日本一時帰国:溜まっていた気持ちを母に吐き出す

* これは、昨日の記事の続きです。


私は父の車の中で、今夜のお夕飯をどうしようかと考えていた。

前回帰国した時、私たちの滞在中てっきり母が料理をしてくれるものだと思っていたのに、母はほとんど料理をしてくれなかったという経験があるので、今回の帰国では母に料理をしてもらうことは一切期待せず、毎日自分で子供達の分も両親の分も用意するようにしていた。

それでも一度だけ子供達をプールに連れて行って遅くなってしまった日に、出先から電話をかけて母に何か簡単なものを作っておいてもらえるように頼んだことがあった。

けれど家に帰ってみると母はまだ夕食の準備に取り掛かってもおらず、結局私が急いで夕食を作ったのだけれど、その間疲れてお腹をすかせていた子供達は泣きじゃくりだった。

そのことがあったので、今回も母に夕飯を作っておいてもらおうとは考えていなかった。

けれど動物園でかなり疲れてしまっていた私は、どうしてもこれから家に帰ってお夕飯の支度をする気にもなれなかった。

どこかで食べて帰る?

でもノッコと風太はレストランで必ず大騒ぎするので、その方が疲れる。

じゃあ、スーパーで何か買っていく?

でもノッコと風太は必ずスーパーで暴れるので(カートをぶつけあって遊ぶとか)それを一々注意してる方が疲れる。

それを考えたら、家にあるものでちゃっちゃっと何か作ってしまった方が早いと思えた。

なのでそのままスーパーには寄らず、家に直行してもらうことにした。

家に帰ると、新聞を読んでいた母が「おかえりー」と言って子供達を迎えた。

「動物園楽しかった?」

そんな母の問いにも答えず、子供たちは「お腹すいたー」とまずキッチンに向かった。

「じゃあ、ご飯ができるまでおだんご食べてていいよ。」

そう言って子供達におだんご一本ずつ渡し、それを食べ終わったあとは別室でテレビを見せることにした。

その間私は、ある材料を集めて急いでカレーを作り始めた。

30分ぐらいしてカレーができたので、さあお皿に盛ろうとしたその時、

「あっ!」

炊飯ジャーの中にご飯が一粒も入っていなかった。

今までジャーの中にご飯がなかったことなどなかったので、私もわざわざ確認しなかったのだ。

そんな自分に腹を立てていたものの、私はやはりご飯を炊いておいてくれなかった母も悪いと思ったので

「カレーなのにご飯なしー?」

と母を責めるような言い方をした。

すると母が、

「あらっ、ご飯もうなかった?」

と、とぼけたような調子で答えた。

そんな母の様子に更にイラ立ち、

「お母さんさあ、毎日ご飯作ってくれないのはそれでいいけどさ、でもこんな風に一日外出して帰ってきた時は、ご飯ぐらい炊いておいて欲しいと思っちゃうよ。大人と違って子供達はお腹が空いてる時、本当に待てないからさ。」

そう言った。

ここですぐに母が「ごめん、ごめん」とでも言ってくれればそれで全て治ったのに、絶対に謝らない母は、

「だってお友達と動物園に行くっていうから、てっきり外で食べてくると思ったのよ。」と返した。

「だって4時過ぎに動物園を出る時、これから帰るからって電話したじゃない。そしたら外で食べてくるなんて普通は思わないよ。」

「だったら帰ってから家で食べるから、ご飯炊いておいてって言えばよかったじゃない。」

「そんな事言わなくても、普通の人は気を利かせてご飯があるかどうかチェックしてくれるよ。」

「そんなこと一々する人はいませんよ。」

母の「こう言えば、ああ言う」という態度にさらに腹が立った私は、今まで溜まっていたものをここで一気に吐き出してしまった。

「お母さんさあ、ずっと前から言おうと思ってたんだけど、私や子供達がいてもまるで私たちがここに存在しないかのように、いつも通りの生活を送ってるよね。私が朝、子供達に朝食を食べさせて、お父さんのご飯を用意して、子供達に学校の準備をさせてって忙しくしてても、お母さんは庭の草むしりだかなんだかやってて何も手伝ってくれないし、夕方も私が子供達の宿題をみたりお夕飯の準備をしてバタバタしてても全く無視だし。」

「だって草むしりしなかったら、すぐに庭が雑草でぼうぼうになっちゃうのよ。」

「お母さんはお母さんでやらなくちゃいけないことがあるのは分かるよ。それに私たちもお世話になってる身だから、こっちだってなるべく負担にならないようにがんばってるよ。でも子供達と遠くまでお出かけするのは本当に疲れるんだよ。それなのにうちに帰ってからまた家族全員分のお夕飯の準備をするのはすごくシンドイの。だからこういう時は、どうして一日家にいるお母さんがご飯の準備をしてくれないのかなと思っちゃうわけ。なんで私が帰ってから作るのを当然のように待ってるのかなと思っちゃうんだよ。」

「お母さんだって毎日ゴロゴロしてる訳じゃないのよ。やることが山ほどあって、一日動いてても足りないくらいなんだから。」

「でもさ、せっかくこうして子供達がおばあちゃんに会いにきてるんだからさ、ちょっとぐらい子供のために時間を作ってくれてもいいじゃない。お母さんを見てるとさ、まるで子供達を避けてるみたいに掃除やら草むしりをやってるように見えるんだよ。だからもっと子供達と関わってくれてもいいのに、と思っちゃうよ。」

「何言ってるのよ。お母さんはさわちゃんたちが来るから、自分の予定を大幅に変えてるのよ。週に一回行ってるフラダンスの練習も全部キャンセルしたし、毎週行ってる整骨院も行ってないし。」

「そうしてくれるのはありがたいけどさ、でもお母さんそうやって習い物をキャンセルして家にいても、別に私を助けてくれたり子供達と接してくれる訳じゃないじゃない。一人で買い物に行ったり、〇〇場(家の近所にあるイベント場)に遊びに行ったりしてて。」

「お母さんにはお母さんの用事があるのよ。」

「そうかもしれないけどさ、でもお母さん、知ってた? 日本に帰ってきてもう二週間になるのに、お母さんと子供達と一緒に撮った写真が一枚もないんだよ。いつもチャンスを狙っているけど、お母さんが子供達と一緒に過ごしてくれる時間なんて全然ないから一枚も撮れないんだよ。それってすごく悲しくない?」

「、、、、、、、。」

「お母さんが〇〇場に遊びに行くのを毎日の楽しみにしてることはよく知ってるから別に行くなとは言わないよ。でもそこで知り合ったXX君(小五)のことをそんなにかわいがっているなら、自分の孫たちとももう少し関わってくれてもいいじゃない。私は子供達におばあちゃんとの楽しい思い出をたくさん作って欲しいのに、このままじゃノッコたち、おばあちゃんが家にいた事さえも覚えていないかもしれないよ。お母さんはそれでもいいの? それって悲しくないの?」

これまで私たちの会話を黙って聞いていた父がここで、

「いいよ、いいよ、さわこ。お父さんこれからコンビニまでご飯買いに行ってあげるから。今日はそれをあっためてカレーと一緒に食べれば。子供達がお腹すかせて向こうの部屋でずっと待ってるぞ。もうご飯にしよう。」

そう言って立ち上がった。

そして母もコンビニで買いたいものがあるからと、父と一緒に車で出て行った。



つづく





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日本一時帰国: 母との一回目の衝突



私と母が最初に大きな喧嘩をしたのは、私たちが友達家族と上野動物園に行った時のことだった(父と母はお留守番)。

けれどそれに至るまでの経緯を話す前に、まず動物園での様子を先に書かせてください。

日本に着いてから2週目の日曜日、私は学生の頃の友人(スーちゃん)と子供を連れて会うことになっていた。

スーちゃんとはかれこれ30年の付き合いになる。

と言っても私がアメリカに移ってからスーちゃんとの連絡が少なくなり、次第にクリスマスカードを交換するだけの関係になってしまっていたのだけれど。

だから最後に彼女と会ったのは10年前。

前回の帰国の時もすごくスーちゃんに会いたかったのだけれど、私は一人で4歳のノッコと1歳の風太を連れていたので、東京でスーちゃんと会うのはどうしても難しく、諦めざるを得なかった。

だから今回スーちゃんとスーちゃんの息子くん(9歳)と会えるのをとても楽しみにしていた。

けれど動物園に着いてみると、とてもじゃないけれどスーちゃんとゆっくり話している時間など取れないことに気がついた。

人は多いし、暑くて湿気がすごかったし、子供達がちょろちょろしてそれを追いかけるのに必死だったから。

なのでスーちゃんとは後日改めて二人でお茶をすることにしたので、スーちゃんとその時話したことは後日また記事に書こうと思います。

いやー、それにしてもノッコと風太のワイルドぶりと言ったら、子持ちのスーちゃんもビックリするくらいだった。

その日私たちは実家から上野駅まで電車で行ったのだけれど、ノッコと風太は電車に乗るのが初めてだったので、とにかく興奮してすごかった。

電車は混んではいなかったけれど、座る席はなかったので私たちは立ちっぱなしだった。

最初の頃は周りの目を気にして大人しくしていた二人も、長時間乗っているとだんだん飽きてきて、電車の中で遊び始めた。

ノッコはつり革にぶら下がってオリンピック選手のように体を前後に揺らしたり、風太は手すりにスイスイ登って行ったり。

その光景は「山ザル」以外の何物でもなく、私は動物園に行く前から動物園にいるような気がしてしまった!(泣)

そんな子供達を一番前の車両まで連れて行って運転席を見せてあげると、ようやく二人は少し落ち着いた。

そんな風にしてようやく子供達を動物園まで連れて行ったはいいけれど、今度は動物に興奮したのか二人はまたまた大騒ぎ。

「わーっ、トラだ!」

「こっちにゴリラがいるよ!」

とにかく誰よりも声がデカイ!

そしてクルクル動いで少しもじっとしていられない。

「ママたちと一緒に歩いて!」

と言う私の声を無視してどんどん先へ行ってしまうノッコと風太。

そんな二人を追いかけるのに 私はいつも汗だくだった。

お弁当の時も二人はおにぎりを片手にハトを追い始め、少しもじっと座っていられなかった。

それに比べてスーちゃんの息子くんは、いつも母親のそばを離れず、お弁当も静かに行儀良く食べていた。

彼は爬虫類に興味があるらしく、ヘビやトカゲの話を色々してくれた。

ノッコと1歳しか違わないのに、この落ち着きの差は何だろう?

この知的の差は何だろう?

私は自分の子育てのどこが間違ってしまったのだろうと、そんなことばかり考えていた。

ランチを食べてから息子くんが見たいという爬虫類館を見に行ったけれど、暑さと人混みであまりに疲れきってしまった私は、はっきり言って動物はもうどうでもよく、とにかく早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。

それでもノッコたちはとても楽しそうで、息子くんともすっかり仲良くなってかくれんぼをしたりしていた。

「電車が混むといけないから、そろそろ帰ろうか。」

3時ごろに私がそう言うと、スーちゃんは「えっ、もう?」という顔をしたけれど、「そうだね」と言って、私たちは出口の方に向かった。

出口を出ると右側に小さなプレイグラウンドがあって、それを目ざとく見つけたノッコは「プレイグラウンドだー!」と言って走り出した。

それに風太も続き、二人で「プレイグランドで遊んでもいいでしょう?」と懇願してきた。

私はとにかく帰りたい気持ちでいっぱいだったけれど、二人があまりに頼むので「じゃあ、30分だけね」と言って二人を遊ばせることにした。

そんな二人に混ざって息子くんも遊び始めた。

これでようやく少しスーちゃんとゆっくり話せるかなと思っていたら、5分ぐらいして息子くんが「つまんない」と言って戻ってきてしまったので、それも叶わなかった。

プレイグランドで3歳ぐらいの女の子と仲良くなったノッコと風太は、その子のお母さんに遊具を押してもらってうれしそうに遊んでいた。

でもスーちゃんの息子くんがつまらなそうにしているので、私が「ほら、もう帰るよー。」と声をかけて、私たちはようやく動物園を後にしたのだった。

プレイグランドで遊んだために帰る時間が遅くなったせいか、帰りの電車は行きよりもずっと混んでいた。

もちろん座れる席などどこにもなかった。

一日中歩き回って疲れていたノッコと風太は、電車の中で「これでもか!」というくらい愚図った。

「疲れたー」

「座りたいー」

その二言ばかりを繰り返す二人に、お菓子をあげたりおもちゃをあげたりしてなだめていたけれど、全然効果なし。

30分ぐらいすると、もうとうとう立っていられなくなった二人は床にペタンと座りこんでしまった。

「そんなところに座ったら汚いよ。」

そう言って二人を立たせ、風太を抱っこしてノッコと手をつないだ。

それでもノッコは何度か床に座ってしまい、それを起こしては座りというのを繰り返しながらようやく実家近くの駅に着いた。

動物園を出るときに電話しておいたので、父が駅まで車で迎えに来てくれていた。

「お父さん、ありがとう」

そう言って車に乗り込んだ時の安堵感。

電車で子供とお出かけするのって本当に大変。

それを毎日こなしている日本のお母さんたちは、本当にすごい。

私はそんなことを車の中で考えたりしていた。


つづく



電車 - 1 (1)
電車の運転席をジッと見つめるノッコと風太




動物園
動物園に入る前からサル状態の二人



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期待は禁物

* これは6月に日本に一時帰国した時のお話です。


ノッコの小学校は朝8時ごろ教室に入り、風太の幼稚園は9時からだったので、ノッコの初日はまずノッコの教室に風太を連れて行ってから幼稚園に寄ることにした。

2階に上ると、教室ではたくさんの子供達がおしゃべりしたり、机に座って何かを書いたりしていた。

私たちが入って行くと、数人の女の子と男の子が

「新しい子だー」

「アメリカ人の子だー」

と言って走ってきた。

けれどノッコは相変わらずシャイで、彼らの顔も見ようとせず、私の後ろに隠れて中々出てこようとしなかった。

とりあえずノッコのロッカーを探そうと思ったけれど、他の子のロッカーにはみんなの名前が書いてあるのに、ノッコの名前はどこにもなかった。

仕方がないのでノッコには、自分のロッカーがどこなのか分かるまで荷物は持っているように言った。

「ノッコの机どこ?」

ノッコが消え入るような声でそう聞いてきたので、ノッコの机を探してみたけれど、やっぱりノッコの名前が書いてある机は見当たらなかった。

1階の上履き入れにも名前がなかったので、ノッコは自分の外履きを適当なところに入れてきていた。

先週の風太の初日のときは、靴箱からロッカー、タオル掛けに至るまで風太の名前のシールがすでに貼ってあったので、ノッコのクラスもそうなのだろうと思い込んでいた私にはちょっと意外だった。

他のお友達の名前はみんな書いてあるのに、自分の名前だけがどこにもないと、ただでさえ緊張しているノッコには、まるで歓迎されていないような、自分の居場所がないような気がしてしまうんじゃないかと少し心配になった。

同時に、こんな小さな心遣いさえしてくれなかった先生を少し恨んだ。

けれど、きっと先生にはそんなことをしている余裕はなかったのかもしれないとも思った。

先生の立場からすると、海外から日本語があまり話せない生徒が1ヶ月だけ自分のクラスに入ってくるというのは、はっきり言って迷惑以外の何物でもないと思った。

ただでさえ忙しいのに、その子一人のためにしなければならない仕事が増えるだけ。

あまりに先生の負担が大きくなるので、都心の小学校では海外の子供の体験入学を一切お断りしているところも少なくないと友人から聞いたことがあった。

それを考えたら、こうして気持ち良くノッコを受け入れてくれただけでも感謝しなくちゃいけない身なんだと、私は自分を戒めた。

以前車で三日かけてジョンの弟夫婦のところに遊びに行った時、思ったより歓迎してもらえなかったことを残念に思ったというような記事を書いたことがあった。

けれどまだ1歳にも満たない双子ちゃんを育てていた二人のことを考えれば当然だったのかもしれないと考え直し、「みんながそれぞれ必死だった」と締めくくった。

バケーションで別の土地に行く人は、よく現地の人には現地の人の生活があることを忘れ「わざわざ来たんだから、こうしてくれてもいいのに」と思ってしまう。

それに対して現地の人は「こっちにだって生活があるんだから、そんなに期待ばかりされても困る」と思ってしまう。

私は両方の立場になったことがあるので、そのどちらの気持ちも分かる。

だからノッコと風太の学校には、あまり大きな期待をかけることはやめようと心に決めた。

それなのに、、

母親に対してはどうしても「こうしてくれてもいいのに、、」という期待を捨てることができず、後に母と思いっきり衝突してしまったのだった。



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日本の小学校、初日

日本に着いてから一週間目の月曜日は、ノッコの登校日第一日目だった。

以前このブログで、ノッコを日本の小学校に通わせる際に一年生に入れた方がいいのか、二年生に入れた方がいいのかすごく悩んだことを書いた。

当時は知り合いのアドバイスを受けたり、ノッコの意向を聞いたり、自分なりに色々考え、最終的にはノッコを二年生に入れることに決めた。

日本語の読み書きが弱いノッコが2年生に入ったら授業にはついて行けないかもしれないけれど、彼女にとっては気の合う友達ができることの方がずっと大切だと思えたし、本来なら現地校の3年生になるノッコに1年生のお友達ではちょっと物足りないのではないかと思ったからだった。

そしてその旨、教頭先生には事前にリクエストを出しておいた。

ところが先週ノッコの小学校に挨拶に伺った際に校長先生から「ノッコちゃんは一年生のクラスに入ってもらおうと思っています。」と言われてしまった。

その理由は単に2年生の先生が新任の先生で、海外の子供を預かるのは少し負担が大きいからということだった。

逆に1年生の先生はベテラン先生なので、安心してノッコを預けられるとのことだった。

私はそれを聞いた時、正直心の中で「えーっ」と叫んでしまった。

だって今までずっと「日本の小学校で2年生に入るんだから」とノッコに葉っぱをかけてきたおかげで、夏休み前には一年生の漢字をほとんど覚えることができたのに、ここへ来てまた「あいうえお」に舞い戻るのはもったいないと思えたし、アメリカの日本語補習校で2年生に上がれたことをあんなに喜んでいたノッコが、また1年生に入れられると聞いたらきっとひどくがっかりすると思えたから。

でも無理して体験入学させてもらう身としては、そこまで強く主張することはやはりできず、仕方なしに「はい、分かりました。」と返事をした。

そして登校日第一日目。

この学校では、朝の登校の際に「登校班」で学校まで歩いて行くことが決まっていたので、ノッコも近所の登校班に入れてもらって学校まで歩くことになった。

けれど教頭先生の方から「登校班の班長の生徒の負担が大きくなるので、お母さんも毎日付き添ってあげてください。」と言われていたため、私も一緒に歩くことにした。

そして「一緒に行くー!」と聞かない風太も連れていくことになった。

三人で登校班の集合場所まで行ってみると、6年生の班長さんを始め5年生から2年生までの生徒が5人ぐらいすでに集まっていた。

「おはようございます。今日からよろしくお願いします。」

私は子供達とその親御さんたちに元気よく挨拶した。

「ほら、ノッコちゃん、おはようございます は?」

「オハヨウ ゴザイマス、、。」

下を向いたまま消え入るような細い声でノッコがそう言った。

それとは対象的に風太が、

「おはようございます!」と元気に挨拶した。

「アメリカから一時帰国しているノッコです。よろしくお願いいたします。」

そう言ってノッコを紹介すると、保護者(なぜかお父さんばかり)から「何年生ですか?」などの質問をいくつか受けて、短い自己紹介をしてから私たちは学校に向かって歩き出した。

私は登校中に近所の子に話しかけたりして、少しずつみんなと仲良しになっていこうと思っていたのだけれど、いざ歩き出してみてビックリ。

だってどの子も一言も無駄話をせず、まっすぐ一列に並んで黙々と歩いてるんだもの。

しかも「話しかけないで」オーラが身体中から漂っていて、私もノッコも風太も彼らに話しかけることはできなかった。

そのまま無言で畑道を通り大きな交差点に着くと、そこに教頭先生とボランティアの保護者の人たちが立っていて「おはようございまーす」と生徒たち一人一人に挨拶をしていた。

「ごくろうさまです。問題ありませんでしたか?」

教頭先生が私にそう聞いてくださったので、

「はい、大丈夫です。みんなちゃんと一列に並んですごいですねー。」

そんな短い会話をしてから、私たちの班も横断歩道を渡った。

そこには恐らく5−6組の登校班(30人ぐらいの学生)がいたけれど、誰も一言も口を聞かず、みんな黙って右手を高くあげて横断歩道を渡っていた。

その光景を見ながら私は、「これをアメリカ人が見たらビックリするだろうなぁ」と思っていた。

こっちの登校の様子と言ったら、固まっておしゃべりしながら歩いてる子たちはもちろん、ローラーブレードに乗ってる子、スクーターをこぎながら行く子など、各々自由に学校に向かっている。

これと言った規則もないし、別に注意する人もいない。

でもその日の登校班には1年生もたくさんいたのに、どの子もおしゃべりしたりふざけたりせず、きちんと列について歩いていた。

この年齢の子供なんてふざけて歩いて当然だと思っていた私には、しゃべらず黙々と歩く子供達のその光景は「まるで自衛隊か」と思えるほどちょっと異様にさえ思えた。

(小さな子供でもここまで訓練させることができるんだなー)と感心する一方、子供の本来の気質をかなり押し殺している規則のような気もした。

お友達とおしゃべりしながら学校へ行くのって、すごく楽しいのに。

そう思ったりしたけれど、実際日本の道路はすごく狭いわりに車の量が多い。

そんな道を子供達が2−3人で広がって歩いてたりしたら、やっぱりすごく危ないと思う。

だから「生徒の安全」を一番に考えている学校側としても、ここまで徹底しないといけないんだろうなぁとも理解できた。

日本の子供達が規則正しいのは、こういった環境によるものが大きいのだと改めて思ったりした。

その日は家を出てから学校に着くまで、ノッコと登校班のお友達は一言も口を聞くことはなかった。

ノッコたちとだけでなく、登校班の生徒同士でも一言も話さなかった。

それは正門をくぐって自由になってからも同じだった。

(友達じゃない子とは、あまりしゃべらないのかもな、、。)

私はそんな風に思ったりした。

そしてそれから1ヶ月の間、毎日一緒に登校したその生徒たちは結局一度もノッコと風太に直接話しかけることはなかった。

だからノッコも風太も彼らの名前すら知らないままだった。

一緒に登校しているうちに近所の子とお友達になって、放課後にお互いの家に行き来するようになるのかな、なんて思っていた私にはちょっと意外な展開だった。





登校班 - 1
横断歩道で誰よりも張り切って右手をあげていた風太がかわいかった。


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どんなママも、みんなラッキーだよ


日本に着いた最初の週の日曜日に、甥の中学校の運動会に行ってきた。

姪(高校生)と甥(中学生)は同じ私立の学校に通っていたので、その日は姪も学校に来ていた。

甥達の学校に行ってみて最初に驚いたのは、その学校があまりにきれいなことだった。

その数日前にノッコの小学校に挨拶に行ったのだけれど、建物もかなり古くて所々痛んでいたし、中庭も雑草でぼうぼうだった。

けれど甥達の学校は建物が眩しいくらい新しく、校庭もしっかり手入れしてあってきれいだった。

運動会の途中で一度風太をトイレに連れて行った時も、あまりにトイレがピカピカすぎて驚いてしまった。

そんな校舎を見て、これが公立の学校と私立の違いなのかぁと改めて思ったりした。そしてそんな学校で勉強できる甥と姪は幸せだなぁとも思った。

そんな私立の高校に通っている姪は来年大学受験で、そのために今一生懸命準備している。

とてもおだやかでやさしい姪は、どんなにノッコ達がしつこくしても絶対に怒ったりせず笑顔で一緒に遊んでくれるのだった。

そんな姪は、将来保母さんになりたいそうだ。

私も姉も彼女にはぴったりの職業じゃないかと思っている。

甥が競技に参加している最中に、姪の友達がノッコや風太を見たいと言って私たちのテントにやってきた。

若い女の子に遊んでもらうと人一倍ハイパーになってもらうノッコと風太は、もう大はしゃぎ。

お友達はそんなノッコ達にちょっと疲れてしまったようだけれど、姪は変わらず楽しそうに子供達と遊んでくれた。

それを見ていても姪がどれくらい子供好きなのかがよくわかった。


中学生の甥も「反抗期」という言葉を知らないかのように私の姉と仲良しで、性格も素直でやさしかった。

ただ普段でさえ口数の少ない彼が今声変わりをしているせいでもっと無口だったため、私とはほとんど口を聞いてくれなかった。

それでも「友達にノッコと風太を見せてくる」と言っては子供達を連れ出し、クラスのお友達と写真を撮ったりしていた。

ノッコ達の行儀の悪さのせいでいつも肩身の狭い思いをしていた私には、まるで二人を自慢するかのように子供達を友人に紹介している姪と甥の存在がその時はとてもうれしかった。

お昼を食べてからは、甥の障害物競走が始まった。

まだ中学二年生なのに170センチ以上もある甥は、まるでスポーツ万能のような体格をしているのに、実はそんなに運動は得意でないらしい。

外見とのギャップによくがっかりされることが多いので、本人も気にしていると姉は言っていた。

甥は鹿のような長い手足を振って障害物競走をがんばったけれど、結果は最後から2番目だった。

少し恥ずかしそうに退場していく彼に、ノッコがピースサインをすると彼もうれしそうに笑った。

それからまた姪がノッコと風太を連れて友達の所へ行ってしまうと、姉が

「そういえばこの間さ、、」と言って姪に関するエピソードを教えてくれた。

姪には一年前ぐらいから付き合っている彼氏がいたのだけれど、最近別れてしまったらしい。

夜中に泣きながら姉にその話をした姪は、「今晩ママの部屋で寝ていい?」と聞いてきたそうだ。

姉が「いいよ。」と言ってお布団を敷いてあげると、姪は姉の手を握ったままスーと眠りについたそう。

「えー、18歳なのにかわいいねー。」

私が思わずそう言うと、

「かわいいでしょう。もう一人前みたいな顔してるけど、実際はまだまだ子供なんだよねー。あれで来年大学生になるなんて信じられないよ。」

姉も笑いながらそう言った。

「でもそういう風に何でもお母さんに話してくれるのっていいよね。」

「うん。」

「アミもカイも本当にいい子達だと思う。」

私はしみじみそう言った。

「そうなんだよね。今から考えると二人ともすごく育てやすかったと思うんだ。それなのになんで二人が小さい頃はあんなに毎日ガミガミ怒ってたんだろうって思うんだよ。」

「その当時はお姉ちゃんも自分がどれくらいラッキーだったかを分かっていなかったんじゃない?ノッコと風太を育てている私からみるとホントそう思うよ。」

「確かにアミとカイは大人しかったからね。でもノッコと風太もかわいくて元気でいいじゃない。私もいつも二人の写真を友達に見せて自慢してるよ。あんなかわいい子供達がいて、さわちゃんもかなり恵まれてるよ。」

「そうかな。 まあ確かにどの母親も子育てで必死な時は自分がどれくらいラッキーかなんて思いつかないのかもね。私なんか自分が今世界で一番苦労してる母親だと思ってるから。」

「あはは。私もそう思ってたよ。でもさわちゃん、あんな風に何をしてあげても喜んでくれる時期はあっという間に終わっちゃうから、今の時間を思いっきり楽しんだ方がいいよ。」

「そうだね。ありがと。」

日本に着いてから子育てについて何かと落ち込み気味だった私には、こうした姉の言葉がとても心地よく、大きな慰めとなった。

その時の私には、こんな姉の存在がとてもありがたかった。

姉とは何でも話し合えるし、話すと落ち着くし、彼女の言うことにはいつも説得力がある。

確かにノッコと風太は、いつだって全身で何でも楽しもうとする。

そしてその楽しい気持ちをどんな人にも分かるくらい思いっきり表現する。

だから周りの人を自然と楽しい気分にさせてしまう。

この究極の子どもらしさは、確かに彼らの長所なのかもしれない。

その時はそんな風に謙虚になれた私だったけれど、車に乗った途端ケンカしだしたノッコと風太を見たら、そんな気分はすぐに吹っ飛んでしまった。

そしてノッコがシートの線よりはみだしただの、風太が足で蹴っただのごちゃごちゃ言い争いをしている二人に「いい加減にしなさーい!」と怒鳴ってしまった。



「どんなママもみんなラッキーだよ。」

そう言った姉の言葉は、一瞬にしてその信憑性を失なった、、、、、、、ように思えた。

けれど実は、

いまでも私の頭の隅で静かに響いている。




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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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