、さわちゃん、お母さんの短歌がこの雑誌に載ったんだけどね。」と言いながら、私にピタッとくっついてその短歌を見せるのが好きだった。

幼児が自分の描いた絵を得意そうに「ねえ、ママ、見てみて」と言うみたいに。

けれど正直言って私にはそんな母が鬱陶しかった。

空気の読めない母は、いつも私が「お願いだから今はやめて!」という状況の時にその新聞や雑誌を持って来て、いつまでもそれについてダラダラと話すからだった。

それは、お腹をすかして泣いている子供のために急いでご飯を作っている時だとか、お風呂から出た子供達を着替えさせている時だとか。

それに、

こんなことを書くとひどい娘だと思われるかもしれないけれど(というかひどい娘なんだけれど)、

はっきり言って、私にとって母の短歌などどうでもいいものだった。

なぜならそれは、母の「表現したもの」だったから。

いつも母は「お母さんの苦労を理解して、もっと同情して」というオーラを醸し出していて、そのため人の話を聞かないのに自分のことばかりをベラベラとよく話す人だった。

母の短歌はそんな「私を分かって」という、母のかまってちゃん心情を表現したものだけのような気がして別に読む気にもなれなかった。

だからその短歌雑誌が届いた時も、「なーんだ、短歌か」と思ってテーブルの上に放り出し、私はそのままお昼の準備にとりかかった。

                                 ◇

午後になってちょっと時間ができたので、さっき放り出したままになっていた短歌雑誌の一冊を手に取ってみた。

すると、さっきは同じ号が20冊あると思っていたのに、よく見るとどれも違う号だということに気が付いた。

しかもどの号の表紙にも、何に関する短歌が何ページに載っているのかが丁寧にメモしてあった。

それを見て行くと、どの表紙にも「ノッコの短歌」「風太の短歌」と書いてあった。

「ふーん、お母さん、ノッコや風太の短歌も書いたんだ。それが雑誌に載ったのね。」などと思いながらペラペラとそのページをめくっていくと、

次第に私の目から涙がこぼれ始めた。

だってものすごい量だったのだもの。

ノッコや風太に関する短歌の数が。

母の句は一冊の短歌雑誌にたいてい7−8句掲載されていたので、ノッコや風太を詠った句は全部で50以上あったと思う。

しかも、

その一句に一句に、母の孫たちに対する愛情や、いつかアメリカに帰ってしまうという切ない思いが溢れていて、素直に読む人の心を打つものがあった。


帰国日とわかるはずなき乳呑み子は、荷まとめ手伝う吾に手触る


アメリカの孫の忘れし白靴を、秋深まるも仕舞ひかねつつ 


それらの一句一句を読みながら私は、「これは母がノッコ達に送れる最高のクリスマスプレゼントだな」と思った。

これらの短歌は、この世の中で母からしか生まれ得ないもので、ノッコ達しか受け取れないもの。

プリンセスの衣装や、ピカピカ光るおもちゃよりも数百倍、数千倍、素敵なプレゼント。

それらをいつか全て英文に訳し、ノッコと風太に読んで聞かせてあげよう。

私は心にそう決めた。

「お母さん、ありがとう。素敵なプレゼントをありがとね。」

そう呟きながら、夜になったらすぐに母に電話しようと決めた。



そして20冊の短歌雑誌の中には、亡くなった姉(母の娘)を詠ったものも多かった。

これはその中の一句。


衣更えするに亡き娘の匂ひして、好みの服に頬ずりしたり。



お母さん、

お姉ちゃんの匂い、私も覚えているよ。



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ノッコと風太のおもしろ語録



今日は久しぶりにノッコと風太のおもしろ語録です。



1)ノッコ5歳、風太2歳の頃

ある日自分のパンを食べ終わったノッコが、まだ食べ終わっていない風太のパンを「ちょうだい!」と取り上げようとした。

すかさず「ヤダ!」と頑にパンを抱え込んだ風太。

そこでノッコが出した条件。

「いいよ風太、じゃあ選択肢を二つあげるから選んで。そのパンを半分に切って私にくれるか、そのパンを半分に切って私にくれる。どっちがいい?」

注:風太もノッコ本人もその時、この選択の矛盾に気付いていなかった。

しばらく悩んだ挙げ句、「じゃあ、最初の」と言って渋々パンを半分差し出した風太。

ノッコ、あっぱれ!


2)ノッコ5歳の頃

家族でハイキングをしている時、森にゴミが落ちているのを見てプンプン怒っていたノッコ。

その頃学校で環境問題について勉強していたらしい。

ノッコ 「ねえママ、こんなふうに森にゴミを捨てたりしたらいけないんだよね。」

私 「そうだねぇ。どうして森にゴミを捨てたりしたらいけないのかな?」

ノッコ 「だって木がみんな死んじゃうから。」

私 「そうだね。じゃあ、木がみんな死んじゃったらどうなるのかな?」

ノッコ 「トイレットペーパーがなくなっちゃう。」

確かに、、、。



3)風太2歳の頃。

ある日風太がお気に入りのサングラスをかけて保育園に行くと、掃除のおばさんが、

「あら風太君、素敵なサングラスね。」と褒めてくれた。

するとすかさず風太は、

「サングラス(sunglasses )じゃないよ 。レイングラス (rainglasses)だよ。」と返した。

確かにその日、外では雨が降っていた。



4)風太2才の頃

食事の時は、いつも私の横に座りたがる風太。

時々ふいに私の手を取り、それを自分のほっぺたに当てて、

「This is your ちっちゃい doggy. (ボク、ママの小犬)」と言う。

それがもう、

たまらなくかわいい。



5)ノッコ6歳の頃。

ある日,エマの家に遊びに行った時のこと。
エマはお誕生日に貰った鍵付きの日記帳 をノッコに見せていた。

エマはその中に毎日あったことを少しずつ書いているらしい。

「ほら、こんな風に鍵がかけられるから、誰も勝手に見れないんだよ。」と自慢げに話すエマ。

ノッコはそれを羨ましそうにじっと見ていた。

そして帰りのクルマの中での会話。

「ねえ、ママ。」

「なあに、ノッコちゃん?」

「ノッコもさあ、、」

「うん。」




「diarrhea book (下痢の本) 欲しいな。」

ブファーーーーーーーー!


ヒーッーーーー、お腹イターイ!


私 「くぅーー、ノッコちゃん、それはもしかしてdiary book (日記帳)のことかな?」

ノッコ「あっ、、、。」



お粗末さまでしたぁ。



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子離れの意味



*これは約一年前のお話です。

ある日マーナと一緒に、室内のプレイグランドに子供達を遊ばせに連れて行ったことがあった。

プレイグランドに着いてみるとノッコのお友達の女の子も来ていて、ノッコ、エマ、その子の3人で仲良く遊び始めた。

そこへノッコのクラスのカレンちゃんという女の子もお母さんと一緒にやってきた。

ノッコはカレンちゃんを見て「カレンちゃん!」と嬉しそうに言ったけれど、別にそのあと彼女と遊ぶわけではなく、相変わらずエマたちとトランポリンをして遊んでいた。

カレンちゃんのお母さんはとても気さくで話しやすい人だった。

なので彼女が「ご一緒していい?」と私達のテーブルに来たとき、私も友人達も気持ちよく彼女を受け入れた。

それからお母さん同士で学校のことや子育ての話をしていると、トランポリンの方から突然「うわーん!」という大きな泣き声が聞こえた。

カレンちゃんだった。

カレンちゃんのお母さんは、大急ぎでそちらの方へ走っていって何があったのか訊いてみた。

「誰もカレンと遊んでくれないー!」

カレンちゃんが室内に響き渡るような大声でそう言った。

それを聞いた私とマーナ達は慌ててそれぞれ自分の子供達のところへ行って、「どうしてカレンちゃんと遊んであげないの?入れてあげたら?」と言ってみた。

ノッコもエマも一応「うん」とは言ったものの、それからも別にカレンちゃんと遊ぼうとはしなかった。

ここで自分の子供に「遊んであげなさい!可哀想でしょ!」と叱りつけるお母さんもいるかもしれないけれど、私はこういうことは子供たちの間で解決させることにしているので、別に無理にノッコとカレンちゃんを遊ばせようとはしなかった。

マーナも同じ方針なので、エマも同じようにノッコ達とだけ遊んでいた。

それを見ていたカレンちゃんのお母さんは自分の娘を不憫に思ったのか、それからずっとカレンちゃんに付き合ってボール遊びをしていた。

けれどママと遊んでいるのに飽きてしまったのか、カレンちゃんはまたノッコたちの方へ行って「遊ぼう」と言いたげにもじもじしていた。

それを見たノッコがカレンちゃんに近寄って彼女の手を引こうとした時、カレンちゃんのお母さんは「じゃあ、カレン、おやつにしましょうか。」と言ってカレンちゃんを私達のテーブルの方へ連れてきてしまった。

きっとカレンちゃんが一度は仲間に入れてもらっても、また仲間はずれにされたりしたら嫌だなと思ったのかもしれない。

カレンちゃんがおやつを食べている間、ノッコたちはニセモノの木があるところへ行ってその木に登り始めた。

それを見ていたカレンちゃんも(おもしろそう)と思ったのか、おやつを投げ出して木の方へ走っていった。

けれど5分もしないうちにまた「うわーん」という泣き声が聞こえた。

ノッコ達がひょいひょい登っているのに、カレンちゃんは最初の枝のところまでも登れなかったからだった。

またお母さんは木のところへ行き、「よいしょ」とカレンちゃんを持ち上げてあげた。

そのあとカレンちゃんは「ママずっとここにいて。私落っこちたりしたら怖いから。」と言い、その願い通りお母さんは20分ぐらいそこに立っていてあげた。

私達がそのプレイグラウンドにいた一時間半ぐらいの間に、結局カレンちゃんは4-5回「うわーん!」と泣いた。

そしてその度にお母さんはカレンちゃんを慰め、ずっと一緒にいてあげた。

だから彼女がテーブルで私達と話をしたのは、合計10分にも満たなかったと思う。

カレンちゃんのお母さんは「一人っ子を持つ親の宿命ね。」と笑っていたけれど、私は内心本当にそうだろうかと思ってしまった。

私の周りにも一人っ子を育てている知り合いはたくさんいるけれど、みんながみんなカレンちゃんのようではない。

これは、

親子同士の依存?

私にはカレンちゃんとお母さんの関係が、そういうふうに思えて仕方がなかった。

カレンちゃんにとってお母さんは、自分のために何でもしてくれる人で、いつもそばにいるべき存在。

少なくもその日のカレンちゃんは、お母さんがいないと何も出来ない子という印象を私達に植え付けた。

そしてお母さんはお母さんで、始終カレンちゃんが心配で仕方がないようだった。

カレンちゃんが他の人に迷惑をかけていないか、ちゃんと楽しく遊べているか、常にチェックをしていないと気がすまない様子だった。だから結局お母さんはカレンちゃんのそばにいて、いつも彼女の相手をしてあげることになってしまったのだ。そうすることで一番安心できるのはお母さん本人だったから。

私は普段から10代の青年達と接する機会が多いのだけれど、ここ数十年で「変わったな」と思うことの一つに「親との頻繁なコミュニケーション」というのがある。

これはもちろん携帯電話やテキストメッセージの普及のせいだと思うけれど、一日に何十回もお母さんと電話で話したりテキストを送りあう学生が本当に多い。

きっとカレンちゃんとお母さんも、あと10年もしたらきっとそんな関係になるのだろうなと思う。

私も以前は「友達のような親子」に憧れていたし、私自身もノッコと親子依存の関係になってしまうのかもしれないけれど、でも今の気持ちを正直に言えば、できるだけそうはなりたくないなと思っている部分もある。

親子は友達じゃないし、親子の間にはある程度の距離が必要なんじゃないかと思うから。

*これは別に仲の良い親子を批判している訳ではなく、あくまでその極端な「依存性」を疑問視しているのです。

この話をジョンとすると、彼はいつも「僕が高校を卒業した時は、親から離れるのがうれしくて仕方なかったけどなぁ」と言う。

私も同じだった。

私の場合は20代半ばまで親元に住んでいたけれど、一人でニューヨークに留学することに決めたときも「親と離れるのが寂しい」というような気持ちはあまりなかった。

アメリカに移ってからも、親に電話をする回数はそんなに多くなかったし。




子供にとって親が一番の親友で、親が自分の生活の大切な部分を占めている。

親にとって子供が一番の親友で、子供が自分の生活の全て。



できればそういう関係にはなりたくない。

それは夫婦関係でも同じ。

私はいつも私でいたいし、家族とは離れた自分をいつもどこかで持っていたいと思うから。

                                 ◇

子離れって、一体どういうことをいうのだろう。

時々そんなことを考えることがある。

私の知り合いに、夫婦とも大学教授なのに息子さんを大学に行かせなかった人がいる。

他にもお父さんは大企業の社長さんなのに、一人息子さんはレストランのウエイターをしているという人もいる。

私がこれらの人達に「本当にそれでいいの?」と訊いてみると、どちらも「仕方ないよ、息子が選んだ道なんだから。」と答えた。

そして「親に一切頼ることなく、息子なりに自立して生活しているのだからそれでいいと思う。」と言っていた。

以前の私だったら、彼らのそういう考えがあまり理解できなかったと思う。

自分の子供がこれから低賃金の仕事で苦労していくことが見えているのに、それをただ静観しているだけなんて。

まだ親としてやってあげられることがあるんじゃないの?

そんな風に思っていたと思う。

でもノッコが少し大きくなった今、そういった考えはただの親のエゴなのかなと思うようになった。

親が成功しているから、だから子供にも同じくらい成功して欲しいと思うこと。

成人した子供が、自分で「これでいい」と決めたことを親の価値観で覆そうとすること。

それは「子供のためを思って」という建前を持った親のエゴだと思う。

確かに若い人は世間を知らず経験も少ないゆえに、幼稚な判断をすることは多々ある。

けれどそれで痛い思いをするのはやはり本人であって、そこから「変わりたい」と思う願望も、やはりその本人自身から沸き起こらなくてはならないのではないかなと思う。

以前このブログで、ドラッグ中毒やアルコール中毒の人を扱ったテレビ番組をよく観ると書いたことがあった。

その中毒者が若者である場合、その親が中毒を悪化させているケースがとても多かった。

無職のドラック中毒の息子のために、毎日日用品を買って届けてあげるお母さん。

時にはお母さん自らが、ドラッグを買って娘に渡しているというケースもあった。

それらはその母親の「娘を怒らせたくない」「息子から嫌われたくない」という思いからが多かった。

そしてIntervention (中毒者の家族が集まって中毒者にリハビリを勧めるミーティング)が終わった後、それでも中毒者の態度が変わらない場合、カウンセラーはその家族に「どうやってその中毒者を自分の生活から切り離していくか」というカウンセリングを始める。

そのカウンセリングを通じて両親は、その子に一切金銭的な援助をせず「息子には息子の、自分には自分の人生がある」と自分自身に言い聞かせる練習をする。

そして例え自分の子供がドラッグで死んでしまっても、自責し過ぎず、立ち直れる強さを身につけていく。

そう、

それは所謂、

「究極の子離れ。」

世の中には「子供を愛している」だけではどうにもならないこともたくさんある。

だから我が子を自分の分身、所有物と捉えず、

子供の人生と自分の人生を切り離して考えてみることは、とても大切なことだと思う。

いつかやってくる子離れ。

できれば私だってしたくない。

でも本当の意味で独立した子供を育てていきたいのであれば、

その準備は、

今から少しずつ始めなければいけないのかもしれないと思う。




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アメリカのシュガー漬け文化



私はアメリカに20年近く住んでいる。

今までは気付かなかったのに、子供ができてから気付いた事の一つに、「アメリカってシュガー漬けのイベントが多過ぎるな」というのがある。

私は普段から子供達にあまり甘い物を与えすぎないようにしている。

やはり身体にも歯にも悪いし、甘い物を食べ過ぎると子供達が必ずハイパーになるからだった。

それなのにアメリカでは一年を通じて数ヶ月おきに、何かしらキャンディを食べなくてはいけないイベントがやってくる。



まず2月のバレンタインデー。


Saint_Valentines_Day_Candy_Valentine_s_Day_013165_.jpg


ノッコの学校では、クラスメート全員とバレンタインカードを交換するという習慣がある。

そのために親子は必死で20枚近いカードを用意するのだけれど、私はそのイベント自体は楽しくていいものだなと思っていた。

けれどプレスクールの時に、初めてカードを持って学校に行ってみたらビックリ。

カードしか持って行かなかった私達に対して、クラスのほとんどの子は何かしらの「付録」をカードにつけていたのだ。

それは小さなキャンディであったり、シールであったり、ペンであったり。


vcard_photo_1.jpg
ちなみにこんなの (これはノッコのカードではありません)。


それを見て「どうしてノッコはカードだけなの?」と一気に不機嫌になってしまったノッコ。

ああ、お母さんがこういう文化を知らないばかりに、、、ごめんよぉ、ノッコ。

でもその日、箱一杯のキャンディを持って保育園から帰って来たノッコをみて、「どうしていつもいつもこうシュガー漬けになるんだろう?」と思ってしまった私だった。


そしてバレンタインデーが終わると今度はイースター。

これはキリストの復活祭なんだけれど、別にクリスチャンでなくても多くの人が「卵探し」のイベントを楽しむことができる。

イースターの前夜に、親はプラスチックの卵を家の色々な所に隠す。

次の日の朝、起きて来た子供達はそれぞれバスケットを持ってその卵を探し始める。

* これを庭でやる人も多いですが、うちでは家の中でやってます。

この「卵探し」は子供達も大喜びなので私も大好きなのだけれど、問題は「卵の中のキャンディ」。


wonka-easter-egg-hunt-131969-im.jpg
こんなの。


peeps.jpg
そして誰も食べないのに必ず店頭にならぶマショマロのひよこ。すごい色!



あまり甘い物を与えたくない私が、「キャンディが入ってない卵を使えばいいんじゃない?」と提案してみたけれど、

「何言ってるの!キャンディが入っているから卵を割る時にワクワクするんじゃないか!」と妙に向きになるジョン。

自分が小さかった頃を思い出して言っているらしい。

歴史って、やっぱりこうやって繰り返されるのね、、、。

でも今年からはジョンの指導のもと、ゆで卵のカラーリングを子供達と始めてみた。
そしてこれがすごく楽しかった!
だからゆで卵のカラーリングは、これからも家族のアクティビティーとしてやっていきたいなと思っている。



そして夏の間はバースデーパーティのオンパレード。

その度に出されるバースデーケーキはたいていクリームたっぷりのすごい色使いのものが多い。


birthday cake
これがたいてい甘過ぎておいしくない!


cup cake
こういうカップケーキを学校に持って行って、クラス全員でお祝いをする習慣もある。





そして次はお馴染みのハロウィーン。


Halloween-Candy.jpg



このイベントは日本でも最近増えてきたようですね。



Holloween
ノッコと風太 2014年。





そして一年の最後はクリスマスクッキー。


christmas-cookies-istock_000004698457xsmall2.jpg



これも「またもシュガー?」という感じがしてしまうのだけれど、これはグランマと子供達がはしゃぎながら一生懸命作ってくれるものなので と・く・べ・つ。

ちなみに子供達の作るクッキーはいつも「へび形」。

とにかくにょろにょろと長い。

それを焼く時に必ず私が折ってしまい、子供達に泣かれるというパターンを本当に毎年繰り返している。


                                 ◇


突き詰めて考えれば、私はこのシュガーイベント達の何が一番嫌なのかというと、イベントが変わるたびにパッケージを変えるけれど、結局中身は全く同じという大手のキャンディメーカーの市場牛耳り態度が嫌なのだと思う。

パッケージが違うから何となく新しいキャンディを買っているような気がするけれど、結局はM&M’s   Kit Kat    Hershey’s などスーパーの棚を飾るのはどれも同じメーカーのものばかり。


fc2blog_201508220049326f6.jpg


だからこれらのメーカー達に「踊らされている感」が拭えなくて、それがどうも癪に障るのかもしれない。


けれどクリスマスのクッキーは子供達とグランマの触れ合いを作ってくれる大切な時間だし、私達にとってもその味は、もはやクリスマスには欠かせないものとなりつつある。

子供達が大きくなったら、毎年グランマと一緒に作ったあのクッキーの味を思い出すのかなと思うと、「ちょっとぐらいシュガー漬けでもいいじゃない」とさえ思えてしまう。

特別なイベントを特別なものにしてくれるのは、衣替えして棚にならぶメーカーのキャンディ達じゃない。

砂糖と小麦粉を一生懸命こねている子供達の手と、グランマのやさしい笑顔なんだと思う。



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ちょっとした気の迷い


*これは、約一年前のお話です。


現在の私の仕事には、ほとんど残業がない。

なので私はいつも定時に家に帰る。

帰りの渋滞に巻き込まれて多少帰宅時間が遅れることはあるけれど、夕飯に間に合わないということはまずなかった。

しかも週のうち3日は家で仕事をしているので、ノッコや風太の学校から急に呼び出されてもたいていすぐに駆けつけることができた。

出張も皆無なので、私が子供達と離れて過ごしたこともほとんどなかった。たぶん風太が入院していた時にノッコと数日離れてしまったのが最後だったと思う。

こうして私はいつも子供達のために自分をavailable (都合を合わせるよう)にしておく努力をしていた。

けれどある日、仕事先のイベントの関係で思ったより遅くなってしまったことがあった。

その日の朝ジョンに「今日少し遅くなるよ」とは言っておいたけれど、お夕飯に間に合わなくなるとは思っていなかったので急いで電話をかけた。

「ああ、ジョン? 今イベントが終わったんだけど、今から帰るとお夕飯に間に合わなくなっちゃうと思うから子供達と先に食べてて。」

「うん、わかった。気をつけて帰って来てね。」

「うん。」

そう言って電話を切ってからクルマのエンジンをかけた。

普段帰る時間に外はまだ明るいのにその日はすっかり日が暮れていて、いつも走っている高速がまるで知らない道のように見えた。

そうやっていつもと違う暗い高速を運転しているうちに、私はだんだんと不思議な開放感を感じ始めた。

普段は高速を走りながら(早くスーパーで買い物しなくちゃ)とか(お夕飯を作らなくちゃ)と考えて、一分でも早く帰ろうと気が焦っているのに、今日は時間を気にせずゆっくりと運転を楽しむ事ができたから。

そしてそのことがとても心地よかった。

だからいつもは必ず聞いているラジオのニュースも、その日は珍しくジャズのチャンネルに変えたりして。

そしてその町のダウンタウンに入ると、高速の両脇に色々なホテルが見えてきた。

そのホテルを一軒一軒見ているうちに突然、

(このまま今夜はホテルに泊まっちゃおうかな)

という考えがムクムクと湧いて来た。

私は昔からホテルに泊まるのが大好きだった。

あの普段の生活から切り離された空間にいると、日常のコマコマしたことを忘れられるし、いつもより贅沢なディナーを食べたり、遅くまでテレビを見たり、ゆっくり朝ご飯を食べたり。

そういう時間を過ごすのが大好きだった。

子供ができてから今まではそんな風に思った事はなかったのに、なぜかその日はどうしてもそんな一人の時間を取り戻してみたくて仕方がなくなってしまった。

ジョンのことも、ノッコのことも、風太のことも、シンクにある山積みのお皿のことも、畳まなくちゃいけない洗濯物のことも全て忘れて、ただただ白いベッドの上に横になってテレビを見たかった。

(やってしまおうか? 一度だけ。 今日だけ。)

そう思い始めたら、まるでこれから不倫でもするかのように心臓がドキドキしてきた。

一日だけ、

一日だけ、子供達のためにavailableじゃない自分がいたっていい。

そう思うと、もうその気持ちをどうしてもとめられなくなり私は高速を下りた。

そして前に一度使ったことのあるチェーンのホテルの駐車場にクルマを停めた。

けれどどうしたことか、すぐにはクルマから下りることができなかった。

ジョンに電話しようと携帯を取り出したけど、すぐにダイヤルもできなかった。

そしてそこに座ったまましばらく考えていた。

いろいろな事。

いろいろな事を10分ぐらい考えてから、私はまたエンジンをかけた。

そしてクルマを走らせ、さっき下りて来た高速にまたのった。

そのままモールを過ぎ、オフィス街を過ぎ、見慣れた道をずっと走った。

そして橋を渡ってしばらく走ると、私の家が見えた。

ペンキがところどころ剥がれている小さな家。

いつものように右折して、家のドライブウェイに入った。

ドライブウェイを走りながら家の中を覗くと、ジョンと子供達が晩ご飯を食べているのが見えた。

そしてそのままクルマをガラージに入れていると、突然後ろから「ママー!」というノッコと風太の声が聞こえた。

「えっ?」と思いクルマから下りて振り返ると、ノッコと風太が裸足のまま裏口のところに立っていた。

「あらら、裸足で出て来ると足ケガするよ。」

そういう私の声も無視して二人は競い合うように私の方へ走って来た。

そして私の足にぎゅーっとつかまった。

見ると風太は、手にパンのかけらを握ったまま。

するとジョンが裏口から出て来て、

「They missed you (ママがいなくてさびしがってたよ。)」と大声で言った。

(ああ、夕飯時に私がいないことなんて今までなかったから、、、)

そう思ったらなんだか急に涙が出てきそうになった。

「ごめんね、ママ遅くなっちゃって。」

そう言った声が震えた。

(ごめんね、ママ、二人をおいてホテルに泊まりたいなんて少しでも思ったりして、、)

心の中でそう謝ってから、私はノッコと風太をぎゅーっと抱きしめた。


ちょっとした気の迷い。

そんなもの誰にでもあると思う。

でも私は、

もしもまたそんな気の迷いが起こったりしたら、

裸足のまま泣きそうな顔で電灯の下に立っていたノッコと風太の姿を思い出すことにしよう。

そう心に決めた。


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そして結末は、、


* これは昨日の記事の続きで、2ヶ月前のお話です。


ビッキーと話をした日の夜、彼女に言われたことをジョンに伝え二人で今後どうするべきかを話し合った。

そしてその結果、結局私達はモリーに引き続き風太の担当をお願いすることに決めた。

理由は三つ。

一つは、もしも「担当を代えて欲しいと」と私達から園長先生にお願いした場合、それがモリーの仕事の評価に悪い影響を及ぼしてしまうのではないかと懸念したから。

二つ目は、あと2ヶ月足らずで風太はプレスクールにあがる予定だったので、それまで我慢すればいいと思えたから。

そして三つ目は、風太はそれでもモリーが大好きだったから。


そして私達は色々悩んだ結果、残念だけれど風太にまたプルアップを穿かせることにした。

今回の問題の根本的な理由がトイレトレーニングである以上、その理由を取り除く以外に現状がよくなる方法はないと思えたからだった。

そうすることで少なくともモリーのストレスやイライラが減少するのではないかと考えていた。

モリーには、ジョンが中国に長期出張に行くので、私がしんどくなるためプルアップに戻したいと話してみた。

すると彼女は何の問題もなくそれに同意してくれた。

                              ◇

あれから2ヶ月経った現在、風太は相変わらずプルアップを穿いている。

そして風太のトイレトレ状況は変わらず最悪のまま。 くっー!

けれど今はあの頃と逆で、保育園では完璧にできるのに家に帰るとお漏らしばかりするようになってしまった。

保育園でお漏らしがなくなった理由は、単純にpeer pressure (同級生からのプレッシャー)のため。

今のお部屋で風太が一番年上なのに、自分より小さい子達が風太より上手にトイレトレができているのを見て彼は「僕も負けていられない」と思ったらしい。

今では先生が「風太君トイレ行く?」と聞かなくても、おしっこに行きたくなると自分からすすんで行っているらしい。

それを家でも続けてくれればいいのに、風太は家に帰ると途端にプルアップにおしっこをしてしまう。

犬が自分の縄張りに臭いをつけるみたいに、安心してジョジョー。

「トイレに行く?」と聞いても答えは必ず「ノー!」 

もう、絶望的。

けれど風太もいよいよ来週からプレスクール。

プレスクールではプルアップを穿くことは許されていないので、風太にもまた下着をつけさせるしかない。

プレスクールの先生の話によると、どの子もプレスクールが始まるとトイレトレがすぐに身に付くらしいので、私達もそれを最後のたのみにしてただただ祈るような気持ちになっている。

そして家でもプレスクールと同じように下着をつけて、お漏らしをしないように次の方法を取る事にした。

1)透明な入れ物に毎日マショマロを3つ入れる。

2)風太がお漏らしをしたら、そこからマショマロを一つずつ抜いて行く。

お漏らしのない日はマショマロを3つとも食べられるけれど、お漏らしを3回すると一つも食べられない。

ここで大切なのは、ノッコにも同じようにマショマロを3つ用意して、風太がお漏らしをするとノッコのマショマロも取り上げてしまうということ。

保育園でお友達と競争してトイレに行っている風太には家でもノッコの協力が効果的だと考えたし、マショマロ命のノッコならなにがなんでも風太にお漏らしをさせないようにがんばってくれるのではないかと考えた。

それにしてもみなさん、

子供のトイレトレはやっぱり焦って早くやらない方がいいですね。

風太は2歳半から始めて、8ヶ月以上経った今でも完了できていないけれど、3歳になってから始めたお友達はたいてい3週間ぐらいですぐ完了しているようです。。

やはり子供の身体も心も準備ができている時に開始するのが親にとっても子供にとっても負担が少なく、ストレスが溜まらないということを今回私達は身を以て学びました。

そして、

気になるモリーとの関係ですが、

ご安心下さい、

今は以前と同じように極めて良好です。

風太のトイレトレのストレスがなくなってからはモリーにもだんだん笑顔が増え、毎日風太を迎えにいくと以前のように冗談を交えて楽しく一日の報告をしてくれるようになりました。

(それと共に風太の暴力の問題も不思議となくなってしまいました!)

そんなモリーを見ていると、当時はもしかしてプライベートな面で何か悩みがあったのかもしれないなと思ったりもします。

あの頃の彼女は本当に毎日イライラしていて、いじわるで、まるで別人のようでしたから。

それか当時はよく腰痛でお休みすることがあったので、体調不良のせいだったかもしれません、、、。

とにかく現在は、モリーも、風太も、私も、以前と比べるとずっと楽しい生活を送っています。

そしてそんな風太も、もうプレスクール生。

ノッコの時も合わせて合計6年間もお世話になったモリーともお別れです。

(デイケア最後の日の出来事については、また機会をみて別の記事に書きますね。)

ということで、風太のシリーズはとりあえずめでたし、めでたしということで(トイレトレ以外は!)終わらせていただきます。

みなさん、長々とこのシリーズにお付き合い下さってありがとうございました。

次回からはまた去年の秋頃のお話に戻りますね。

どうぞこれからも「ほっぺとほっぺ」をよろしくお願いします。


おまけ:一昨日モリーが笑いながら、「さわこ、これ見て」と言って見せてくれた風太の作品をちょこっとご紹介します。それは子供達がそれぞれ自分の理想のお家を描く課題だったのですが、風太が描いたのは、












Fuutas dream house
トイレの家!

だから風太ってオモシロイ。


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保育園の先生のあるべき姿



*これは昨日の記事のつづきで、2ヶ月前のお話です。


先日モリーに言われたショックな内容が本当なのかどうかを確かめるために、もう一人の先生であるビッキーに探りを入れてみた私。

するとそのあと自分の中で「彼女と話さなければ良かった」と思う気持ちと、「やっぱり彼女と話して良かった」と思う気持ちが交差してしまった。

ビッキーと話さなければよかったと思った理由は、モリーが私達に教えてくれた内容が実は本当だったということが判明してしまったから。

私は心の中で、風太の暴力やそれに対する苦情の話はモリーの作り話であって欲しいとずっと願っていた。そして自分の中でほとんどそう信じていた。

けれどモリーは私達に噓なんてついていなかった。

風太は本当に他の子に暴力を振るい、そしてそれについて保護者から苦情が来ていたんだ。

そして風太を退園させて欲しいと言ってきた人が実際にいた、、、。

ということは、モリーが仲介役になって苦労しているという話もきっと本当なのだろう。

苦情が来るたびにモリーは彼女たちに謝って、

一人でストレスを溜めて、、、。

そう思ったら今までの強気はどこへやら、急にモリーに対して申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。

自分なりに一生懸命やっているのに、問題児の親である私達からまで非難されてきっと彼女は爆発してしまったのだろう。

ごめんなさい、、モリー。

今すぐ彼女にそう誤りたい気持ちでいっぱいだった。

けれど、、、

だからと言ってモリーに対する不満が全て消えたという訳ではなかった。

それはビッキーと話してみて「ああ、ビッキーと話してよかった」と感じ、同時に「どうしてモリーは今までビッキーのように接してくれなかったのだろう」と思ってしまったから。

あの日ビッキーと二人で話したあと、私はなんとも言えないほんわかとしたやさしさに包まれた気がした。

それはビッキーの持つ、あの溢れるような温かさのせいだと思う。

ビッキーはいつも私の気持ちに寄り添い、私を励まそうとしてポジティブな言葉をたくさんかけてくれた。

モリーは風太をよく「頑固者」「ずる賢い」と呼んだけれど、ビッキーは「意思が強い」「頭の回転が速い」と言ってくれた。

こんな小さな言葉の違いだけれど、それだけで私達が受ける風太の印象はだいぶ違っていた。

それに「風太が他の子に暴力をふるってしまう」という同じ事実を伝えるのでも、モリーとビッキーでは全然違っていた。

モリーは風太が乱暴してしまうことに対してただ文句を言うだけで、どちらかというと私達を責めているような口調の時が多かったけれど、ビッキーは「風太君はきっと普段家でノッコちゃんとじゃれあっているから、その感覚で他の子にもタックルしちゃうんじゃないかしら。お友達はノッコちゃんよりずっと小さくて怪我しやすいというのを分かっていないだけだと思うわよ。」と彼女なりに原因を分析し、風太には悪気がないのだということを何度も主張してくれた。

ビッキーは一生懸命風太をかばい、私達をなぐさめようとしてくれた。

それが私には言葉に表せないくらいうれしかった。

今までしばらく忘れていたけれど、ビッキーと話したあと私は改めて「保育園の先生のあるべき姿」を見たような気がした。

どんなに難しい子供でもその子のいいところを見つけ出し、伸ばしてあげようとする。

もしもその子が誰かに非難されたら、その子をかばい、その子の親も慰めてあげる。

モリーのように自らその子の悪口を言って回ったりしない。

それがプロというものじゃないだろうか。

モリーが本当のことを私たちに訴えていたのに、彼女の言葉を疑ってしまったことは本当に申し訳なかったと思った。

けれど同時に「どうして彼女はビッキーのように私達に寄り添い、“一緒にがんばりましょう”という前向きな姿勢でいてくれなかったのだろう」という気持ちも抱かずにはいられなかった。

モリーの露骨に表すストレスが、どれくらい私や風太のストレスの原因となっていたか。

そう考えると、やっぱり風太の担当はビッキーのような穏やかな人がいいのかなと思う反面、今までの苦情などでモリーに迷惑をかけてきたことを考えるとそれもやはり気が引けるのだった。

とにかくジョンに今日ビッキーに教えてもらったことを全て話し、今後のことについて二人でもう一度話し合ってみようと決めた。



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ちょっと探りを入れてみた


* これは昨日の記事のつづきで、2ヶ月前のお話です。


ある日マーナの開いたホームパーティに参加すると、風太と同じお部屋のお母さん達が数人そこに来ていた。

彼女達と子育ての苦労などについて話しているうちに、話題はトイレトレーニングから最近困っていることなどに移って行った。

それを機会に私は思い切って、この間モリーに「風太君の暴力は頻繁にある」と言われたことを話し、彼女達の子供が被害にあったことがあるかどうか訊いてみた。

するとそこにいた3人は「ない」と答えた。

少なくとも大きいのはないと思う、と彼女たちは言ってくれた。

それどころか、一人のお母さんは「そう言えばモリーって変に風太君に厳しくない?」と以前マーナが私に教えてくれたのと同じ事を言った。

そしてモリーがよくインターンの学生や他の先生達に「風太君は頑固で困る」と文句を言っていたり、玄関で受付の人にまで風太のトイレトレの愚痴をこぼしていたことを教えてくれた。

それを聞いて私は、

「なーんだ。保育園で風太を問題児にしていたのは、やっぱりモリーだったんだ。」と思ってしまった。

それからは、あの時モリーの言っていたことの信憑性に疑問を持ち始め、どこまでが本当だったのかを突き止めたくなってしまった。

というか、モリーの言ったことはほとんど噓(または大げさ話)だったと証明がしたくて仕方がなかったのだ。

それで、

ちょっといやらしいけど、

モリー以外の先生達に、実際のところはどうなのか探りを入れてみることにした。

早速次の日、風太を保育園に送りに行ったあとビッキー先生に、

「最近の風太の様子について聞きたいことがあるんだけれど、、」と話しかけてみた。

ビッキー先生は50代のとても穏やかな人で、口数は少ないけれど子供達への愛情が溢れているとても素敵な先生だった。

だから私はいつも「ビッキーのような人がお姑さんだったらラッキーだよなぁ」と心の中で思っていた。

そんなビッキーは笑顔で、

「そうね、楽しそうにやっているわよ。」と答えてくれた。

「でも相変わらずトイレトレはうまくいってないみたいね。」

「そうねぇ、でも以前よりはお漏らしも減ったんじゃない?他の子もトイレトレが始まったから、それが影響してるみたいよ。」

「でももうトイレトレを始めてから半年以上も経つのに、、。私達が早く始めすぎたからビッキー達にも迷惑をかけちゃってごめんなさいね。」

「いいのよ。そんなの私達の仕事の一つなんだから。」

「ところでビッキー、最近風太が頻繁に他の子に暴力を振るってしまうってモリーが教えてくれたんだけど、そんなにひどいの?」

「そうねえ、時々あるかな。そんなにひどいのはないけれど。」

「この間もビッキーにブロックを投げちゃったりして、本当にごめんなさいね。」

「いいのよ。あの時はやめなさいって何度か言ったんだけど風太君なかなかやめなかったから。風太君はとても頭がいいのね。そして意思が強いから、彼がやりたいことをやめさせようとすると、もっとやってしまうみたい。」

「そうそう、家でもそうなの。」

「でもそんなの3歳児ならよくあることだし、そんなに気にすることはないわよ。」

「うん、、でも他の親御さんたちからも苦情がかなりきているらしいって。」

「そうねえ、モリーからそう聞いたことはあるわ。」

「風太を退園させて欲しいとまで言って来た人がいるらしいわね。」

「以前そういうこともあったみたいね。私はよく分からないけれど。」

このあたりでビッキーは、私の質問に答えていくことに少し抵抗を感じ始めたらしく、その話を早く切り上げたそうな顔をした。

だから私は、「そう、、。色々教えてくれてありがとう。風太はとても手がかかるけど、これからもよろしくお願いします。」と言った。

するとビッキーは、「風太君は確かに少しワンパクなところはあるけれど、とてもやさしいいい子よ。お友達が泣いているとすぐにそばに行って頭をなでてあげるし。だからそんなに悲観したり恐縮する事はないのよ。ずっと長い目で見守ってあげればそれでいいのよ。」とやさしく言ってくれた。

「そうね、ビッキー、ありがとう。じゃあ、今日もよろしくお願いします。」

そう言って私は教室を後にした。

つづく


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保育園の先生に言われたショックなこと



*これは昨日の記事のつづきで、2ヶ月前のお話です。


勇気を出して「風太の担当を代わってもらえないか」とモリーにお願いしてみた私達。

その話し合いの中で彼女は、突然意外なことを口にした。

「じゃあ、風太君の暴力についてはどうするの?」

「えっ、風太の暴力? どういうこと?」

「風太君の他の子への暴力は相変わらず続いているのよ。メイのぼっぺをぎゅーっとつねったり、ビッキーにブロックを投げつけたり。」

「でもこの間のミーティングでは、風太の暴力はだいぶ治まったって。」

「あの頃は確かに少なくなっていたけれど、でも今でも続いているわよ。だから私は毎日他の先生や親御さんからの苦情に追われて大変なの。一人のお母さんなんて“風太君を退園させて下さい”って頼んできたのよ。私が間に立って色々やっているから済んでいるようなものなのよ。」

「風太を退園て、、、そんな事言った人がいたの?」

私は心底驚いてしまった。

「あのね、ここでは何か問題が起こると真っ先に叱られるのは風太君なの。風太君は問題児扱いされてるのよ。でも私は風太くんがそんな風に扱われるのが嫌だから、彼が他の子に暴力を振るわないように一生懸命やっているのよ。」

「そうだったの? でも私何回か観察室から教室の様子を見たことがあるけれど、風太が他の子に暴力を振るっているのを見た事は一度もなかった。」

「それはたまたまその時なかっただけよ。風太君の暴力は本当に頻繁にあるのよ。だから私は風太君を少し早めにプレスクールにあげることも考えたくらいなんだから。環境を変えたら彼の暴力も治まるかなと思って。」

こうしてモリーが話してくれた内容はあまりにショックなものばかりだったので、私は頭が混乱して何をどう考えたらいいのか分からなくなってしまった。

すると、私とモリーの話を険しい顔をしながら聞いていたジョンが、

「そろそろノッコを迎えにいかなくちゃいけない時間だよ。行こう」と私を促した。

彼は明らかにこのミーティングを早く終わらせたい様子だった。

「そうね。じゃあモリーこの話の続きはまた今度ね。」

そう言って私達は慌ただしくその教室を後にした。

                                 ◇

教室を出て廊下を歩きながらジョンは、

「今モリーが言っていた事、僕には全く信じられないね。」と言った。

いつもは穏やかな彼がとても怒っている様子だった。

「私にも信じられないけど、でも全部が彼女の作り話っていうはありえないと思うの。 きっと本当に苦情はきてるんだよ。」

「じゃあ、なんでそのことを僕たちに今まで全然言わなかったんだよ。どうして僕たちが彼女を非難した今日になって急に言い出したりするんだよ。」

「今までは私達に気を遣って言わなかったんじゃない?」

「気を遣う? あのモリーが? 風太を退園させて欲しいと言われる程状況が悪化してるのに、どうしてそれを僕たちに隠す必要があるの。」

「うん、確かにそう言われてみれば、そうだけど、、」

「僕はやっぱりモリーの言ったことを信じる事はできないな。風太の暴力がそんなにひどいとはどうしても思えない。」

「うん、私もそう思いたいけど、、、」

「それにモリーは本当にずるいなと思うよ。」

「どうして?」

「だって僕たちがトイレトレの話をすると、彼女はいつもそれを風太の暴力の問題とすり替えてしまうじゃないか。それは彼女が、暴力の話を持ち出すことで風太のトイレトレが保育園でうまくいっていないこと、そして彼女のそれに対するフラストレーションを正当化できることを知っているからだよ。」

「そうなのかな、、確かに暴力のことを出して来られると、私達も何も言えなくなっちゃうけど、、。」

「だから彼女はいつもあんな風におおげさに風太の暴力について話すんだよ。」

「うん、、。」

ジョンの言っていることに一理あるとは思っていた。特にモリーは普段から物事を大げさに話す傾向があったから。けれどいくらそんな彼女でも、「退園させて欲しいという苦情がきている」という話まではでっち上げないのではないかと私は思っていた。

もしかしたら彼女の言ったことは全て本当で、モリーは親御さんや先生達の苦情から風太を守ろうとしていたからあんなにストレスを溜めていたのかもしれない。

彼女は仲介役として本当に苦労していたのかもしれない。

私は何もかもがよく分からなくなってしまった。

けれど一つ、

私が一番悲しく感じた事は、

風太があの保育園で本当は誰にも歓迎されていないのかもしれないということだった。

あんなにやさしいサンディもビッキーも、普段「おはようございます」と笑顔で挨拶してくれる他のお母さん達も、本当は風太を疎ましがり、嫌っているのかもしれない。

「風太君なんかいない方がいい」

みんな心の中ではそう思っているのかもしれない。

そう考えると、胸が締め付けられるように辛かった。


モリーのこと、苦情のこと、風太の今後のこと、

(私達はこれからどうすればいいんだろう、、、)

私はただただ途方に暮れるばかりだった。

つづく

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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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