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たった一人の理解者

* これは一年前のお話です。


私が今回の日本滞在で一番つらいなと感じていたことに「一人ぼっちだった」というのがあった。

それは風太が一ヶ月入院していた時もそうだった。

体力的、精神的な疲労があるのに、それを気軽に好きな時に話せる人が居ず、私一人だけで周りの人から子供達を守らなくてはいけないような気がしていた。

だから、

そんな私の気持ちを理解してくれる人。

そして身近で私を支えてくれる人。

そんな人が欲しくて、欲しくて仕方がなかった。

そしてある日、そんな人が実はずっと私のそばにいてくれた事に気がついた。

それは他の誰でもない、

父だった。


                                ◇


以前の記事にも書いた通り、私と父の関係は幼少の頃から微妙だった。

父のことは特別好きでもなければ、嫌いでもないという感じ。

とにかく何も話さない人だったので、父が何を考えているのかいつもよく分からなかったし、成人してからは別にそれを知ろうとさえ思わなくなっていた。

そりゃ父親として大切に思うし、健康で幸せな生活を送って欲しいと思うけれど、こんなに離れて暮らしていても別に寂しいとも、頻繁に会いたいとも思わなかった。

それでも3年前私が一歳のノッコを連れて帰国した時は、父は本当にうれしそうだったし、思いっきりノッコをかわいがってくれたので、あんな風にまた父を喜ばせてあげたいという気持ちはあった。

だからこそ、また父や母に子供達を会わせてあげたいという気持ちから今回帰国する事を決めたのだった。

父は私達の滞在中、風太のことは抱っこしたりミルクをあげたりしてかわいがってくれていた。

けれどノッコにはあまり話しかけなかったし、一緒に遊んであげようともしなかった。

だから私は、父も他の人達と同様にノッコを煙たがっているんだろうと思っていた。

けれど父は毎朝の犬の散歩には、いつもノッコを連れて行ってくれた。

私と一分でも離れると情緒不安定になっていたノッコが、この散歩だけは私が一緒にいかなくても平気だった。

というか、おじいちゃんと二人だけで行くのが楽しくて仕方がないようだった。

朝、まだノッコがお布団で寝ている時に父が、

「おいノッコ、ローリーの散歩に行くか?」と訊いて来ると、

普段は寝ている時に起こされるとすごく機嫌の悪いノッコも、

「行くー!」と言って、急いで洋服に着替えるのだった。

おじいちゃんと手をつないで田舎道を散歩に出掛けるノッコの後ろ姿は、私の目にも嬉しい光景として映っていた。

ただ父の欠点は、「一貫性に欠ける」というところだった。

どうしてなのか分からなかったのだけれど、時々父はノッコを置いて、フラッと一人で犬の散歩に行ってしまうことがあった。

目が覚めておじいちゃんがもう犬の散歩に行ってしまっていると、ノッコは「おじいちゃん行っちゃったー」と叫び、悲しみのどん底に突き落とされたように泣きじゃくるのだった。

なので、

「ねえ、お父さん、ノッコは毎朝お父さんとローリーの散歩に行くのすごく楽しみにしてるんだから、一人で行っちゃわないで。」

と私が頼むと、

「おお、そうだったのか。分かった、分かった。」と父はビックリしたような顔をして答えた。

(ノッコがあんなにうれしそうに散歩に付いて行ってるんだから、分かるだろ!)

と突っ込みを入れたくなったけれど、鈍感な父は本当に分かってなかったのかもしれない。

それに父は車で私達をモールや公園に連れて行ってくれる時も、絶対に「イヤだ」とは言わなかったけれど、別に楽しんで一緒に行っている訳でもないらしく、彼がノッコに対してどんな風に感じているのか私にはいつもよく分からなかった。

けれどある日、いつものように叔母が家にやって来て、

「ノッコちゃんは相変わらず落ち着きがないねー」などと、心ない言葉を吐いていた時のこと。

その日の叔母はなぜか機嫌が悪く、普段だったらノッコの悪口から今作っている畑の作物の話などに移るのに、いつまでもノッコのことをウダウダと話していた。

私ももうそんな話を聞いているのはうんざりしていた。

その時、

いつもは黙っている父が、

「うるせーなぁ」と言った。(注:東京下町育ちの父は非常に口が悪いです)

私も、母も、叔母も驚いて父の方を見た。

「グダグダとうるせーんだよ。」

「みこ(叔母の仮名)には分かんねえんだなぁ。ノッコはな、慣れない環境で一生懸命なんだよ。」

と父は続けた。

「ほら、この絵を見てみろ!」

それはノッコが数日前に描いた絵だった。

最初はいろんな色のマーカーで何やら描いていたのに、それに黒を足し始めたかと思ったら、他の色で描いた部分もほとんど黒で塗りつぶしてしまった。

「これが4歳の子供が描く絵か?」

「真っ黒だぞ」

「ノッコはな、今不安で不安で仕方がないんだよ。」

「それをお前が来る度にグダグダ言うから、もっと不安になっちまってるんだよ。」

「少しは黙ってろっていうんだ。聞きたくもねえ。」

そう言って父はプイッと奥の部屋へ消えていってしまった。

残された叔母はなんだか居心地の悪そうな顔をして、

「たけちゃん(父の仮名)、あんなに怒鳴らなくたってねぇ」と母に同意を求めた。

母はただ、

「そうね」とだけ答えた。

                                  ◇

私はその晩、昼間父が言ってくれた言葉についてずっと考えていた。

その時の父は私にとっての救世主だった。

溺れかけた私とノッコを、その大きな手で救い上げてくれた救世主。

私が叔母に対して抱いていた鬱憤を、一気に代弁してくれたその潔さに感動していた。

そして私がノッコの真っ黒の絵を見た時に感じたそのままを、父も感じ取っていてくれた事がうれしくて仕方なかった。

(私一人じゃなかったんだ)

この家の中にいて、初めてそう思えた瞬間。

ノッコを理解し、ノッコを守りたいと思っていたのは、私一人だけじゃなかった。

そう気付けたことが、うれしくて、うれしくて、思わず涙が出そうだった。

そして今回のことで、私と父との距離もぐっと縮まったような気がした。

少なくとも私の父を見る目は絶対に変わった。

父は、本当は今までも私が思っていた以上に色々なことを理解してくれていたのかもしれない。

ただ私がそれに気付かなかっただけで、、、。

早速父に感謝の気持ちを伝えたかったけれど、今までが今までなので、恥ずかしくてそんな急に馴れ馴れしくは話せない。

そこでちょっとしたメモを渡す事にした。


お父さん、

今日はおばちゃんの前でノッコのことかばってくれてありがとう。

すごくうれしかった。

子供達のいる生活はうるさくて嫌になっちゃうかもしれないけれど、

ノッコも風太もお父さんが大好きなので、これからもよろしくね。



こんな簡単な内容だけど、私には精一杯の気持ちだった。

そしてそのメモを、寝ている父の眼鏡の下に置いた。








Nokko and Ojiichan 1
ノッコと、おじいちゃんと、ローリー



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不安な、いとこ達との遠出 (2)

*これは一年前のお話で、昨日の記事の続きです。


お昼を食べてからも、ノッコは私さえ怖くて乗れなかった大きな馬になっちゃんの旦那さんと二人で乗ったり、例の得意のmonkey barを皆に披露して、

「ノッコちゃんは、将来はオリンピックの選手だね」などと言われたりした。

なんでもやってみたがるノッコは、やはりスポーツ好きな旦那さんにとってはかわいいらしく、二人で「次はこれをやろう!」と言って挑戦してみては「楽しかったねー」と喜んでいた。

ある時汽車ぽっぽに乗ろうと汽車の方へ歩いていたら、お父さんに肩車をしてもらっている女の子が通り過ぎた。

パパを思い出してしまったのか、ノッコはその親子を寂しそうな目でジーッと見ていた。

それを見ていた旦那さんが、

「じゃあ、おじさんが肩車してあげようか?」と言って

ノッコをひょいっと肩に乗せてくれた。

「ノッコちゃんよかったねー」

私がノッコの背中を叩くと、ノッコもうれしそうに旦那さんの頭にぎゅっとつかまった。

なっちゃんと旦那さんには子供がいないので、正直私ははこの時、なっちゃんがどう感じているのか少し気になったけれど、なっちゃんはニコニコしながら旦那さんの後ろを付いて歩いていた。

帰る前にお土産屋さんでたくさんのおもちゃまで買ってもらい、本当に至れり尽くせりの一日が終わり、私達は帰る準備をして車に乗った。

(風太について全然書いてないのですが、風太もなっちゃんや妹さん、それから道行く人にとてもかわいがってもらって楽しそうでした。)

朝早く起きて一日中思いっきり遊んだし、普段のお昼寝の時間をとっくに過ぎていたので、このままノッコも風太も車の中で爆睡する事は確実だった。

案の定風太は車が走り出した途端スヤスヤと眠りについてしまった。

けれど興奮しすぎたノッコはなかなか眠りにつかなかった。

一生懸命一人で「あれが楽しかった」だの「これが楽しかった」だの話し続けていた。

けれど30分もするとそのおしゃべりもピタッと止まり、それは寝息に変わっていた。

家に着くまでの数時間二人はそうしてぐっすり眠ってしまったので、私達はようやく少し話をすることができた。

実は私は日本に着いて3日目ぐらいから、原因不明のじんましんに悩まされていた。

急に「何か足が痒いな、虫さされかな?」と思って掻いていると、それがブワっと身体中に広がり、一週間経っても全然ひかなかった。

最初は食べ物のせいかなと思ったけれど、毎日同じようなものを食べているのに3日後に症状が出て来たので、食事ではないのかなと思っていた。

そんな話を車の中でなっちゃんにすると、彼女は「それはストレスから来るものなんじゃない?」と言った。

なっちゃんも転職してストレスを溜めていた時に、ジンマシンが出た事があるそうだ。

「やっぱり慣れない環境で子供達をみてるからストレスが溜まっちゃったのかもしれないね。あんまり無理しないようにね。」

そうやさしく言ってくれるなっちゃんが、その時の私にはまるで天使のように見えた。

(ちょっと不安だったけど、でも今日連れて来てもらって本当によかった。)

今回のりんどう湖は、ノッコにとって楽しい思い出になっただけでなく、私にとっても大切な息抜きの日となった。

叔母に嫌われ続けたノッコをこんなに大切にしてもらって、ノッコを喜ばすことを自分の喜びと感じてくれる人達が自分以外にいることが、その時の私にはとてもうれしかった。

(なっちゃん、旦那さん、妹さん、本当にありがとう。)

そんな事を考えているうちにようやく両親の家に着いた。

まず風太を降ろして、そのまま部屋に敷いてある布団に移した。

そしてその次にノッコを抱っこして車から降ろそうとした時、

突然ノッコが目を「パチリ」と覚ました。

そして

「No !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」とすごい声をあげた。

その時、なんだかすごーくイヤな予感がした。

「ノッコちゃんまだ眠いのね。このままお部屋に行って寝ていいからね。」

私がそうやさしく言うと、

「No!   I    am  not sleepy !!!!!!」

とノッコは歯をギリギリさせながら叫んだ。

(こっ、これはまずい。今までにない癇癪が来るーーー!)

そう思った私は、とりあえずノッコをなっちゃん達から見えない所へ連れて行かなくちゃと思い、大暴れするノッコを押えつけて無理やり家の中へ運んだ。

部屋に入ってからもノッコは、ふすまを蹴ったり、おもちゃを投げたりして大騒ぎしていた。

こういう場合はとにかくこの嵐が去るのを待つしかないので、私はしばらく何もせず、何も言わずにノッコのことを見ていた。

するとなっちゃんが、

「さわちゃん、ノッコちゃん大丈夫?」

と中に入って来たので、それに刺激されたノッコは、

「Noooooo !!!!!!!!」といって裸足のまま外に飛び出してしまった。

そしてじゃりの上に寝転んで足をバタバタさせながら泣き叫んだかと思ったら、あろうことか、なっちゃんの旦那さんの車のドアを開けて、自分が座っていたシートに噛み付いた。

そしてそれを歯で噛みちぎろうとしたので、慌てて私はノッコを無理やり引き下ろし、羽交い締めにして、

「ごめんなさいね、なっちゃん、旦那さん。本当にごめんなさいね。」

そう言って、またノッコを部屋に引きずって行った。

部屋に入ってノッコを抱いたまま前後にブラブラ揺れながら子守唄を歌うと、何度も脱出しようとしたノッコも最後には諦めたのか、だんだん落ち着いて来た。

そしてそのまま私の腕の中で眠ってしまった。

外でしばらく話をしていたなっちゃん達が、

「じゃあ、さわちゃん。また今度ね。」

と申し訳なさそうに言い、そのあと車のエンジンをかけて出て行った。

さっきの騒ぎは一体なんだったんだろう、と思うほど家の中が静かになった。

(ノッコちゃん、)

(どうして最後の最後になって、、、)

(あんなに楽しく一日を過ごせたのに)

(なっちゃん達も、きっと今頃車の中で「さっきのはすごかったね」なんて話してるんだろうな。)

(ああ、、、)

(なかなか物事はうまくいかないな、、、)

そう思いながら私は、大きな溜め息をついた。



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不安な、いとこ達との遠出 (1)

* これは一年前のお話です。

その日は、いとこのなっちゃんと彼女の旦那さんが私達家族を行楽に連れて行ってくれることになっていた。

行き先は、「りんどう湖ファミリー牧場。」

もうこれは私達が日本に来る前から計画されていたことらしく、なっちゃんたちはとても楽しみにしていてくれた。

私も楽しみだった。

年をとった両親と狭い家に閉じこもり気味で、近くの公園やモールぐらいしか出掛けられなかった私と子供達には久しぶりの遠出だったし、目的地が子供向けの場所であることがすごくうれしかった。

それになっちゃん達と出掛けたいと思うのには別の理由もあった。

なっちゃんも旦那さんも叔母からノッコのことは色々聞いているだろうし、きっとノッコに対してすでに 「言う事を聞かない難しい子」 という先入観を持っているんじゃないかと思っていた。

だから今回の遠出で、ノッコは普段はそんなにひどい訳ではない事、そして彼女にはたくさんいい所があることをなっちゃん達にも知ってもらいたいと思っていた。

この遠出が終わった時に(叔母からかなりひどいように聞いていたけれど、実際ノッコちゃんと過ごしてみたら本当はすごくいい子じゃない)と思ってくれたらどんなにいいだろうと考えていた。

だからこれは、普段のノッコを見せられるいいチャンスだと思った。

でも、

同時に、

行きたくない気持ちもあった。

理由はただ一つ。

ノッコの癇癪が怖かったから。

今回の遠出で、もしもノッコがこの間のモールの時のように手の付けようのない癇癪を起こしてしまったら、、

そうしたら、叔母の流しているノッコの悪い噂が揺るぎのないものになってしまう。

「ノッコは手のつけようがないほど聞き分けのない子」というレッテルが確固なものとなり、その噂がもっと親戚中に広まるようで怖かった。

ちょっと精神的に追いつめられていたその頃の私には、正直言って「ノッコに楽しい時間を過ごして欲しい」と思う気持ちよりも、そんなことを心配する気持ちのほうが強かったのだ。

そんな楽しみと不安と半々の気持ちを抱えたまま、りんどう湖に行く日がやってきた。

当日は朝7時になっちゃんと旦那さん、それからなっちゃんの妹さんがバンで私達を迎えに来てくれた。

母も一緒に行きたいというので、7人乗りのバンは満席になった。

「本当はおばちゃん(認知症の叔母)も行きたいってしつこかったんだけど断ったの。おばちゃんが来ちゃうと楽しい遠出も楽しくなくなっちゃうからね。」

車に乗り込んでからすぐになっちゃんがそう言った。

なっちゃんは昔から叔母のことがあまり好きでないらしく、今回認知症になってしまってからはなるべく顔を合わせないように避けているんだと母が話していたことがあった。

それでも叔母から話を聞いていたせいか、車の中でなっちゃんも旦那さんも妹さんも、まるで腫れ物に触るようにノッコに接していた。

「ノッコちゃん後ろ暑くない?」

「陽がさして眩しいんじゃない?」

「ほら、お菓子もあるよ。」

こんな調子だったので、車の一番後ろに座っていたノッコは思いっきりVIP気取りで始終機嫌がよかった。

なっちゃんにもらったぬいぐるみでお医者さんごっこをしたりして、なっちゃんの妹に、

「ノッコちゃんはおとなしくていい子だねー。」なんて言われたりしていた。

りんどう湖に着いてからもノッコはお姫様のように皆にちやほやされて過ごしていた。

「ボードに乗りたい!」と言えば、みんなでボートに乗り、

「あの乗り物に乗りたい!」と言えば乗せてもらったり、

「アイスクリームが食べたい!」と言えば買ってもらったり。

一度、水に浮かぶ巨大なビーチボールに乗りたいと言い出した事があった。

私はきっと怖がって乗れなくなるのだろうと思ったので「ダメ」と言ったのだけれど、なっちゃんの旦那さんが「いいよ、いいよ」と言って800円もするチケットを買ってくれた。

ところがそのボールに乗り込もうとした時にノッコはやっぱり「怖い!」と言い出して、結局そのボールには乗らずじまいになってしまった。

チケットを買ってくれた旦那さんには「ごめんなさい」をさせたけれど、これが普段の生活だったらこんなわがままを聞いてあげることなんて絶対にありえなかった。

それにこんな風にみんながノッコに振り回されるのを見ているのは、やはり親として恐縮してしまう部分もあったので、

「ごめんなさいね。なんかノッコがみんなを振り回しちゃって。」

と謝ると、

「いや、いや、いいんですよ。今日はノッコちゃんのためにここに来たようなもんなんですから。ノッコちゃんが楽しんでくれれば、それだけで十分なんです。」

と旦那さんは言ってくれた。

(ううう、なんてやさしい、、、)

ノッコという人間は、確かに癇癪が多くて手はかかるけれど、でも子供らしいと言えば子供らしく、楽しい時は全身でそれを表現するので、それだけで周りにいる人を幸せな気持ちにしてくれるという長所もあった。

思いっきりの笑顔で

「今まで行った所の中でここが一番おもしろい」とか

「明日もあさっても、またここに来たい」とか

そんなことを何度も言っていたので、それを聞いてなっちゃん達は「ノッコちゃんを連れてきてあげてよかったわー」などとうれしそうに笑ってくれた。

こんな感じだったので、私はこの楽しい雰囲気を壊さないようにとにかくノッコが癇癪を起こさないことに全神経を集中することにして、ある程度のわがままには目をつむることにした。

To be continued...........



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またやってくれましたね、お母さん!(2)

* これは一年前のお話です。

ノッコのバースデーケーキを買いにモールまで行った私達。

ようやくモールに着いて食品売り場に行ってみると、

あった、あった、

ノッコが夢にみていたようなピンクのケーキが。

全体に薄いピンクのクリームが塗ってあって、その上にちょっと濃いピンクのリボンが付いていた。

それを見た途端ノッコは「これーー!ノッコこれがいい〜!」と叫んだ。

「オーケー、ノッコちゃん、じゃあよく聞いて。これからモールの中を少し歩くからケーキを持ちながらだとちょっと大変なのね。だからおじいちゃんは帰る時にこのケーキを買ってくれるからね。それまでちゃんといい子にしていられるかな?。」

「うん。」

甥が一緒にいたせいか、ケーキを買いたい一心だったのか、それとも単に自分の誕生日がうれしかったのか、その日ノッコは一度も癇癪を起こさずにモールでの時間を過ごすことができた。

そのモールにはトイザラスもあったので、子供達にそれぞれ小さなおもちゃも買ってあげた。

そういう時普段は全然気がきかない母も、昨日のことがあったからなのか、珍しくノッコに豪華なお絵描きセットを買ってくれた。

おもちゃとケーキを買ってもらって上機嫌のノッコ。

(毎日こんな風でいてくれたらいいのにな)、などと思いながら私達は家路についた。

「ケーキは晩ご飯の後だよ」と言ってあるのに、ノッコは何度も冷蔵庫を開けては、箱のふたを取ってケーキを眺めていた。

「あのリボンのところはノッコね。」

「はいはい、あれはノッコちゃんが食べるのね。ほらほら、いいから冷蔵庫閉めて。」

そんな会話を何度か繰り返したあと、私はお夕飯の準備を始めた。

その日は甥もいたので、子供達が好きそうなごちそうをたくさん作って、それをみんなおいしそうにたくさん食べてくれた。

でも食事中も、ノッコの心がどこにあるのか私達にはよく分かっていた。

人一倍はやくご飯を食べ終わってしまったノッコは、

「ママー、ケーキ!」と催促を始めた。

みんなもそろそろ食べ終わりそうだったので、じゃあ、キッチンでロウソクを4本立てて来ようかな、と私は席を立った。

ケーキを出してカウンターの上に置き、さっき買って来たロウソクを探してみたけれどみつからない。

「お母さん、さっき買って来たロウソクは?」

そう母に聞くと、母は、

「さっきそこに置いたはずだけど、、」と言いながらキッチンに入って来た。

Hoarder である母のキッチンは、他の部屋と同様に色々なもので溢れている。

そこで小さなものが無くなると絶対にみつからない。

そして、

その時、

その悲劇は起こった!

「あそこかな?ここかな?」と引き出しを開けながらロウソクを探していた母の肘がなんとカウンターにのっていたケーキの箱に「パシッ」と当たり、そのケーキは、あれま、あれま、という間に床に落ちてしまった!

「お母さん!」

思わず悲鳴のような声を出してしまった私。

「ケーキ、ケーキ、ケーキが落ちたよ。どうするの!」

「あら、あら、あら」

母も大慌て。

見るとケーキは無惨にも逆さまになっていた。

それをできるだけ動かさないようにまたカウンターの上にのせて、恐る恐る箱を開けて中を見てみた。

ああ、

そこに私が見たものは、

「ピンクの泥の山。」

もともとムースでベースができていたので、元の形も分からないくらいぐちゃぐちゃになってしまっていた。

当然ピンクのリボンも跡形もなく消え、ノッコが発狂することは容易に想像できた。

「もー、お母さんさぁ、どうしてこう大切な時にこういう失敗をするかなぁ。ノッコこれみたら絶対泣くよ。」

「お母さんも見えなかったのよ。ケーキがそんなところにあるの。」

(ほらっ、また言い訳ばっかり。謝れっつーの!)

「いいよ、いいよ、じゃあ。しょうがないからノッコに私から話すよ。」

そう私が言ったところへ、甥が入って来た。

「どうしたの? ケーキは?」

「うーん、おばあちゃんが落っこどしちゃって、ぐちゃぐちゃになっちゃったんだ。」

「うわー、ひでー。おーい、ノッコー、見てみろよ。」

なんと甥は、私の心の準備がまだできていないうちに、そうやってノッコを呼んでしまった。

「なーに?」

そう言いながらキッチンに入って来たノッコ。

「見てみろよ、このケーキ。おばあちゃんが落としちゃってこんなんなっちゃったんだって。」

(あー、ノッコ。どうか発狂しないでー!)

目をぎゅっとつむって、私は心の中で祈った。

するとノッコは、

「リボン」と言ってから、ウルウルと泣きそうな顔になった。

(あーあ、あーあ、あー、やっぱり、、_)

その時、甥がふいに

「この箱についたクリーム食べていい?」と言って、指でそのクリームをすくって食べ始めた。

「うめぇ〜!」

するとそれを見ていたノッコも、私の顔を覗いてから甥の真似をして「ペロリ」

「hmmm, good!」

それから二人で「きゃっ、きゃっ」と笑いながら、結局箱についたクリームをすっかりきれいに舐めてしまった。

このぐちゃぐちゃになったケーキのことは、あんまり気にしていないみたい、、

「はい、はい、はい、じゃあ、これからロウソクを立てるから、残りのケーキはちゃんとテーブルで食べてね。」

そう言いながら、むりやりケーキを丸になるように修正し、その上になんとかロウソクを立てて、私はテーブルにケーキを持って行った。

「♪ Happy Birthday to you ♩」

みんなにバースデーの歌を唄ってもらって、すごくうれしそうだったノッコ。

そしてそうやってはしゃぐノッコの横に、

すっかり安堵してうれしそうな母の笑顔があった。



cake.png
ノッコと甥とぐちゃぐちゃのケーキ


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またやってくれましたね、お母さん!(1)

* これは一年前のお話です。


母がノッコを叩いてしまったその夜、私は母の携帯を借りて庭から姉に電話した。

あまりの怒りとやるせなさで、もうそれ以上一人で感情を抑えていることができなかったから。

一部始終を話すと姉は、

「フーッ」と大きな溜め息をついてから、

「さわちゃん、これから迎えに行ってあげるから、今日からうちに泊まりな」と言ってくれた。

その時の私にはその言葉が本当に、本当にうれしかった。

でもだからってすぐに「うん」とは言えなかった。

姉家族は小さなマンションに住んでいて、おまけにその頃ちょっとした内装工事をしていたので、私達が泊まれるスペースがないことは知っていたし、それに急に予定を切り上げて姉のところに泊まるといいだしたら、やっぱり両親を傷つけてしまうと思った。

母はああ見えても,ノッコを叩いてしまったことを深く反省しているのは私もよく分かっていたから。

なので姉のところにお世話になるのは、予定通りジョンが合流したあと東北へ行ってからにしてもらった。

「じゃあ、」と言うことで、姉の子供を明日こちらに遊びに来させてくれることになった。

その日は何かの行事で甥の学校がお休みだったそうだ。

甥は以前からその日にこちらに遊びに来たいと言っていたけれど、9歳になる甥に一人で電車を乗り継ぎしながら長旅をさせる訳にはいかなかったので、その週末に家族でこちらに遊びにくる予定だったらしい。

でも父(甥のおじいちゃん)が車で乗り継ぎの駅まで迎えに来てくれれば、一人でも行きたいと言っているそうだ。

「カイ(甥の名前)が来てくれればきっとノッコもすごく喜ぶよ。」

そう言って私も明日甥に会えるのを楽しみに布団に入った。

                             ◇

次の日の朝10頃、甥は父に連れられてやって来た。

「あらー、カイちゃん久しぶり。大きくなったねー!」

そう言って肩を抱こうとしたけれど、その手を振り払われてしまった。

9歳ぐらいの男の子って案外シャイなのね。

部屋に上がった甥は、カバンからリモコンカーを出して来て、それを畳の上で走らせ始めた。

甥と一緒に部屋について来たノッコと風太はそのリモコンカーをみるなり、目が 「パーッ」とキラキラしだした。

「やらせて!」

ノッコがすかさず頼むと、ちょっと困ったように

「何て言ってんの?」と甥が私を見た。

「ちょっとやらせて欲しいんだって。いい?」

「いいよ。」

そしてしばらく甥とノッコはそのリモコンカーで遊んでいた。(私は風太がその車を壊さないように見張り番)

その日ノッコは、甥と一緒に本当に本当に楽しい時間を過ごす事ができた。

一緒に家の中でかくれんぼをしたり、

庭でシャボン玉をしたり、

暑くなったので、水遊びをしたり。

子供同士だと、発散するエネルギーの量が一緒だから疲れなくていいみたい。

私もそんなノッコのうれしそうな顔をみているのが一番うれしかった。

water play with Kai



昨日はノッコにとってがっかりすることが重なってしまったし、せっかく甥が来てくれたので、今日はちょっと遅れたノッコの誕生会をすることにした。

「ケーキが食べたい!」とノッコが言うので、お昼寝の後みんなでモールまでケーキを買いに行った。

「ノッコはどんなケーキがいいんだ?」

父が車の中でそう聞くと、

「ピンク!」とノッコは迷わず答えた。

「ピンクかー。じゃあ、今日はおじいちゃんがノッコちゃんのためにピンクのケーキを買ってあげるよ。」

「イエーイ!」

ノッコは日本に来て初めての「イエーイ」を聞かせてくれた。

To be continued......

追伸: 前回の記事にコメントを下さったみなさんありがとうございました。今日風太が食あたりで保育園から帰されてしまったので(そして明日も連れて行けない)、コメントの返事が遅くなってしまうかもしれません。(この記事は昨日書いたものなので載せる事ができました)。もしも明日書けなかったらごめんなさい。できるだけ早くお返事できるようにがんばります。

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そして最悪の展開に、、

* これは一年前のお話です。


本当は私にもよくわかっていた。

コメントでharumskiさんがおっしゃって下さったように、叔母が本当はとても寂しがっていたこと、父や母も慣れない幼児との生活で疲れていたこと、それでも彼らなりに精一杯私達と過ごしていてくれたこと。

自分の感情をコントロールできずに癇癪を起こしてしまうノッコと、やはり自分でコントロールできない認知症を持つ叔母は、実は同じように苦しんでいたのに、私は叔母の行動だけを批判してしまい、それは彼女にとってはとても不公平なことだった。

そして両親やノッコ、私自身が慣れない生活や叔母の態度にストレスを溜めていったのは、本当は何のせいでも、誰のせいでもなく、ただどうしても避けられないトンネルのようなものだったんだと思う。。

思うに母と叔母は、私達が日本に着く前はノッコのことを、毎日おうちでお絵描きやぬり絵をするような、おとなしくて聞き分けのいい女の子だと勝手に想像していたのだと思う。

けれど実際会ってみたら、少しも落ち着きがなく、とても反抗的で、自分達にちっとも懐かない子供だったので、きっとどう対応したらいいのか分からなくなってしまったのかもしれない。

しかもノッコが言っていることも全然分からず、自分が話していることもノッコに伝わっているのか確認できないため、もどかしい時もたくさんあったのだと思う。

特に母にとっては、今までの静かな生活とは180度違う生活になってしまい、次第にイライラする気持ちも溜まっていたのだと思う。

でも、

それでも、

私の母がノッコにした最低のことを、今でも私は許す事ができない。

その「最低のこと」とは、

ノッコに手を上げたこと。

                               ◇

公園で他の子供達と楽しく遊んだ次の日、私はまた子供達を連れて夕方、昨日の公園へ行ってみた。

「明日も来る?」とその子達の方から訊いて来たくらいなんだから、きっと今日も来るのだろうと思っていた。

けれど私達が公園に着いた時には、いつものように誰もいなくてただガラーンとしていた。

(もうちょっとしたら来るのかな)

と思ってしばらくブランコなどで遊んだりしていたけれど、一時間近く経っても結局誰も現れなかった。

あんまりにノッコがしょんぼりしているので不憫に思い、帰る時にちょっと寄り道をしてコンビニでアイスクリームを買ってあげた。

そんな事をしていたらすっかりいつもよりお夕飯の支度が遅くなってしまい、ノッコも風太もお腹をすかせて愚図り気味だった。

キッチンでバタバタと慌ただしく動いている私のところへ、またまた空気の読めない母は、なにやら新聞を持ち出して話しかけて来た。

今までお話していませんでしたが、実はうちの母、俳句や短歌を書く人なんです。

しかもかなり高度な。

この「繊細さ」がほとんどゼロに近い母から、どうしたらこんなに美しい詩が生まれるのだろうと思うくらい、すばらしい詩を書くんです。

それで数ヶ月前に、母の短歌が全国の新聞に載ったとかで、それを私に見せようと、母はそのページを広げながらキッチンに入って来た。

「ほら、この短歌が載ってね。」

そう言って説明している母の話を、野菜を切りながら聞いていた私。

そこへノッコが

「ママー、お水ちょうだい」

と言って入って来た。

でも料理と母の話に気を取られていた私は、その時ノッコの声が聞こえなかった。

「ママー!」

きっと3回ぐらいは呼んだんだろうけど、全然聞こえなかった私はずっと無視していた。

するとイライラしたノッコは、またまたこともあろうか、母の開いていた新聞を「ビリっ」と破いて「ママーって呼んでるのに!」と言った。

その途端、

「なんだね、この子は!」という母の声と、

「パシーン」と頭を叩く音がその場に響いた。

ノッコは倒れさえしなかったけれど、少しよろけてキャビネットに寄りかかっていた。

サラサラの髪が一斉に左に流れ、それに覆われた顔がどんな表情をしているのか私からは見えなかった。

私もジョンも、誰も一度も手を上げた事などないのに、

どんな事があっても体罰だけはしないようにしようと決めてきたのに、

なんであんたが叩くのよ!

「お母さん!人のいえの子供叩かないでよ!」

私がそう怒鳴ると、母はバツの悪そうな顔をして、でも「あら、あら、もう」などと言いながら破けた新聞を取り繕うことに一生懸命だった。

私にもノッコにも絶対に謝らない。

「ノッコちゃん、大丈夫?」

そう言って顔を覗くと、

ちょっと放心状態のノッコ。

頭が痛い、というよりビックリしてしまったんだと思う。

そしてとても歪んだ顔で

「おばあちゃんhit me」と言った。

「そうだね、おばあちゃんはしてはいけないことをしたね。」

「おばあちゃんhit me]

ノッコはもう一度同じセリフを繰り返した。

でも不思議と泣きはしなかった。

ただだまっていつまでも下を向いていた。

そんなノッコを抱きしめて

「おばあちゃんがノッコちゃんを叩いたことはよくないことだけど、でもノッコちゃんがおばあちゃんの大切な新聞を破っちゃったからおばあちゃん怒っちゃったんだよ。それは謝ろうね。」

私がそう言っても、しばらくはすねて謝ろうとしなかったノッコ。

でも最後に「おばあちゃん、ごめんなさい」と謝った。

それを聞いて母も

「おばあちゃんも叩いたりしてごめんね。」

とようやく誤ってくれた。

                                  ◇


その日の晩、いつものように読み聞かせをしているとノッコが、

「どうして今日誰も公園に来なかったの?」と訊いて来た。

「さあ、どうしてだろうね。パパとママとどこかに行ったのかもしれないね。ノッコちゃんも保育園のあと、時々パパとママとお出掛けするでしょ。公園に行きたいってノッコちゃんが言っても「ダメ」っていうじゃない?」

「うん。」

「それと同じじゃないかな。きっとみんな本当は公園に来たかったんだと思うよ。」

「う、、、ん」

そしてしばらくしてから私は、

「ねえ、ノッコちゃん。今日、、、おばあちゃん、ノッコちゃんのこと叩いたりしてごめんね。」ともう一度謝った。

「、、、、、、」

「どんなに怒っても、人を叩く事はよくないことだよね。」

「、、、、、、」

「叩かれたところ痛かった?」

私がそう訊くと、大粒の涙がノッコの目から溢れ出してきた。

叩かれた時は少しも泣いたりしなかったのに。

そしてノッコはそのあと私の胸に顔を埋めてシクシク泣き始めた。

それは、おばあちゃんに叩かれたことが悲しかったのか、公園に誰も来てくれなかったことが悲しかったのか私にはよく分からなかったけれど、

ドラマクイーンのノッコが、そんなに静かに泣くのを見たのは彼女が生まれてから初めてのことだった。




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日本の子供達みーつけた!

* これは一年前のお話です。


両親の家に滞在している間、ノッコや叔母のことで辛いなと感じる時はたくさんあったのだけれど、それを更に助長していた理由として、「インターネットが使えない」というのがあった。

私の両親はコンピューターはもちろんのこと、二人揃ってビデオデッキの使い方さえ知らないという器械音痴だったので、当然インターネットなどとは無縁の生活を送っていた。

もしもインターネットが使えれば、子供が遊べそうな所を検索したり、ジョンに毎日メールをしたり、子供達とスカイプができたのに、それができない不便さははとてももどかしかった。

しかも両親の電話はコードレスでなかったので、姉に電話して叔母の話をしたくても、いつも電話の近くに父や母がいたのでそれもできず、自分が外部の世界と遮断されてしまっているようで、常にどうしようもない孤独感を感じていた。

それに昼間は同じ話を何度も繰り返す叔母の相手をして、夜になると今度は母の愚痴につき合わされることが多かった。

子供達が寝た後、私は何も考えずにただテレビを見ていたいのに、母はいつも私の横に来て、昔同居していた祖母の悪口や、父と今でもけんかばかりしている話等を延々と話し続けるのだった。

なので、母が「早くまた日本に帰ってきなさい」と何度も催促してきたのは、本当は別に孫に会いたかったからじゃなくて、ただ単に愚痴を聞いてくれる相手が欲しかっただけだったのかもしれないと思ったりした。

ただでさえ子供達の世話で疲れていた私にとって、毎日毎日叔母や母の愚痴を聞かされるのは、はっきり言って苦痛だった。

だからいつももっと楽しい話ができる友達が欲しくて仕方がなかった。

ちょっと子供の話をしたり、最近の日本の話などができる人。

(早くこの会話を打ち切りたい)と思いながら一緒にいるのではなく、(この人ともっと話をしていたい)と思えるような人。

そして私がそんな友達に飢えていたのと同じくらい、ノッコも一緒に遊べる友達に飢えていた。

「お家に帰りたい」

「保育園でステファニーと遊びたい」

と思い出したように言い出しては泣いていた。

そんなノッコが子供達と遊べるように、公園やモールのキッズコーナーなど、他の子供達がいそうな場所を廻ってみたけれど、どこにも子供達はいなかった。

これは本当にいつも不思議で仕方がなかった。

みんなどこにいるんだろう?

幼児がいるお母さん達は一体どこに子供達を連れて行くんだろう?

そんな事を思っているある日、

いつものように夕方ノッコと風太を連れて公園に行くと、

なんと、

いましたよ、

楽しそうに遊んでいる子供達が!

それを見てノッコも思わず

「Mama, look! Kids are playing!」と嬉しそうに叫んだ。

私も思わず興奮して胸が高鳴ったけれど、とりあえずいつものようにブランコのところに子供達を連れて行った。

そしてノッコにブランコをさせながら、しばらく様子見。

小学校の一年生から4年生ぐらいまでの子が4−5人滑り台のところで鬼ごっこをしていた。

女の子も男の子もいる。

「ノッコちゃん、みんなと遊びたい?」

ノッコにそう訊くと、何だかはっきりしない態度。

「ノッコちゃんが持って来たそのピンクのボールで遊ぼうって言ってみる?」

そう訊くと、小さく「うん」と頷いた。

シャイなノッコは絶対自分から「遊ぼう」とは言えないので、私がノッコの手を引いて、子供達のところへノッコを連れて行った。

「こんにちは。この子はノッコって言うんだ。まだこの辺にお友達がいないから一緒に遊んでもらえるかな?」

私がそう訊くと、一番大きな女の子が

「いいよ!」と嬉しそうに言ってくれた。

そして下を向いているノッコの顔を覗き込んで

「目が青いー。お人形さんみたい。かっわいいー」と言った。

「よし、じゃあ、このボールでサッカーやろうぜ。」

そう言って早速ボールを蹴り始めた男の子達。

だんだんサッカーに夢中になってノッコの存在を忘れてしまう男の子に比べて、女の子は常にノッコに気を遣ってボールをパスしてくれたりした。

ボールを追いかけて走り回るノッコ。

あんな笑顔を見たのは本当に久しぶりだった(実際はたかが数日だったんだけど)。


Nokko in the park
ノッコと子供達



そして風太をブランコにのせて遊んであげていると、

何と、

2歳ぐらいの男の子を連れた若いお母さんがこちらに向かって歩いて来た!

ようやく出会えた!

子連れのお母さん!

今日は親子でラッキーな日!

私は獲物を見つけたコヨーテのように、すぐにでもそのお母さんにかぶりつきたかったけれど、興奮する気持ちを抑えてとりあえずクールを装った。

すると

「こんにちは」

と向こうから挨拶をしてくれた。

「こんにちは」

何故かちょっと緊張していた私。

でもがんばって自分から話しかけてみた。

「かわいいですね、何歳ぐらいなんですか?」

「この間2歳になったばかりなんですよ。」

「あら、2歳にしては大きい方じゃないですか?」

「そうですね。周りの子に比べて割と大きい方かな」

こんな何気ない会話から、子供の偏食やトイレトレーニングのこと、この地域の子供が遊べるところや、日本の保育園のシステムなど、私達は話題に欠く事なくいつまでもしゃべり続けた。

その人は私よりずっと年下だったけれど、ノッコと同い年の上のお子さんもいらっしゃるそうで、その面でも話は尽きなかった。

30分ぐらいの時間が本当に「あっ!」という間に経ってしまった。

本当はもっともっと話していたかったのだけれど、次第にポツリポツリと雨が降り出してしまったので、私達は仕方なく家に帰る事にした。

「ノッコちゃーん、帰るよー」

と私が叫ぶと、

「まだ帰りたくないー」と言う返事が返って来た。

(そうだろ、そうだろ)と思いながらも、「また一緒に遊んでもらおうね」となだめて帰りの準備をさせた。

「ねえ、この子明日も来る?」

一人の男の子が私に訊いた。

「うん来るよ。そうしたらまたノッコと遊んでくれる?」

「いいよ。」

「じゃあねー。」

そう言って子供達に手を振ってから私達は家路に向かった。

ニコニコしながら歩いているノッコ。

彼女から溢れているエネルギーが、いつもよりずっとポジティブなのがよくわかった。

「ノッコちゃん、みんなと遊べて楽しかった?」

「うん、明日も遊ぶ」

「そうだね、明日も来てみようね」

その晩ノッコは、日本に来て初めて癇癪を起こさずに晩ご飯を食べてお風呂に入ることができた。

「ノッコちゃん、今日はがんばってずっといい子にしてたね。」

夜、私が読み聞かせをしながらそう言うと

ノッコは少し照れたように笑った。

その夜は、寝顔までがうれしそうだった。




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イヤな噂

* これは一年前のお話です。
(注:実は叔母達の会話は全てその地方の方言だったのだけれど、それを再現するのはちょっと労力が要るので標準語で綴らせていただきます。)

認知症が始まっていた叔母は、毎日風太の顔を見に私達のところにやってきた。

そうして一度家に上がると、何時間でも座って話をしていくので、結局子供たちのご飯を作らなくてはならない私が叔母の分の食事まで用意する羽目になっていた。

ノッコは最初の頃は叔母に遊んでもらおうとして彼女の近くに行ったりしていたけれど、ノッコの遊び方はとにかく身体を使うものが多く、後ろから叔母に抱きついたり、ソファからジャンプしてそれを受け止めてもらおうとしたりしたので、叔母に嫌がられてしまった。

そして「叔母さんが嫌がっているからやめなさい」と言っても絶対に一回でやめないので、

叔母から

「じゃじゃ馬」だの

「気性が激しい」だの

「顔つきが“いかにも聞き分けのない子”という感じ」だの

さんざんな言われようだった。

私が何度「ノッコはこちらが言っている事はほどんど分かるから」と言っても、

叔母は二言目には

「どうせ日本語は分からないんでしょ」と言って、ノッコが傷つくようなセリフを遠慮なく言い放っていた。

なのでそんな叔母の心無い言葉を聞かせないために、叔母がうちに来た時はノッコを散歩に連れて行ったり、奥の部屋でテレビを見せたりして、できるだけ顔を合わさせないようにしていた。

遊びに来る度に風太だけを猫かわいがりする叔母。

自分は嫌われているのだと感じとったノッコは、ある日あろうことか、車から降りて玄関に向かってきた叔母にジャリを投げてしまった。

「まー、なんてことするんだろうね、この子は!」とか

「まったく末恐ろしい子だよ」というような声が聞こえてきて、

それと同時に泣きそうな顔をしたノッコが私にしがみついてきた。

「どうした、ノッコ?」

私がそう聞いても何も答えない。

「さわちゃん、ノッコちゃんはおばちゃんに石を投げたんだよ。いったいどういうつもりなんだろうね!」

と叔母は怒りで顔を真っ赤にしていた。

縁側でその様子を見ていた母から聞いた話では、ノッコは足元のじゃりを叔母に向かってばら撒いた程度で、直接叔母にかかった訳ではないらしかった。

でも叔母は目に砂が入っただの、ズボンが汚れただの大騒ぎしていた。

ノッコに叔母に「ごめんなさい」をさせて、そのあと奥の部屋でタイムアウトをさせた。

人に向かって石を投げるのはけっしてしてはいけないことなので、私もそれについては厳しく注意したけれど、「もううちに来ないで欲しい」という思いを上手に表現できなかったノッコの気持ちも分かるので、叱りつけたあとはできるだけやさしくし接した。

そしてその日叔母が帰った後、しばらくしてからもう一人の伯母(母の姉)が訪ねてきた。

しばらく私と母と世間話をしたあと、

「あのね、本当はこんな事言いたくないんだけど、、」と伯母は切り出した。

「○○ちゃん(認知症の伯母)がね、どうやら近所でノッコちゃんのことを悪く言って歩いてるようなんだよ。」

「そうなんですか?」

「やれ、気性の激しい子だの、末恐ろしい子だの」

「。。。。。。。。。」

「今日もここに寄った後うちに来て、ノッコちゃんが石を投げてきたって大騒ぎしてね。」

「さわちゃんもそんな事言われて嫌だろうけど、まああれも病気だからね。勘弁してやってね。」

それだけ言うと、伯母はそのまま帰っていった。

私の中に、悲しいような腹立たしいような、なんとも言えない感情が芽生えてきた。

「ねえお母さん、この間から頼んでるけど、今度こそはっきりおばちゃんにうちに来ないように言ってくれない?おばちゃんが来ると、ノッコだけじゃなくて私にも、ものすごいストレスがかかるんだ。」

「でも言ってみたところで無駄だと思うよ。さわこ達がここに着いた日だって、みんな長旅で疲れてるから挨拶にくるのは次の日にしてくれって頼んでおいたのに、結局その日に来ちゃったんだから。」

「でももっとはっきり言ってくれれば、さすがのおばちゃんだって分かるんじゃない。」

「でもあれもボケちゃって他に行くところがないんだよ。お母さんだってそんな状態になった妹を無碍にはできないよ。あれはもう病気なんだから、そう思ってがまんしてちょうだいよ。」

母にそう言われてしまって、私も返す言葉がなかった。

これからは、できるだけノッコと叔母を会わせないように自分がノッコを守っていってあげるしかないなと思った。

                               ◇

それからは叔母が家に来そうな時間には、顔を合わせないように父に近くのモールに連れて行ってもらった。

でもある日、子供達とモールのおもちゃ売り場を見て回っていると、

「あら、さわちゃん!」

という聞き慣れた声がしてビックリした。

振り返ってみると、そこには他の誰でもない叔母が立っていた。

「おばちゃん、どうしてここに?」

「うん、さわちゃんのお母さんがさわちゃん達はモールに行ったっていうから、このモールかなと思って。」

(もう!なんでお母さんそんなこと一々教えちゃうんだよ)

しかしこの辺にモールは他にもたくさんあるし、このモール自体もすごく大きいのに、こうしてかち合ってしまう偶然さ。

もう叔母の執念としか思えなかった。

(もう叔母から逃げられない)

そんな気がして、その日はもう叔母の顔をまともに見る事さえできなくなってしまった。

そしてその次の日。

雨でどこにも行けなかった。

母も父も用事で出掛けたので、叔母が訪ねて来そうな時間帯に玄関のカギをかけて居留守を使う事にした。

案の定10時ぐらいになると、叔母の「きーちゃん(母の名前)?」という声がして、その後呼び鈴の音がした。

何度もしつこく呼び鈴を鳴らしたり、ドアを叩いたりしていたけれど、私は出て行かなかった。

そのうち縁側の方へ回ったようだったけれど、雨戸も閉めておいたので、中は見えないはず。

たまたま風太は寝ていて、ノッコもテレビに夢中だったので丁度よかった。

そのうち諦めて帰ったようだったけれど、その後すぐ両親の家の電話に電話がかかってきた。

両親の電話はコードレスにもなっていず、留守番機能もついてない古いタイプのもの。

なので、そのまま音量を消して電話を鳴りっぱなしにしておいた。

すると今度は母が忘れて行った携帯に電話がかかってきた。

名前をみると、やはり叔母だった。

電話が鳴っては切れ、鳴っては切れ、30分ぐらいの間に結局17回かかってきた。

もうこうなると、その執念が怖い位だった。

そして私は、バイブレーションが「「ウィーン、ウィーン」と鳴り続ける母の携帯をじっとみつめながら、

(早くアメリカに帰りたい)

と心の中で呟いた。



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爆弾になったノッコ

* これは一年前のお話です。


実際ノッコは、親の私でも手を焼いてしまう程、とても扱いにくい子供に変化していた。

アメリカにいた時からけして聞き分けのいい子ではなかったけれど、日本に着いてからはそんなレベルではなくなってしまった。

もちろん普通にしている時もあったけれど、度々「自分を失っている」ような状態になる時があった。

もっと分かりやすく言ってしまえば、「酔っぱらっている」もしくは「ドラッグでハイになっている」ような状態。

「デへへ」と変な笑いを浮かべて、何度も何度もしつこく私や両親にからんで来たかと思うと、小さな事で急に怒り出し、その癇癪がもう半端じゃなかった。

実は以前にもノッコがこんな状態に陥ってしまった事が2回あった。

一回目は確か3歳ぐらいの時。

夜中に咳が出てそれがつらそうだったので、市販の咳止めのシロップを飲ませたことがあった。

するとそれから3時間ぐらいして突然悲鳴のような声を出したかと思ったら、気違いのように泣き出した。

その後ものすごい癇癪を起こし、エクソシストの中の悪霊に取り憑かれた女の子のようにベッドの上で身体を前後に揺らし、そしてそのまま下に落ちた。

どんなになだめようとしても、もう完全に「イッちゃっている」という感じで、私達の言う事を聞く耳など全く持っていなかった。

ようやくノッコの癇癪が治まってから、私達はすぐにそのシロップをゴミ箱に捨てた。

そして二回目は友人の家のパーティで、初めてゲータレードを飲ませてもらった時のこと。

あの咳止めシロップの時とほとんど同じ感じで、頭を前後にブンブン振っては壁に体当たりしたりして、とても正気な人間とは思えない状態になってしまった。

その後ジョンがあの時使った咳止めシロップとゲータレードの成分を調べてみたところ、何と同じケミカルを使っている事がわかった。(ごめんなさい。そのケミカルの名前を忘れてしまいました)

その時、薬のような成分が幼児の脳に与える影響の大きさを知った。

こんな経験があったので、日本で最初にノッコの様子が変になった時、まず食べ物の事を考えた。

ノッコに与えたパンやお菓子類、ジュースの成分表を見てみたけれど、これといって薬っぽいものは何も入っていなかった。

(じゃあ、きっと環境が変わって興奮しているんだろう)と思い、日本での生活に慣れてきたらきっと元に戻るだろうと考えるようにした。

ところが時差ボケも取れて生活のリズムもできてきた頃になっても、ノッコの様子はあまり変わらなかった。

(きっと家の中にばかりいて鬱憤がたまっているんだろう)と思い、父に頼んで近くのモールに連れて行ってもらったことがあった。

そのモールには、お金を払うと数時間遊ばせてもらえるキッズコーナーがあった。

そこでしばらく楽しそうに遊んでいたノッコ。

(ようやくもとのノッコに戻って来たな)と胸を撫で下ろして、この様子ならここでランチをしても大丈夫かなと思ったので、父と母と子供達を連れてモールの中のレストランに向かった。

ところがそのレストラン街にある自動販売機を見たノッコは、ジュースが飲みたいと言い始めた。

さっきキッズコーナーを出た時にジュースを飲んだばかりだったので「ジュースはダメだけど、お水かミルクならいいよ」と言って買ってあげなかった。

普段だったらここで少し泣きはするけど、私達が歩き出すとそのまま後を付いて来るのに、この時はそこからビクとも動こうとしなかった。

「ジュース買ってー!」

そう言いながら床に寝転び、足をバタバタさせて泣いていた。

それが英語だった上に、ノッコの声はバカでかい。

当然近くにいた人達は何事かとノッコの周りに集まって来た。

私は恥ずかしくなってしまったので、そのままノッコを抱っこして連れて行こうとした

けれどノッコはそれに反抗する、反抗する。

私を蹴ったり、突き放したりしようとしてすごくもがいた。

しかも泣き声がデカい!

とうとう誰かが通報したのか、モールの警備のおじさんが様子を見に来てしまった。

「大丈夫ですか?」

「ああ、すみません。子供が癇癪を起こしてしまって。」

「お嬢ちゃんは何が欲しいのかな?」

おまわりさんのような人にそう訊かれてちょっとビビってしまったノッコ。

泣くのを止めて、しゃくりあげながら

「ジュース」

と言った。

「じゃあ、おじさんが買ってあげようね。」

そのおじさんがそう言ったので、私は慌てて、

「いえ、いえ、私が買いますから」

そう言って、仕方なくノッコが欲しがっていたジュースを買ってあげた。

するとさっきまで泣き叫んでいたのが嘘のようにノッコの機嫌はケロッと直り、うれしそうにジュースを飲みながら私の後を付いて来た。

(ああ、これで泣き叫べば欲しい物が買ってもらえるという知恵が付いてしまったなあ)などと思いながら私は彼女の手を引いて歩いた。

                                 ◇

レストランを出たあと駐車場に向かっていると、そのモールの広場のようなところに小さな遊戯場があるのが見えた。

それをみつけたノッコは、すかさずそこで遊びたいと言い出した。

またさっきのような癇癪を起こされるのは嫌だったので、しばらくそこで遊ばせることにした。

そこにはノッコより少し上ぐらいの子供が2−3人いた。

最初は楽しく一人で遊んでいたノッコが、次に恐竜の乗り物に乗ろうとしたけれど、さっきからずっとそれに乗っている男の子がいて乗れなかった。

「さっきからずっとこれに乗っててずるい。順番だよ。」

ノッコが一生懸命その子にそう言ったけれど、なんせ英語なのでその子もキョトンとして困惑していた。

「おまえ何言ってるんだよ」

「下りてよ!」

「分かんねえよ」

自分の言っている事が通じない事にイライラしだしたノッコは、さっきのジュースの時よりひどい癇癪を起こし始めた。

それを見ていた男の子のお父さんが慌てて走って来て、

「ごめんね。ほらっ、乗っていいよ」

そう言って、息子さんを無理やり下ろしてノッコにその恐竜を譲ってくれた。

けれどノッコの癇癪はすでに自分でもコントロールできないレベルに達していて、恐竜を譲ってもらったくらいでは治まるものではなかった。

私も

「すみませんでした。」

と頭を下げながら慌ててノッコを抱きかかえて、そのまま車のところまで向かった。

「まだ遊ぶー! 帰りたくなーい!」

そう叫び続けるノッコを無理やり車に押し込んで、私達はようやく車を走らせた。




「この子は気違いのようだね」

母が車の中で何度もそう言った。

「お母さん、本人も何を言われているのか分かるんだからそういうこと言うのやめて。」

そう言って母を戒めたけれど、私自身も何に対して怒ったらいいのか分からなかった。

ただそれからは、ノッコがいつ癇癪を起こすかとそればかりを心配してしまい、誰が訪ねてきても、どこにノッコを連れて行っても 、一時も落ち着くことのできない生活を強いられるようになってしまった。



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ほんっとにきかない子だね、この子は

* これは一年前のお話です。


ちょっと叔母の話に入る前に、前回の記事の追記があります。

もう一度昨日書いた記事を読み直してみて、私の両親がノッコと風太の両方の面倒を全然みてくれなかったように書いてしまったことに気がつきました。

正確に書くと、風太の相手は時々してくれていました。

基本的に父も母も赤ちゃんは好きらしく、3年前に一歳のノッコを連れて行った時と同じように風太のことはかわいがってくれました。(父は相変わらず風太をコノヤロー呼ばわりしていたし)。

ただノッコのことはどう扱ったらいいのか分からなかったらしく、テレビを見せる以外はほとんど「一緒に遊ぶ」ということはできなかったようです。

それでは、どうして叔母が私の頭痛の種になっていったのかについて書いていきたいと思います。

                            ◇

叔母に認知症の症状が出て来ていることは、私達がアメリカを発つ前に母から聞いていた。

しょっちゅう「鍵を失くした」とか「お財布を失くした」と騒いだり、同じ質問や話を何度もするそうだ。

そんな調子なので友人も次第に減ってしまい、家にいても旦那さんや息子さんに煙たがられるので、一週間に一回は母の家に遊びに来るようになったと言っていた。

私と子供達が日本に来ると聞いてからは、毎日のように「さわちゃん達はいつ来るんだ?」と電話が来て大変だと母がこぼしていた。

その叔母が、私達が両親の家に着いたその日に遊びに来た。

久しぶりに会う叔母は血色もよく、見た目だけでは認知症が始まっているなんて全然思えない感じだった。

相変わらず底抜けに明るい人で、ニコニコしながら、

「あらーー、さわちゃん来たのねーー!」と私達の帰国をとても喜んでくれた。

そして風太を一目見て、他の多くの人達と同じように恋に落ちてしまったようだった。

「あんらーー、かっわいいのねーー!」

そう言った叔母の顔はまるで溶けてしまいそうだった。

「目がクリクリして、肌が真っ白で」

そう言って風太を抱っこしたり、何か食べ物を与えようとしたりして、叔母は常に自分のそばに風太を置いておこうとした。

そしてノッコにも

「あらー、すっかりお姉ちゃんになっちゃったのね」と言って、頭を撫でたりしてくれた。

でも日本に着いてからのノッコはいつものノッコではなくなっていた。

常に落ち着きがなく、何の理由もなくいつもイライラしていて、それでいて変にハイパーで、次にどんな行動を起こすのか予想ができない感じだった。

叔母が私達に会いに来てくれた時も、座椅子に座りながらテーブルを蹴っ飛ばしたり、テーブルの上にのっているものをわざと下に落としたり、ソファの上に登ってでんぐり返りやジャンプをしたりと、少しも落ち着きがなかった。

最初は

「あらあらノッコちゃんはおてんばさんなのね」などと笑っていた叔母も、

いくら注意してもジャンプをやめないノッコを見ていて

「全然きかない子だね、この子は」と眉をしかめるようになった。

するとそれに同調するように母が

「ほんっとに。一分もじっとしていられないんだから」と言ったりした。

私もノッコもそんな話を聞いているのは嫌だったので、

「おばちゃん、悪いんだけど、私も子供達も長旅の疲れと時差ボケでかなり疲れてるから、ちょっと奥の部屋に行って横にならせてもらうね」と言って、

子供達を連れて奥の部屋へ引っ込んだ。

実際ノッコはかなり疲れていて、お布団に横になった途端に寝てしまった。

私が風太を寝かしつけていると、突然ふすまがスーッと開いて、驚いた事に叔母が部屋に入って来た。

「もう子供達は寝ちゃったの?」

そう言いながら叔母は、私の寝ていたふとんに横になった。

「風太君は本当にかわいいねぇ」

そう言って風太の寝顔をしばらく見ていたかと思ったら、自分の息子達が小さかった頃の話を始めた。

その時の私はかなり眠たかったので、目がウトウトしたり、あくびをしたりしていたのに、叔母には一向に出て行く様子がなかった。

この空気の読めなさは認知症のせいなのか?

いや、

母と全く同じところをみると、きっと血のせいなんだ!

姉妹揃って、なんでこう。

いつまでもダラダラとしゃべり続ける叔母をみていて、これはもう寝かせてはもらえないなと思ったので、子供達を起こさないように部屋を出る事にした。

そしてリビングに移ってからも、叔母は自分がどれくらい子育てに苦労したかについて熱く語り続けた。

そしてその間、思いついた様に

「それで旦那さんはいつ来るの?」と訊いてくるので、

「2週間後だよ」と答えた。

そしてまた5分くらいすると

「それで旦那さんはいつ来るの?」と訊いて来るので、

「2週間後」と答えるというのを、少なくとも8回は繰り返した。

さすがに疲れていた私はその会話を打ち切りたくなって、

「おばちゃん、悪いんだけど、風太が寝ている間に風太が触りそうな物を動かさなくちゃいけないから」と言って、そばにあった収納ボックスを動かし始めた。

「お母さんも手伝うよ。」

そう言って母も動き始めたので、叔母は、

「じゃあ、私はそろそろおいとましようかな。」

と言って、ようやく重い腰を上げてくれた。

そうやってその日はなんとか叔母に帰ってもらうことができたけれど、

他に誰も話し相手がいず、しかも風太に執着してしまった叔母は、それから毎日毎日風太に会いに顔を出すようになった。

(そう、正にあの中国人親子の時のデジャヴ!)

そしてその度に、彼女のノッコに対する罵りもひどくなっていった。


To be continued……..



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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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