読者(特に海外在住)の方への質問

いつも「ほっぺとほっぺ」を読んでくださっている皆さまへ、


実は、私が3年前に4歳のノッコと1歳の風太を連れて日本に帰った時、学校が見つからなかったこと以外に「失敗したなー」と思ったことが二つあるんです。

その一つは、携帯電話を持っていなかったこと。

私の両親は「low tech」どころか、「無テク」という感じで、コンピューターはおろかDVDプレーヤーも使えないおじいちゃんとおばあちゃんなんです。

なので実家ではインターネットを全く使えず、近くにインターネットが使える喫茶店もありませんでした。

その上携帯電話もなかったので得られる情報が乏しく、その分私たちの行動もとても限られたものになってしまいました。

あの時スマホなどの電話が使えていたら、もっと子供向けのイベントなどを調べて参加できたのにと後悔したものです。

とは言いつつ、アメリカに帰ってしまうと別段スマホの必要性を感じることもなく、相変わらずインターネットもテキスト(ライン)も使えない電話をずっと使っていました。

けれどここへきて日本行きが決まり、前回と同じ過ちを犯したくない私は、思い切ってスマホを購入したのです!

そしたらその便利さにビックリ!

今まではお店の電話番号が知りたい時は、わざわざ家に帰ってコンピューターで調べていたのに、今では車の中でもすぐに調べられるんです。

しかもお店の下に載っている番号を指で触るとそこへ電話がかかるという。

なんという便利さ!

どこか知らないところへ行くのにも、今までのようにいちいちgoogle mapで調べて地図をプリントアウトしなくてもいいんです。

なんという便利さ!

でもやはりテキストを送り合うのはどうしても面倒くさく感じてしまい、友人に何か連絡したいときはメールを送るか電話をかけて話をしているんですけれどね。

そこでこのスマホについての質問なのですが、

海外から日本に一時帰国した時に、海外にお住みのみなさんはどうやってご自分のスマホを使っていますか?(ちなみにスマホはunlockのものを買いました)

私が調べたところによると、スマホ自体を日本に着いてから借りるか、シムカードを買うかなどのオプションがあるようですが、どれが一番安くて便利なのか実際に日本で使った方達のお話を伺いたいと思いました。

それからもう一つの質問は、日本での車の保険についてです。

というのは、前回の反省点に「車の運転ができなかった」というのもあって、今回は国際免許証を取って日本で運転しようと考えているのです。

ただ調べたところによると国際免許で加入できる車の保険がほとんどなく(当たり前ですが)、海外からの一時滞在者などはどうしているのかなと思ったのです。

幸い両親の車がまだ実家にあるし、父が入っている保険があるので、父と車は保険が効くのですが、私が運転中に何かを破損したり誰かを傷つけてしまったりした時の保険を探しています。

日本の免許を取りなおすのが一番いいのでしょうが、筆記と実技試験をもう一度受け直して再交付してもらうまでにアメリカに帰る日がきてしまいそうです。
(ちなみに私が住んでいる州は、実技試験が免除されているワシントン州などではありません。)

何かいい知恵がありましたら、教えていただけると大変助かります。

よろしくお願いいたします。

さわこ



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一時帰国中の体験入学

* これは前回の記事の続きで、去年の夏頃のお話です。


ある日ノッコの日本語学校で、以前図書当番で一緒になった八重子さんというお母さんをみかけた。彼女の旦那さんもアメリカ人で、小学校に通う息子さんと娘さんが一人ずついた。

そのお母さんとはとても気が合い、その後もよく事務所の前で立ち話をしたりするようになった。

「あらー、久しぶり。元気?」

なんて挨拶をしてから、

「最近はどう? 忙しい?」

と質問が続いた。

「うん、来年の夏に日本に帰ろうと思ってるんだけどね、なんか子供達の学校のことで色々大変で。」とちょっと愚痴ってみた。

「大変てどうして?」

彼女がそう聞いてくれたので、私はノッコたちの学校探しの経過をかいつまんで話した。

「そうかあ。。」

私の話を聞いた八重子さんは、ちょっと考えてから

「実は、私も毎年子供達と一緒に日本に帰省してるんだけど、子供達が通っている学校の校長先生が本当にいい人で、彼女と飲みに行くくらい仲良くなったのね。その学校私立なんだけど、あの校長先生ならきっとノッコちゃんも受け入れてくれると思うんだ。すごく熱心に国際化を進めている学校だから。よかったら私から聞いてみるけど、どう?」

「うん、うれしいけど、八重子さんの実家って確か〇〇市だったよね。うちの実家からはちょっと遠くて通えないと思うんだ。」

「うん実はね、母が数年前に亡くなって、日本にある実家が今空き家状態なの。一応一軒家だし、そこでよければ貸すよ。その学校は家から歩いてすぐだから、そこから通えばいいんじゃない?」

「えっ? そうなの?」

突然の彼女からの申し出にちょっと戸惑いはしたけれど、私はすぐにいいお話だと思った。

八重子さんの実家は私の実家よりずっと都会にあって交通も便利だし、インターネットもついているし、子供達と過ごすなら確かに八重子さんのところのほうが快適かもしれない。

けれどあまり知りもしない八重子さんに色々と迷惑をかけるのも気が引けたし、日本に帰る目的の一つに、父と母に子供達とできるだけ多くの時間を一緒にすごして欲しいというのがあった。

もしも実家以外の所で寝泊まりしていたら、両親が子供達と過ごす時間が極端に少なくなってしまう。

なので八重子さんにはお礼を言ってから、その場で丁寧にお断りをした。

けれど別れ際に八重子さんが、

「さわこさん、私も日本では学校関係のことで手続きに困ったことがたくさんあったけど、学校側と直接交渉してみると結構うまくいくことが多かったよ。一度子供達を入れたい小学校と幼稚園に電話して聞いてみたらいいんじゃない? メールじゃなくて、電話で聞いてみるのがいいと思うよ。」

そうアドバイスしてくれた。

「うん、ありがとう。」

そう言って別れたあと、私は自分がまだ直接小学校や幼稚園に訊いてみていないことに気がついた。

住民票がないからどっちにしてもダメだろうと最初から諦めていたからだった。

でも「ダメ元で訊いてみよう!」と思い直し、早速次の週に実家から一番近い公立の小学校に電話してみることにした。

その小学校に電話すると教頭先生が出て、しばらく私の事情を静かに聞いてくださった。

そして私が話し終わると、

「1ヶ月の体験入学という形であればかまいませんよ。」

と思いがけない返答をしてくださった!

先生の話によると、その年の夏もヨーロッパから帰国中のお子さんがその小学校で数週間体験入学をしたそうだ。

その経験がクラスメートにとってもとてもいいものだったので、学校側でももっと積極的に受け入れていこうという話が出たばかりだと言う。

しかも体験入学という形であればいちいち市の教育委員会に申請する必要もなく、学校側が受け入れを認めれば、たいてい市の方も同意してくれるという。故に住民票も戸籍謄本もいらないそうだ。

「あっ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

もう天にも昇るような気持ちで、教頭先生に何度も何度もお礼を言ってから私は電話を切った。

そこで勢いづいた私はすぐさま、その小学校と同じ敷地内にある幼稚園にも電話してみた。

するとそこでも「体験入園」という形で風太の入園を認めてくれることになった!

「夢見たい!」というのは、正にこのことを言うんだとその時つくづく思った。

物事って、ダメ元ってやってみるものだなー。

最初から諦めてたら本当に何も得ることができないんだなー。

今更そんなことを改めて経験した気がした。

そのあと学校から送られてきた申込書に記入してそれを返送し、子供達の体験入学が確定したものになった。

その後、以前お願いしようと思っていたアフタースクールにキャンセルとお詫びのメールを送った。

ここに至るまでの過程で知り合った小学校や幼稚園の教頭先生、そしてアフタースクールの担当の方は本当によい人たちばかりだった。

私の状況にとても理解を示してくれて、時々冗談を言いながら一生懸命ノッコたちの入学を許可しようとしてくれた。

それはやはり八重子さんがアドバイスしてくれたように、電話で何度もお話したからだと私は思っている。

「あのー、子供達は二人とも日本語がちょっとカタコトでして、、、。」と私が言うと、

「あらー、日本の子供達だって6−7歳だと日本語でも何を言ってるのか分からないんだから同じですよ!」

なんて笑って返してくれる。

そして何度も「心配いりませよ。」「こちらが責任を持ってお預かりしますから」とおっしゃってくださった。

日本の学校って本当にすばらしい!

そして最近は技術の発達のおかげでコミュニケーションがメールやテキスト(ライン)に偏りがちだけれど、こちらの意向を伝えたい時にはやはり電話で直接話す方がいいんだなと改めて思ったりした。

電話の様子から私が受けた教頭先生達の印象は、二人とも花マル!

あの学校・幼稚園ならノッコも風太も大丈夫そうな気がした。(もちろん担任の先生次第だけれど)

とりあえずこれで子供達の通学先が決まり、ホッと一安心したのだった。



*次の記事では日本に関する質問について少し書かせていただきたいと思います。





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日本での学校探し

* これは前回の記事の続きで、去年の夏頃のお話です。


日本への一時帰国中に、日本の公立小学校と幼稚園に子供達を通わせることを諦めた私。

次に民間の小さな学校を探し始めた。

まず両親が住んでいる地域にある全ての学校のリストをプリントアウトし、よさそうな所を一つ一つチェックしてみた。

すると小さな寺子屋のような学校を見つけた。

それは所謂「アフタースクール」で、仕事を持つ親御さんたちのために子供達を放課後預かってくれるという施設だった。そして小学校が夏休みの間は子供達を一日中預かってくれるという。

その学校のサイトを見てみると、まるで戦時中に子供達が疎開先で通ったような、民家を学校に改造した作りになっていた。

畳の上に机を並べて勉強したり、庭で竹馬を作って乗ったりしている子供達の写真が載っていた。

「これ、ノッコも風太も好きそう!」

私は思わず興奮気味につぶやいた。

日本で学校に通うなら、こんな風にいかにも「日本」という環境で勉強したほうがノッコや風太にとっても思い出深いものになるんじゃないか。

そう考えたので、私は早速そのサイトに載っていた連絡先に電話してみた。

プルルルと呼び鈴が鳴ってしばらくすると

「もしもしー」と、かなりお年寄りのおばあさんの声がした。

「あのー、すみません〇〇学校のことでお尋ねしたいことがあるんですが。」

「ああ、学校ね。ちょっと待ってくださいね。房江さーん。房江さーん。学校のことで聞きたいって。電話—。」

そう言っておばあさんが「房江さん」という担当者(お嫁さん?)を呼んでからかなり時間が経って、ようやく房江さんが電話口に出た。

「はい、お電話かわりました。」

「あのすみません、〇〇学校のことでいくつかお伺いしたいことがあるのですが。実は私は今アメリカに住んでいて、、、」

そこまで言うと房江さんは、

「えっーーーー! アメリカ? 今これアメリカからかけてるの?」

「はい。」

「あらーっ、ばあちゃん、やだよー、ずっと待たせたりして。これアメリカからだって。」

「あら あら」

横でおばあちゃんの慌てる声が聞こえた。

もう、

なんてかわいい二人。

そんな二人の会話を聞いて私は、絶対こんなところに子供達を通わせたいなと思った。

このおばあちゃんなら、きっとノッコや風太をかわいがってくれそうな気がしたから。

それから房江さんにこちらの事情を細かく説明すると、

「はい、はい、大丈夫ですよ。」と気軽に承諾してくれた。

「でも、あの、住民票とかもないのですが、、、」

「大丈夫、大丈夫、あとはこっちに着いてから手続きすればいいから。」

「ああ、そうですか、、、じゃあ、せめてメールでやりとりだけでもさせていただけないでしょうか」

「大丈夫よ。とにかくあとは着いてから。じゃあ、長電話になるとよくないから。」

そう言って房江さんはガチャンと電話を切ってしまった。

房江さんの「とにかく着いてから」というこのセリフ。

実は3年前もある幼稚園から言われた言葉だった。

「とにかく着いてから手続きすれば大丈夫ですから。」

私はその言葉を鵜呑みにして実際日本に帰ってみたけれど、手続きは思ったより複雑で結局子供達を通わせられなくなってしまったのだ。

そんな経験から私は今回も房江さんの「大丈夫」という言葉をあまり信用していなかった。

そしてそんな適当なことを言うこの学校にもちょっと不安を覚えた。

それにこのアフタースクールは実家からかなり離れてもいたので、それもちょっとマイナス要素ではあった。

念のため似たような学校を他にも探してみよう。

そう思って調べていると、もっときちんとしていそうなアフタースクールが見つかった。

それは全国に何校も姉妹校があるようなアフタースクールで、夏休みになると子供達を一日中預かってくれるし、サマーキャンプなどにも参加できるという。

早速そこにも電話してみると、とても気さくで感じのいい男性が電話に出た。

私が手短に事情を説明すると、

「そうですか。ご事情は分かりました。一応上のものにも確認してみますが、おそらく問題ないと思います。」と言ってくれた。

「私共は入会申込書でも住民票や戸籍謄本の提出を義務付けておりませんし、比較的簡単なものですから。」

「そうですか、よかったです。では、来年度の申込書をメールで送っていただけないでしょうか。」

「ええっと、、来年の分はまだ作成していないのですが、、、。 では出来上がり次第お送りするという形でよろしいでしょうか。」

「ええ、構いません。では、お手数ですがよろしくお願いします。」

ガチャン。

ということで、

来年の夏は、ノッコと風太をこのアフタースクールに入れることにほぼ決めたのだった。

ようやく預け先が見つかってよかった。

そう安心した反面、実はこのアフタースクールに対しても私は100%ハッピーという訳ではないのだった。


一つは学費がとても高いこと。

子供達を預けている時間数とお昼代、アクティビティ費などを入れると、子ども二人で20万ぐらいかかってしまう。

しかもこのサマースクールは日本の小学校が夏休みに入ってからでないと始まらないので、私たちが日本に行くのがどうしても8月ごろになってしまうのだった。

ジョンの出張は6月に終わるので、私たちが8月に日本に行くとジョンと合流することができなくなってしまう。

そうすると子供達とジョンは3ヶ月近くも会えなくなってしまうのだ。

(あーあ、子供達を日本の小学校/幼稚園に入れられたら、一番いいんだけどなー。)

そんなことを考えていると、ある知り合いから耳寄りな話を聞かされることになった。


つづく




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養子だからぶつかる壁

* これは昨日の記事の続きで、去年の夏頃のお話です。


いつもこのブログを読んでくださっている皆様へ、

これから私が書いていく記事を読んで、「さわこさん、こういう方法がありますよ!」という提案をしてくださる方がいらっしゃるかもしれませんが、ある程度落ち着くまでにいくつか展開がありましたので、提案してくださった内容とダブらないためにもしばらくコメント欄を閉めさせていただきたいと思います。申し訳ありませんが、ご了承くださいませ。


突然のたなぼたに背中を押された形で決まった私たちの日本行き。

行くと決まってから私の心は一気に「ワクワク感」に変わっていった。

3年前に4歳のノッコと1歳の風太を連れて日本に行った時は、さまざまな準備不足から本当に大変な思いをした経験があるので、今回はそれを反面教師にしてできるだけ準備をしていこうと決めた。

以前思いもよらず失敗したのは、子供たちをどこにも預けられなかったことだった。

出発前に幼稚園に入園可能であることを確かめておいたにもかかわらず、書類が足りないだとか、書類を提出してから2週間後にようやく入園できるとか、予想外の展開になってしまい結局私が仕事をしながら子供たち二人の面倒を見るという状態になってしまった。

両親が歳をとってしまったために、全然頼りにならないというのも想定外だった。

だから今回は子供達をどこかに預けて仕事をする環境をしっかりと作っておかなければならない。

それに子供達の日本語にとっても、学校に通っていた方が上達が早くなると思った。

日本に1ヶ月もいたのに、その間ノッコが全く日本語を話さなかったのは、やはり同年代のお友達と遊ぶ機会を与えられなかったからだと思っていた。

そういう意味でも今回は、なんとしてでも子供達が通える学校を探しておきたいと考えた。

たまたまその年の夏休み(2016年)に友人のあつこさんが子供達を連れて日本に2ヶ月ほど帰国し、その際娘さんを地元の小学校へ、そして息子さんを地元の幼稚園に問題なく通わせることができたと言っていたので、早速あつこさんに電話をして聞いてみることにした。

あつこさんは日本に着いてからその地区の学務課に行って手続きをすると、すぐに学校に通えるようになったという。

その時に必要な書類も、申込書とパスポートぐらいだったと言っていた。

そこで私は、自分がまずやらなくちゃいけないことは子供達の日本のパスポートをとることだと考えた。

以前ノッコが生まれた時に日本のパスポートを取ろうとアメリカの日本領事館に電話すると「養子の場合は産みのお父さんかお母さんのどちらかが日本人でないとダメです」と言われ、すぐ諦めてしまった。

けれど子供達の出生証明書を見ると母親の欄に私の名前しか書いてないし、「養子」という言葉もどこにも書いていない。

ということはこの書類をだまって提出すれば、ノッコたちは私の実子と見なされ日本のパスポート取得が可能なのではないか。

そう考え始めた途端、罪悪感と期待で胸がドキドキし始めた

けれどよくよく調べてみると、パスポート申請の書類に「日本のパスポート申請は出生後3ヶ月以内」と書いてあった。

ああ、遅かった! 

なんでノッコと風太が生まれてすぐに申請しなかったんだろう!

そんな風にひどく後悔したけれど、よく考えてみるとノッコたちとの縁組が法的に成立したのは子供達が生まれてから6ヶ月後だったので、どちらにしても生後3ヶ月の時点で日本のパスポートは申請できなかったのだ。

アメリカ人の産みの親を持つ養子の場合は、例え養親が日本人でも日本のパスポートは取得できない。

今の日本の法律ではそういう仕組みになっているのだった。

私はそこで子供達を日本の公立の学校に通わせるという考えは諦めることにした。


次に、自分たちの住民票を以前住んでいた東京から今両親が住んでいる地区に移すことを考えた。

子供達にその地区の住民票がなければ、きっと公立以外のどの学校でも受け入れてはくれないだろうと考えたからだ。

けれど住民票を移すには、以前住んでいた東京の戸籍を提出する必要があった。

早速母親に頼んで東京の戸籍を郵送してもらうと、そこに私たちの家族として子供達の名前は載っていなかった!

それは日本のパスポート申請を断られた時点で領事館に子供達の出生届を出していなかったから。

そこで急いで子供達の出生届を領事館に提出して日本の戸籍に加えてもらおうとしたところ、もう遅すぎると言われてしまった。

それもパスポート同様、生後3ヶ月以内だったのだ。

縁組が成立していない生後3ヶ月の時点で子供達を日本の戸籍に入れることはどちらにしても無理だったので、結局養子は日本の戸籍さえも持てないということをこの時初めて学んだ。

日本の戸籍を取得できないから、日本のパスポートも取得できない。

当然と言えば当然のことにその時の私は全然気づかず、なんだか一人で空回りばかりしていた。

そして普通に何の問題もなく子供達を学校に通わせられたあつこさんが、ひどく羨ましく感じられた。

でも、ちょっと考えてみた。

実子を産んだ人でも、きっとうっかりして生後3ヶ月以内に領事館に出生届を出すのを忘れちゃった人だっているに違いない。

そういう人たちのためにきっとなんらかの形で後から申請できる制度があるに違いない。

そう思った私は、早速日本の区役所の法制課に電話をして聞いてみた。

するとそういう制度はやはりあるという。

やったー!

けれどその第一の条件は、子供を連れて日本に6ヶ月以上滞在すること。

そうすれば子供達を戸籍に加えられ、住民票の移動もできるという。

アメリカで仕事を持っている私には、日本での6ヶ月の滞在はとうていできることではない。

それにノッコの現地校もある。

ということで、結局このセカンドチャンスも私たちには使えないものだと判明した。

それですっかり気を落としてしまった私だったけれど、それでも負けずに別の方法を考えてみることにした。


つづく


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ジョンの欠点

* これは去年の夏頃のお話です。


このブログの中で、私は自分の夫であるジョンのいいところをたくさん書いてきた。

だからずっと読んでくださっている方の中には、ジョンがまるでとてもできた旦那さんのように感じている人がいるかもしれない。

確かにジョンは穏やかでやさしく、どんな時でも冷静な判断ができる人だと思う。

けれどそんなジョンにもやはり欠点はある。

たくさんある。

どれもこれも小さいことだけれど、、。

例えば、ジョンは大抵のことには無頓着である。

この「無頓着」という言葉の中には、「不潔」とか「気が利かない」とか「忘れっぽい」とかのさまざまな要素が含まれている。

例えば「不潔」。

ジョンはさすがに社会人なので、毎日一応シャワーを浴びたり、歯磨きをしたりはする。

けれどそれ以外のことは、本当にどんな状態でも気にならないらしい。

ジムに行って汗ビッチョリかいたTシャツを、そのまま椅子にひっかけて乾かし、それをまた着てジムに行くこともある。

私が「洗濯するからちゃんと出して!」と注意すると、

「あれはcool offしたから大丈夫」と訳わからないことを言う。

どうやら汗をかいて熱くなったTシャツを、乾かすことで冷やすという意味があるらしい。

そういえばお互い大学生だったころ、ジョンのアバートには「cool off area」と呼ばれるスペースがあって、汚れた服が山積みになっていた。

白いシャワーカーテンもピンクのカビでいっぱいだったため、メルヘンちっくなものになっていたし。

だから私は、子供達をジョンに預けて何日も家をあけることなんて怖くて未だにできないでいる。

「気が利かない」も「忘れっぽい」も例がたくさんありすぎて書ききれないくらいだけれど、最近手を焼いているのは「クリネックス入りシャツ」だ。

ご存知の方も多いかもしれないけれど、アメリカ人はたいてい鼻をかんだテッシュをそのまま捨てずに、またシャツやパンツのポケットに入れてしまう。

ジョンももちろん例外ではなく、使ったティシュをいつもポケットに入れっぱなしにする。

パンツの場合は、洗濯する前にいつもポケットをチェックするのだが、時々シャツの小さなポケットにテッシュが入っていることに気がつかないことがある。

ティシュが洗濯機の中で散乱し、もちろん他の洋服にもついてしまう。

そういう時に限って、黒いシャツが多かったりして。

「お願いだからシャツのポッケにテッシュを入れるのやめて」と何度も頼んでいるのに、自分が洗濯するわけじゃない彼にとってはたいした問題ではないらしく、いくら言っても気をつけてくれない。

ある日、またチェックしそこねたシャツのポッケからティシュが溢れ出したので、ティシュの破片でいっぱいになった黒いTシャツをジョンに突き出し、

「もう自分でこのテッシュ一つ一つとってよね!私はやりませんから。」と言った。

すると次の日、ジョンはそのティシュだらけのTシャツをそのまま仕事に着て行ってしまった。

「歩いてれば自然に落ちるから大丈夫」と言いながら、、。

もうダメだと思った。

あんな真っ白なものがたくさん付いたTシャツを平気で着ていくジョンの神経。

彼とは絶対に同じ感覚を持って生活することはできないと思い、今は彼の影響が子供達に及ばないことだけを祈って毎日を過ごしている。

けれど「不潔」「気が利かない」「忘れっぽい」などによる被害は、まだ許される範囲のものだった。

彼の無頓着さで一番困るのはやはりお金の問題だった。

他の多くのアメリカ人がそうであったように、ジョンも大学の学費の一部をStudent loanでまかなっていた。

それは卒業して仕事に就いたら少しずつ返していかなければいけないものだったのに、ジョンはお母さんに言われるまでそのローンのことをすっかり忘れていた。

そのおかげで借りた金額にしっかり利子が上乗せされていた。

どうしたら自分がどれくらい借金をしているかを把握しないでいられるんだろう?

お金のことにはきちんとしたい私には信じられないことだった。

結局金額自体はそんなに大きくなかったのと、それ以上利子が膨らむのは嫌だったので私の貯金から一括で払った。

それからジョンは私のことを「sugar mama」と呼ぶようになった。

ジョンはけして浪費家ではないけれど、もともと使おうと思った時にはドーンと使いたいタイプだった。

だから金欠状態でバケーションに行った時も、一番安いサラダばかりを食べている私の横で80ドルもする刺身の盛り合わせを頼もうとした時は、本当にジョンの金銭感覚を疑ったりした。

                            ◇

楽しかった姉家族の訪問が終わり、寂しいのと気が抜けたのとで毎日ポケーッとしている私に、ある日ジョンが

「ねえさわこ、来年日本に行こう!」と突然言い出した。

「えっ? 日本?」

「うん、ノッコも風太もアミやカイとまた会いたいだろうし、もう3年も帰ってないんだから、さわこの両親も子供達に会いたいんじゃない?」

「そりゃそうだけど、、。」

「僕はまた海外出張があるから、その仕事が終わったら日本で合流するよ。」

「待ってジョン。私だって行きたいのは山々だけど、金銭的に絶対無理だよ。」

「それがね。」

そういってジョンはニコニコしながら、秋からの昇進の話をしてくれた。

ジョンのポジションが今の肩書きより一つ上になるので、その分お給料が上がるらしい。

それはとってもいいニュースで私もうれしかったけれど、昇給はそんなに大したものではなく、それで家族4人の日本行きはとても無理そうな気がした。

「それに来年には屋根の張替えもしないといけないし、窓の修理もしなきゃいけないし。気持ちはうれしいけど、やっぱり無理だよ。」

私がそういうと、ジョンはいつものように

「大丈夫だよ。お金はなんとかなるから。」と言った。

この「お金はなんとかなるから」という言葉、彼と知り合ってから何度聞いたことか。

実際彼の言う通りいつもお金はなんとかなっている訳だけれど、それはこの堅実なさわこが懸命にやりくりしているからなのに。

「なんとかなるってどうするの?」

「いいよ、もしも足りなかったら銀行から借りれば。」

「えっ? 銀行から借りるの?」

「うん。」

それからジョンは、自分なりに調べたことをベースにどうして来年日本に行った方がいいのかを理論立ててトクトクと私に話して聞かせた。

日本で仕事をしていた頃は、借金をしてまでバケーションに行くなんて考えられなかったけれど、アメリカに来てから私の感覚もかなり麻痺したようで、

「子供達はすぐ大きくなってしまう」

「さわこのお父さんやお母さんも、いつまで元気でいられるか分からない」

そんなジョンの言葉に非常に心が揺れてしまった。

もともと日本には行きたかった私。

結局その話にちょこんと乗ってしまい、銀行からお金を借りることに同意してしまった。

そんな矢先、

信じられないことが起こった。

私の職場の人事部から連絡があり、私が勤め始めた2009年からずっと私のお給料が間違った金額で支払われていたという。

毎月の差額自体は微々たるものだったけれど、それが7年にも及んだので、結局総額80万近くが戻ってくるという。

「えーっ!」





こうして私たちの日本行きが決まったのだった。


つづく



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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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