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養子であることが不利になる時

* これは4年前のお話です。

ある日、日本人のお友達とノッコのパスポートについて話していた時、

「そういえば知ってた? 両親のどちらかが日本人であれば、アメリカで産まれた子供でも日本のパスポートも作れるんだよ。」と教えてくれた。

「えっ、そうなの?」

「そうだよ。うちの子は二人ともアメリカと日本の両方のパスポートを持っているよ。」

「そうなんだ。」

こういう事には本当にうとい私。

アメリカで産まれた赤ちゃんは、どんな国のお母さんから産まれてもアメリカ国籍を貰えることは知っていた。

アメリカ人であるジェシカから産まれたノッコは当然アメリカ国籍をもっていた。

でも私が日本人という理由で日本の国籍までもらえるとは思いもしなかった。

将来ノッコが日本で働きたいと思う日が来るかもしれない。

もしも今日本のパスポートを作っておいた方が彼女のためになるのなら作っておくのも悪くない。

早速、日本のパスポートの申請の仕方を調べてみた。

ああ、まず日本の戸籍にノッコの名前を加えないといけないんだ。

そのためには日本領事館にアメリカの出生届けを提出して、、、

ノッコの正式な出生届けには私とジョンの娘という記述がしてあるだけで、そこには「養子」ともなんとも書いていない。

だからこのまま領事館に提出しても、書類上は何の問題もないはず。

でも一応問い合わせてみた方がいいかな。

そう思って日本の領事館に電話をしてみた。

「もしもし、あっ、すみません。あの、娘の日本のパスポートを作ろうと思っているですが、実は娘はこちらで迎えた養子なんです。娘が養子の場合でも日本の国籍は取得できるんでしょうか。」

「お子さんはアメリカで産まれたんですか?」

「はい。産みのお母さんもアメリカ人です。」

「産みのお父さんは日本人ですか?」

「いえ、産みのお父さんもアメリカ人です。」

「すみません、少々お待ち下さい。」

その人は奥で別の人と何やらごちゃごちゃ話していた。

「大変お待たせしました。えっとですね。申し訳ないのですが、やはり養子の場合は、日本国籍はちょっと取得できないんですね。」

「そうなんですか? でも両親のどちらかが日本人であれば可能だと聞いたんですが、、」

「はい、血の繋がった両親のどちらかが日本人であれば可能なんですが、、」

「でも法的にも私達の娘なんですよ。出生届けにも別に養子と書いてないし。」

「はい、そうなんですが、、日本の法律では、、血縁関係がないとちょっと無理なんですね、、、」

「そうなんですか。わかりました。ありがとうございました。」

別に電話に出てくれたその人のせいでノッコのパスポートが作れなかった訳じゃない。

でも電話を切ったあと、私はやけにもやもやしてしまった。

血の繋がった娘なら問題ない。でも養子の娘では無理。

ノッコを養子に迎えてからそんなセリフを言われた事は一度もなかった。

毎日の生活の中では、私も周りの人達もノッコが養子ということを忘れているぐらい、ノッコは普通に「私達の娘」だった。

ノッコの保育園の申請をした時も、アメリカのパスポートを申請した時も、ノッコが養子であることが不利に働いたことはないし、「ノッコが養子でさえなければ」なんて残念に思ったことなども一度もない。

でもここへ来て初めて壁にぶつかった気がした。

初めて現実を見せつけられた気がした。

実は私は以前にもこれと同じような思いをしたことがあった。

それは私とジョンが結婚式を挙げた十数年前。

アメリカで結婚式をするために、日本で仲の良かった友達を二人招待した。

18才の時からずっと仲良くしてきた大切な女友達。

二人とも私の結婚を自分のことのように喜び、二つ返事で参列する事を同意してくれた。

でも結婚式の数ヶ月前に、そのうちの一人から電話がかかってきて、やっぱり結婚式には出れなくなったと言われた。

理由は彼女が在日韓国人だから。

彼女もなぜなのかわからなかったけれど、アメリカ大使館から渡米の許可が下りなかったそうだ。

彼女は泣きながら「ごめんね」と謝ってくれた。

普段の生活では全然日本人と変わらなかった彼女。韓国人国籍であることなんていつも忘れていた。

でも普段とちょっと違う事が起った時、例えば国を出なくちゃいけないというような時、その「見えなかった壁」は否応なしに私達の前に立ちはだかる。

でもその友達が来れなかった時も、ノッコのパスポートが作れなかった時も、私は何に対して怒りをぶつけたらいいのかよくわからなかった。

日本の官僚制? アメリカの差別意識? 社会の矛盾?

ううん、たぶんそんな事よりきっと「私の大切な人への思い」がこの社会のシステムの中では何の意味も持たないことに腹を立てていたんだと思う。

私がどんなにその友達を大切に思っていても彼女が在日韓国人であるという事実は変えられず、私がどんなに愛していてもノッコが養子であることは変えられない。

私の思いは政治的には理解されず、法律という壁の前では意味を持たない。

そして「国を出る」という時、あるいは戦争が起こった時などに問題にされるのは結局こういう変えられない事実なんだ。

その現実がひどく悔しかった。

ノッコは養子であるために、日本人の母親を持ちながらも日本国民になれない。

他のアメリカ人と同様、日本に行っても90日しか滞在できないし、そこで働くこともできない。

私は日本行きの荷物をスーツケースに詰めながら、透明なポーチに入れた二つのアメリカンパスポートと自分のパスポートを見比べた。

日本のパスポートには菊のマークと「日本国旅券」の文字がある。

ノッコのパスポートと全然違う。

私の住んでいる州から日本までの距離は約6000マイル。

その間には茫洋たる太平洋が広がっている。

でもノッコと日本を本当に隔てているものは、そんな距離じゃ到底計れない、もっと大きなものなんだ。


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初めてのパスポート

ノッコが一才を迎えた2010年の夏、私達はノッコを連れて日本に行くことにした。

目的はノッコを家族に会わせるため。

以前黒人の赤ちゃんを養子に迎えることで揉めていた母親ともその頃はすっかり仲良しになっていた。

理由はただ一つ。

ノッコが白人の赤ちゃんだから。

ジェシカとの縁組みが決まった時、やはり母親にも電話をしてその旨を伝えたけれど、彼女が気にしているのは相変わらず「黒人か、白人か」というそれだけだった。

だからいくら私が 「オープンの養子縁組」 とか 「ジェシカはドラッグをやっている」 とか 「刑務所にいる」 とか話しても、それは母が理解できる範囲を100マイルも越えていたようで、口では「あら、そう、、」なんて言いながら、実際は私が何を言っているのか全然わかっていないようだった。

そして母にもジェシカの赤ちゃんが黒人とのハーフかもしれないと伝えてあったので、ノッコが金髪の白人だと知った時は手放しで喜んでいた。

それからはとにかく「写真送って!」の催促、催促。

実は私の両親はビデオデッキさえ使えない「超」が付く機械音痴で、コンピューターはもちろん、Eメールやフェイスブック等にも無縁だった。

ゆえに私はいつもノッコの写真をプリントアウトして、手紙を添えて、郵送で日本まで送っていた。

コミュニティセンターでフラダンスなるものをやっている母親は、そこで会うお友達や先生にその写真を見せては「かわいいでしょう」と自慢していたらしい。

ある日母親に電話すると、

「お母さんね、周りのお友達からも早くお孫さん連れて来てもらいなさいよって言われてるのよ。今年の夏には帰ってくるんでしょ。ねっ? 帰って来なさいよ。いいわね?」

そんな「帰って来なさいよ」って、そりゃお金を出してくれるならいくらでも帰るけどさ、そういうものは一切出さないでいっつも口ばっかり出してくるんだから。

「あら、ちょっと待って、お父さんが何か言いたいみたい。」

「えっ、お父さんが?」

父親が今まで私と母の電話に割り込んで来る事など一度もなかった。

「ああ、さわこか。あのな、ほら、お父さんのおこづかいから100万出すから、ほら、ノッコ、ノッコ連れて帰って来なさい。」

もうちょっとー、お父さんさぁ、そんな思いっきり丸出しの嘘付かないでよ。お父さんのお小遣いなんて10万円もないの知ってるんだから。いつもお母さんにお財布の紐をギュッと握られて、大好きなカラオケさえも行かせてもらってないんじゃん。

後ろで「お父さん、何言ってるの!」と怒鳴っている母親の声が聞こえた。

「お父さんまた酔っぱらってるんじゃないの。いいよ、いいよ、お金の事はなんとかするから。じゃあ、ジョンと相談してまた電話するよ。じゃあね。」

ガチャンと電話を切ってから本当にジョンに相談してみた。

「なんかね、お父さんが100万円を出してもいいからノッコに会いたいらしいよ。」

「そうかぁ、そうだよな。うちの親はもう3回もノッコに会ってるし、毎週スカイプもしてるけど、さわこの両親は一度もノッコに会ってないんだもんな。そりゃ会いたいだろうな。」←ジョンもお父さんの「100万」は聞こえなかったかのように無視。

「今が一番かわいい時期だし」 とか 「来年は行けるかどうかわからないし」 というさまざまな理由から、一週間とちょっとだけ日本に行く事が決まった。

そこでやはり必要になってくる物はパスポート。

でも赤ちゃんの顔は毎日変わるもの。パスポートの写真はどうしたらいいんだろう。

インターネットでパスポートの取り方を調べてみた。

あら、ビックリ、ここから歩いて3分の郵便局で作ってもらえるんだ!

そうなんです。アメリカでは全国にある最寄りの郵便局でパスポートの申請ができるんです。

これは忙しい子持ちママにはありがたい!

日本にいた頃にはわざわざ新宿にある都庁まで行かなくちゃいけなかったので、いつも 「何か書類が足りなかったどうしよう」 とドキドキしたものだった。

早速郵便局で訊ねてみると、赤ちゃんのままの写真で大丈夫ということだった。ついでに申請に必要な書類をもらって、面接の予定日も決めて来た。

パスポートの写真も近くのドラッグストアーで撮れることがわかったので、ジョンと二人でノッコの写真を撮りにいった。

でもやっぱりお店でも赤ちゃんのパスポート写真を撮ることはあまりないらしく、少しとまどっているようだった。

私達の顔は写っちゃいけないので、最初はノッコを椅子に座らせてみた。

でもやっぱりすぐに椅子から下りようとしちゃう。

じゃあ、床に座らせてみる。

あ〜あ、ハイハイを始めちゃう。

結局ジョンがお腹のあたりで抱っこして、顔に焦点を当てて写真を撮る事に。

しかし!

なぜかカメラを向ける度に「投げキッス!」をするノッコ。

これは最近覚えたワザで、知らない人が笑いかけてくれたりするとやるようになった。

「はい、こっちむいてー」

「チュバっ!」

ちょっとー、雑誌のグラビア写真じゃないんだからさー。

「キスはいいんだよー。もうちょっとじっとこっちを見て」

「チュバっ!」

最初の頃は微笑ましく笑ってくれたお店の人もだんだんイライラしてきた様子。

仕方なくジョンがノッコの腕を押さえることに。

あっ、ちょっとだけじっとしてる。今だ! 

パシャ。

撮影無事終了。

現像した写真を持ってお店の人が戻って来た。

「あのー、悪いんだけど、でももうこれ以上まともな写真はとれないと思うんです。」

えっ、「悪いんだけど」ってどういう意味?

ジョンと二人で、出来上がった写真を覗いてみた。

うわっ!

そこに写っていたノッコは、どうみても一歳のやくざ。

目つきが悪—い!

しかもスキンヘッド。

ジョンに手を押さえられていたから機嫌が悪くなっちゃったんだ。

パスポート写真でこれはいくらなんでもひどいんじゃ、、、、

でもすっかりお店の人に迷惑をかけてしまった手前私達も強くは言えず、渋々その写真を受け取った。

家に帰ってから、何年そのパスポートを使わなくちゃいけないのかを早速調べてみた。

5年。

5年かぁ。

これから5年間、何回海外旅行に行く機会があるかわからない。

でも空港でこのパスポートを出す度に、それをチェックする人はまるでこのやくざノッコに「何見てんだよ、ガン付けてんじゃねーよ」と言われた気がして、いやーな気分になっちゃうんだろうなぁ。


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産みのお母さんへのライバル意識 2

* これは昨日の記事の続きで4年前のお話です。

ジェシカはノッコに対して、「ほらほら、ママの所へおいで」 とか 「はーい、ママの膝の上に座ろうね」 とか 「ママのお鼻もつまんでごらん」 とか、2分ぐらいの会話の中に何度も「ママ」という言葉を発した。

去年のクリスマスに会った時も自分のことを「ママ」と呼んでいたのかもしれないけれど、その時は全然気付かなかった。

あの頃は「動くお人形さん」のようだったノッコも最近ようやく「感情のある人間」ぽくなってきたので、ジェシカも自分がノッコのママという意識が強くなったのかもしれない。

そして私は、ジェシカが自分のことを「ママ」と呼ぶことに対してあまり抵抗がなかった。(もしもタイトルから「ライバル意識メラメラ」という展開を想像していたのならごめんなさい)

これはけして自分が「寛容な女」を装っているわけではなく、本当に別に気にならなかった。

自分のお腹から出てきた赤ちゃんに対して、自分を「ママ」と呼んでしまうのはいたって自然なことだと思ったし、

「ママ」がだめなら、逆に「じゃあ何と呼べばいいのだろう」と考えてしまうと思う。

以前ジョンがフェイスブックに初めてノッコの写真を載せた時、ジョンの親戚や友達からたくさんおめでとうのコメントをもらった。

そんな時、ジェシカが “Hello, I am Nokko’s birthmother (こんにちは。私はノッコの産みの母です。) というコメントを残したことがあった。

するとジョンの お母さんを始め、5人くらいの人から、「大丈夫よ。ノッコのお母さんはさわこだけだからね」というような励ましのメールが届いた。

感謝はすれど、正直言ってその励ましは、私にはいまいちピンとこなかった。

なぜそんな事を力を込めて言うのかよくわからなかった。

ジェシカが言うようにジェシカはノッコの「産みのお母さん」で、私がノッコの「お母さん」というのは自分でもよくわかっていたから。

ジェシカの事をよく知らない人からすれば、彼女が「本当の母親は私なのよ!」というのを主張するためにそんなコメントを書いたと思ったのかもしれない。

ジョンのお母さんは後から「ノッコを囲む家族や友達の輪の中に、突然部外者が入って来たような気がした。」と言っていた。

「部外者」か、、、

ノッコを産んでくれた人なんだけどなぁ。

私達がオープンの養子縁組を考えていた頃から、ジョンのお母さんはいつも「産みのお母さんが赤ちゃんを連れ戻しに来るんじゃないか」というのを心配していたので、まだその後遺症が残っていたのかもしれない。

それに私はどうしてジェシカがそんなコメントを公共の場に残したのかわかるような気がしていた。

それは別に自分がノッコの本当の母親であることを主張するためのものではなく、ただ単にノッコを囲む輪の中に自分も入りたかっただけだと思う。

縄跳びをしている女の子の輪の中に「入れて」と入って来るように。

自分もノッコの成長に関わっていたいし、その中で仲間はずれになりたくなかっただけだと思う。

「私の存在も忘れないで」という、ただそれだけを言いたかったんだと思う。


                           ◇

私はノッコを迎えてから一度もジェシカに対して対抗意識のようなものを持った事がなかった。

それは単にジェシカが私に対してそんな感情を持っていなかったから。

ジェシカは時々「ノッコの気管支系が弱いのは遺伝かも」とか「ノッコの髪が少ないのは私の血のせいかも」とか自分とノッコの血の繋がりを主張するような発言をすることはあったけど、それは彼女が自分から離れてどんどん成長していくノッコを前にして「自分が産んだ娘」というのを忘れたくないためだと思っていた。

自分とノッコは絶対に切れない糸で繋がっていることの確信みたいなもの。

そしてジェシカはいつも私を「ノッコのママ」として扱った。

だから私達の子育てに口を出してくるようなことは絶対になかったし、私達に対して「ノッコを育ててくれてありがとう」とわざわざお礼を言うこともなかった。

ジェシカがこんな感じだったので、私の中でも「自分がノッコの母親である」という自信のようなものが揺らぐことはなかった。

だからその日の食事の席でジェシカが自分のことを「ママ」と呼んでもそんなに気にならなかったのだ。

でも家に帰ってからジョンと話して、ジェシカが自分を「ママ」と呼び続けるのはさすがにちょっと問題があるんじゃないかということになった。

ノッコが3才ぐらいになった時にきっと混乱してしまうと思うから。

二人の女性から「ほら、ママのところへおいで」なんて言われたら、ノッコの頭の中で私とジェシカをどう位置づけしたらいいのかわからなくなると思った。

だからこの件についてジェシカと話し合うことに決めた。

まずはジェシカに自分を「ママ」と呼ぶのをやめてもらうこと。

そしてその代わりになるような呼び名を提案すること。

養子縁組の雑誌をみてみると、産みのお母さんのことを「お母さんNo2」と呼んだり「名前+ママ」と呼んだり「おばさん」と呼んだりしている人がいるらしかった。

きっとジェシカも自分がノッコにとって特別な存在というのを示したいだろうと思ったので、「ジェシカママ」を提案することにした。

でもこの話を持ち出すのにはかなりの勇気が要った。

「ママと呼ぶのやめて」とお願いする事は私のライバル意識の表れのようだったし、そのことによって私達が今まで築いてきた信頼関係が崩れてしまうのも怖かった。

「ねえ、私から言うとあれだからさ、ジョンから話してくれない?」

ジョンに一応頼んでみたけど

「ううん、こういう話だからこそさわこから話した方がいいと思うよ」

という冷たい返事。

それはわかってるんだけどさ、、、

結局私はその夜ジェシカに電話してみることにした。

ジェシカと話している間、普段の会話を装いながらも心臓はドキドキしっぱなし。

「ところでジェシカさ、今日食事した時にジェシカ自分のことをママって呼んでたじゃない」

「うん」

「あれね、今はいいかもしれないけど、ノッコが大きくなった時に私とジェシカの両方から「ママ」って言われたらやっぱり混乱すると思うのね。 だからジェシカの呼び方を変えた方がいいのかなと思うんだけど、どう思う?」

「そうだね」

「ちょっと考えてみたんだけどね、「ジェシカママ」っていうのはどう?」

「うーん、ただのジェシカでいいよ。さわこ達が私をそう呼んでるからノッコもその方が呼びやすいと思う」

「そっかぁ、、、でもノッコが「ママ」って呼ばなくなっても大丈夫なの?」

「うん、いいよ別に」

ああ、なんという余裕の女。

緊張してた分、あまりのあっさりさに気が抜けてしまった。

思うにライバル意識というのは自分が持てないものへの執着や、持っているものを失うかもしれないという不安から来ているのだと思う。

だから何も失う物がないジェシカのような人は、人と競うという発想があまりないのかもしれなかった。

あの頃も今も私には「産んではいないけどノッコの母親は世界中で私だけ」という強い自覚がある。

それと同じように、ジェシカにも「育ててないけどノッコの産みの母親は世界中で自分だけ」という自覚があるのだと思う。

ジェシカがノッコの産みのお母さんである限り、ノッコはけして彼女のことを忘れないという自信のようなもの。

だから別に私と競う必要もないと思っているのかもしれない。

二人の母親がそれぞれの立場を理解し、それぞれの立場で自信をもっている。

これがきっと私とジェシカが平和な関係を保てている根本的な理由なんだと思う。



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産みのお母さんへのライバル意識

* これは4年前のお話です。

ノッコは、あっという間に一歳になった。

「ノッコちゃん、一歳の誕生日を迎えられてよかったわね」というような事をよく人に言われたので、こちらでも一歳の誕生日はちょっと特別らしい。

昔はきっと一歳の誕生日を迎える前に亡くなってしまう赤ちゃんが多かったからだと思う。

そう思うとやっぱり「ノッコがんばったね」と、生きていてくれることに感謝せずにはいられない。

そんな特別な一歳の誕生日をジェシカと過ごそうとまた4人で食事をすることにした。

この頃にはジェシカとも前ほど頻繁に連絡はとっていなくて、時々メールで様子を聞いたり、電話で話したりするくらいだった。

今回も例によってジェシカの家の近くのレストランでランチ。

でも今までと違った点は、ジェシカの家まで迎えに行った事。

それもただポールが車を出すのを面倒くさがったからという理由。

(あら、ポールったら以前はあんなに家を知られるのを嫌がっていたのに、私達に心を開いてきたのかしら)

ジェシカに電話をすると必ず最初にポールが電話に出るので、ジェシカにかわってもらう前にちょっと話をしたりすることがあった。

それで私達に対する警戒心が緩んできたのかもしれない。

でもやっぱり電話番号はしょっちゅう変えていたけどね。

ジェシカに言われた住所に着いてみると、ポールの家は普通の家だった。

小さな平屋で、前庭に芝生が生えていた。

少なくとも私達が以前住んでいた賃貸の家より外装はずっといい。

ドアベルを押すと、前より更にコロコロになったジェシカが出て来た。

さりげなく家の中も見てみたいな〜と思ったけれど、その試みを果たす前にドアは「バタン」と閉められてしまった。

「かわいい家だね」

家から出て来たジェシカにそういうと、

「まあね。でも最近雨漏りがひどくて大変なの。バケツを置いてるんだけど、どんどんひどくなってくみたい」

バケツに天井から水がポタッポタッ。 まるで昭和映画の1シーンみたい。

どこも家での悩みは同じなのね、と急に近親感がわいてしまった。

「久しぶりだね、元気だった?」

「まあね」

ジェシカは相変わらず足の痛みや、腹痛等に苦しんでいるらしく、体調はすぐれないようだった。

それにやっぱりポールとのこともあまり話してくれなかった。

ジェシカはまた例の食べ放題のお店に行きたかったようだけど、今回はジョンの強い希望でパブに行く事にした。

ジェシカの家を探している途中でみつけたお店。

ジョンはこういうイギリス系やアイルランド系のパブが大好きで、新しいレストランを見つけると入りたくて仕方なくなるようだった。

私もジェシカもお酒はのまないのでジュースだけ。

ジョンはたくさんあるビールの中から一番高いのをオーダーした。

パブに来ていつもよりうれしそうなジョン。

気前もよくなったのか、どでかいアペタイザーのプレートも注文した。

ジェシカは、フェイスブックでノッコの写真を見ていたけれど、実際に会うのはクリスマスの時以来だから半年ぶり。

突然大きくなったノッコに驚いているようだった。

ジェシカ:「なんか赤ちゃんというより女の子という感じになってきたね」

私:「うん、しぐさとかもね。でも相変わらず髪の毛はすくないんだけどね」

ジェシカ:「そうだね。でも私も赤ちゃんの頃はずっとハゲだったよ。」

あー、やっぱり。

私:「本当はバースデーのためにドレスを買ったんだけど、なんかこの頭と合わないからやめちゃったんだ。」

ジェシカ:「そうだったの?」

そういってジェシカはノッコの頭をやさしくなでた。

そのままノッコを抱き上げ自分の膝の上にのせた。

人見知りが始まっていたノッコも、ジェシカの前では不思議と全然泣かなかった。

赤ちゃんというのは、どんなに離れていても自分を生んでくれたお母さんの匂いや声を覚えているのかな。

ジェシカはノッコのお腹をツンツンしたり、鼻をつまむふりをしたりして、しばらく楽しそうに遊んでいた。

私はそれを見ながら、以前は気付かなかったある事に気がついた。

それはジェシカが自分のことを「ママ」と呼んでいたこと。


To be continued….



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ハゲのノッコ

ある日時間つぶしのためにデパートをウロウロしていると、かわいい赤ちゃん用のドレスを発見。

よくありがちなピンクのレースやリボンの「フリフリ」のじゃなくて、もっとシンプルだけどデザインが変わっていて、ちょっとおしゃれな感じのもの。

「これノッコに似合うかも」

自分の洋服は値段が気になって、「どうしようかな〜」なんて売り場の前でいつまでもグジグジ考えちゃうのに、ノッコの買い物は速い。

しかも定価のまま。

これも母親になった証拠なのね〜。

もうすぐジェシカと会う約束もあるので、その日のためにそのドレスを購入することに。

ノッコは周りの赤ちゃんに比べて身体がとても小さかったけど、それでもここ最近急に背が伸びたようだった。

(このサイズで合うかな)などと考えながら家に帰り、早速ノッコに着せてみた。

あら? サイズはピッタリだけど思ってたのとちょっと違う。

もっとお人形さんのようになるのを期待してたんだけど。

なぜだろう?

「キャッ キャッ」と言っては、後ろへハイハイしているノッコを見ながら考えてみた。

わかった。

頭がハゲだからだ。

この年齢だと顔だけでは男の子か女の子かよくわからない。

その決め手になるのがたいてい髪の長さ。

でもほどんど髪のないノッコは、どんなにかわいい服を着せてもどうしても男の子に見えてしまった。

現に、ピンクのシャツを着ていても「男の子?」と訊かれた事がある。

なんかいまいちだな〜。

以前エリカと縁組みをしていた頃は黒人の女の子の髪の毛で悩んだことがあったけど、こうやって娘のハゲで悩むようになるとは思わなかった。

白人の友達に聞いても、「うちの子も2才になるまでハゲだったわよ」と全然慰めにならない返事。

フサフサの髪の毛にリボンやピン留めができるまで2年も待たないといけないのか。

じゃあ、せめてカチューシャぐらいは。

嫌がるノッコの頭に無理やりカチューシャをつけてみる。

案の定「ウーウー」と言って即座にそれをはずし、そのままバックのハイハイでソファーの下に隠れてしまった。

ニョキッと顔だけ出したその姿、何かに似ている。

ああ、

カメだ。




Bald Nokko 2010 010
一応チョロチョロとは生えているんですけどねぇ


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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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