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勉強は、ついていけないものだと諦める

* これは、前回の記事の続きです。

四人のお子さんを全員東大に合格させたというお母さんを反面教師にして、自分は一体どんな子育てをしていきたいのかを改めて問い直してみた。

そして色々考えた結果、以下の三つを試してみることにした。


1)ノッコが他の子に追いつくかもしれないという希望はすっぱり捨てる。 

「まだ先のことは分からないじゃない。」「まだノッコちゃんは8歳なのに、なにも今からそんな決めつけなくても、、、。」

親しい友人はそんな風に言う事がある。

けれど人が何かに対してがっかりするのって、必ず自分の中に期待する気持ちがあるからで、その期待を思い切って捨ててしまうと気持ちがずっと楽になることってあると思う。

私は結婚したばかりの頃、お互い仕事をしているんだからジョンにも家事をしてもらいたいと思っていた。だから自分から進んで家事をしてくれないジョンにイライラしたりがっかりすることが多かった。

でもジョンはコンピュータや車を直してくれるし、家の修理もやってくれる。だから「家事は自分担当なんだ」と決めたら、あまりがっかりすることがなくなった。

ノッコは週に4日も補習クラスに入ってて、一年生を2回繰り返して、そして私やジョンがつきっきりで勉強を見てあげている。

それでも「put」を 「 poot」と書き続けたり、「5ドルもらって3ドル使ったらいくらか? 」という問題も分からないのだから、彼女がこれからクラスに追いつくというのはもう無理なのだと思う。

ノッコの勉強はこれからもずっと遅れていくだろうし、将来大学にも行けないかもしれない。

それは頭では分かっていたのだけれど、でもやっぱりまだどこかで「もしかしたら」と期待していたところがあった。

ノッコはノッコのペースでがんばればいい。

口ではそんなきれい事を言っておきながら、心の奥底ではなんとかクラスに追いつかせようと躍起になっていた。

だから毎日「勉強!」「宿題!」とノッコを追い詰めてしまったのだ。

「もしかしたら、、」という期待は、今のノッコにとっても私にとっても、何の利にもならない。

だから今はそれを捨ててみる。

私は飲み込みの早い自分の子供に、「スポンジみたいにどんどん吸収していくね」と言ってみたり、本を読むのが大好きな子に「もう遅いから寝なさい。本の続きは明日にすればいいじゃない。」などと声をかける日が来るのを夢見ていた。

一緒に見た映画や、一緒に読んだ本について、子供とああだこうだとディスカッションするのを夢見ていた。

でもそんな夢も、今は捨てておいた方がいいのだと思う。

それよりもノッコが今後成長していく上で、勉強ができないことで落ち込んだとき、傷ついたとき、精神的にどうやって彼女を支えていくか。

どうやったらノッコとの関係をよりよいものにしていけるのか。

そういうことに頭や時間を使っていくことの方が、今は大切なんだと思うことにした。


つづく


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子供を全員東大に入れたお母さん

* これは、(だいぶ間が空きましたが)前回の記事の続きです。


ノッコを受け入れられない私を、そっくりそのまま受け入れてくれたジョン。

彼のやさしさに、その時の私はどれくらい救われたことか。

けれどどんなにジョンの言葉で気持ちが楽になっても、だからといって心の問題が解決したという訳ではなく、私の苦悩自体は消えることなくそのままそこに存在していた。

それは「自分の娘は頭のいい子であって欲しかった」という思いを捨てきれないのと同じくらい、「ノッコを受け入れたい」という願望も捨てきれずにいたから。

だから私はジョンに打ち明けたあとも、変わらず他のお母さん達のブログを読んだり、子育て関係のテレビ番組を見たりしていた。

そんなある日Youtubeで、子供四人を全員東大の医学部に入れたというお母さんのインタビューをみつけた。

子供一人を東大に入れたのなら、たまたまその子が頭のいい子だったのかもしれないと思うけれど、子供四人とも東大に入れたとなると、きっとお母さんの貢献が大きいのだろうと思い、そのインタビューを見てみることにした。

そのお母さんはお子さん達が小さい頃から英才教育を始め、つきっきりで勉強をみてきたと言っていた。

彼女が子供の勉強の邪魔になると思うこと、時間の無駄だと思うことはできるだけ排除し、子供達が勉強に集中できる環境を整えることに力を入れてきたと言っていた。

なのでテレビやバイトや恋愛は禁止。子供達の宿題も無駄だと思われるものは彼女が代わってやってあげていたという。

子供の教育のためにここまで自分の全てを打ち込めるってすごいなと思ったし、子供達を東大に入れることで自分の子育ては成功したと思えるなら、ある意味羨ましいとさえ思った。

全ての親にとって子育てのゴールがそれくらい単純で分かりやすかったら、どんなにいいだろうと思った。

そのお母さんの「東大に入るために必要なこと以外は全て無駄」とする教育方針に反発する人は多く、そのテレビ番組でもそのお母さんはかなり叩かれていた。

けれど私は彼女の考え方はそんなに批判されるほどのものではないと思った。

彼女の言葉からお子さんたちに対する愛情は感じられたし、やり方はどうであろうと、彼女だって子供達のためを思って東大に入ることを目標としたのだと思う。

その「子供を思う気持ち」は、他のお母さんたちと何ら変わらないものだと私は思った。

でも、

そうは思いつつも、やっぱり彼女のようにノッコや風太を育てていきたくはないなと思ってしまった。

勉強に力を入れてあげたのはいいかもしれないけれど、彼女はあまりに自分の子供達をかまいすぎて、彼らの自立心を削いでしまったような気がしたから。

彼女は二言目には「恋愛でもファミコンでも やりたいことは大学を出てから好きなだけやればいいんですよ。」と言っていたけれど、それでは遅すぎることってかなり多いと思う。

自分の意思で物事を決め、自分の思うように行動して失敗するという経験を小さい頃から重ねていないと、大人になってから初めて大きな失敗をするのは危険だと思った。

彼女はテレビもゲームもスポーツも「時間の無駄」だと考えていたようだけれど、そういう「無駄」から子供達が学ぶことはたくさんあると思うし、ある程度の時間の無駄は子供の成長には欠かせないものだとも思う。

私は彼女が出ていた番組を見たあと、他にもその人が出ているYoutubeをいくつか見てみた。

そして彼女の話を聞けば聞くほど「たとえ子供が勉強できるようになっても、彼女のような子育てはしたくないなぁ」という思いが強くなっていった。

じゃあ、

自分は一体どういう風に子供達を育てたいのか。
自分だって本当は、彼女のように勉強のできる子供を育てたかったのではないのか。

彼女のやり方を批判するのは簡単だけれど、じゃあ、自分はどうしたいのか。

自分にその疑問を投げかけてみた。

そしてその問いについて、自分なりにじっくりと考えてみた。

それが今回ノッコのことで悩んでいた私の(とりあえずの)解決策につながっていった。


つづく




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親の苦悩 一人で解決できない時は

* これは、前回の記事の続きです。


勉強ができないノッコを自分の子供として受け入れられず、毎日悩んでいた私。

(こんな気持ちは早く振りはらわなくちゃいけない)

そう焦れば焦るほど、自分はこのままずっとノッコを愛せないんじゃないかという思いが強くなり、あまりに苦しくて食事も喉を通らなくなってしまった。

けれどそんな状態になっても、私はジョンに相談する気にはなれなかった。

ノッコの勉強のことで、ジョンに愚痴を言うことはしょっちゅうあった。

けれど勉強ができないためにノッコを愛せないとは、あまりに情けない内容でジョンにも告白することができなかった。

知的能力が低いのはけしてノッコのせいではなく、本人ではどうすることもできないことだと知っているのに、まるで子供の顔がかわいくないから愛せないという親と同じくらい低いレベルの自分が情けなくて仕方がなかった。

そんなことを打ち明けて、ジョンに軽蔑されるのが怖かった。

しかもノッコは、

嫌がりながらも勉強をがんばっていた。

彼女にとっては、これ以上できないというくらいがんばっていた。

それを側で毎日見ているのに、こんな感情を持ってしまう自分が恥ずかしくて、とてもそれをジョンに打ち明ける気にはなれなかった。

けれどある日、子供達が寝たあと二人でテレビを見ている時にジョンが

「さわこ最近元気がないみたいだけど、何かあったの?」

と聞いてきた。

「うん、ちょっと仕事でストレスが溜まっちゃって。」

私はそうごまかした。

「あんまり無理しないほうがいいよ。」

「うん、ありがとう」

そう言ってしばらくまたテレビを見ていた。


けれどしばらくすると、私の口からずっと言わないようにしていた言葉が溢れ出てきた。

「ねえ、ジョン。私、、今も、これからもノッコと普通の母と娘の関係を築いていくことはできないかもしれない。」

突然の発言に、ちょっとビックリしたジョンは、

「どうしてそう思うの?」と聞いてきた。

「私は、今までもノッコを受け入れられないと思ってしまったことは何度かあった。でもそれはノッコの癇癪に疲れてしまったために一時的にそう思うんだと思ってたんだ。でも今回ノッコの先生と二者面談をしてみて、本当はそうじゃないことが分かったの。」

「どういうこと?」

「私はノッコが癇癪持ちだから受け入れられないんじゃなくて、本当はノッコが頭のいい子じゃないから受け入れられないんだということに気づいてしまったの。今まではそれを一生懸命ごまかしてきた。でもこうこれ以上ごまかせないの。私は、自分の娘が頭のいい子じゃないというこの現実を受け入れることができない。あんなに頭の悪いノッコを自分の子供として受け入れられないの。」

こうしてはっきり言葉にすると、自分がどれくらい酷いことを言っているのかを改めて知り、私は下を向いて泣きだしてしまった。

「こんな母親、最低だよね。こんな母親を持ったノッコはかわいそうだよね。でも私、自分でもどうしたらいいのか分からないの。どうやってノッコをありのまま受け入れたらいいのか、分からないの。」

オイオイ泣きじゃくる私を目の前にして、ジョンはしばらく考えていた。

そして、

「でもさ、今こうしてさわこがノッコの話をしながらオイオイ泣いているというこの事実が、どれくらいさわこがノッコを愛しているのかを示しているんじゃないかな。」と言った。

「さわこは、ノッコをありのまま受け入れられない自分に苦しんでいるんでしょ。その苦しみは、さわこがノッコを自分の娘として心から愛しているからだと思うよ。そういう風にノッコを想う気持ちがあれば、今は無理して彼女のことを受け入れられなくても僕は別にいいと思う。さわこが受け入れられなくても、僕はノッコをありのまま受け入れているし、愛しているよ。少なくとも親のどちらかがそうできるのであれば、それでいいんじゃない。」

「、、、。」

「さわこは、もっとゆっくり時間をかけてノッコを受け入れていけばいいよ。」

「うん、、。でも、どんなに努力しても受け入れられなかったら? 勉強のできないノッコにがっかりする気持ちをどうすることもできなかったら?」

「そうだね、、もしも何年経ってもやっぱりノッコのことを受け入れられない時は、僕がノッコのことは引き受けるよ。だからそれでよしとしようよ。」

「でも、、、、、。」

「無理に自分の気持ちを押し殺そうとしても、頭のいい子であって欲しいという気持ちを変える事はできないんでしょ? 僕はノッコには他にもいいところがたくさんあると思うから、勉強の事はそんなに気にならないんだ。さわこほどがっかりもしない。さわこが自然にそんな風に思えたらいいと思うけど、無理矢理そう思うとしても、どこかで必ず歪みがでてくるから。」

「うん、、。」

「だからさわこは、無理に自分の感情を殺してノッコを受け入れようとするよりも、いつかノッコの違う面を見て受け入れられるようになるのを待つ方がいいと思うんだ。それはあと数年したら訪れるかもしれないし、ノッコが成人してから訪れるのかもしれない。それは今の僕たちには分からない。でも僕はいつかきっとさわこがノッコを受け入れられるようになると思ってるよ。」

「うん、、、。」

「ただ一つだけ約束して欲しいのは、どんなにノッコのできの悪さを目の当たりにしても、ノッコの前でがっかりした態度を見せないこと。ノッコの全人格を否定するようなことを言わないこと。 いい? さわこはノッコとけんかすると、時々そういうことを言ってしまうことがあるから。」

「うん、、、わかった。」

「このままでいくと、ノッコは大学さえも行けないかもしれないね。でも大学を出なくてもちゃんと生活してる人はたくさんいるよ。ノッコが自分の好きなことを見つけて自立できていれば、僕はそれでいいと思ってるんだ。」

「うん。」

「きっとノッコは大丈夫だよ、さわこ。」

ジョンはそう言って、私の肩を抱いてくれた。

「ありがとう、、、、ジョン」



この人と結婚してよかった。

ジョンがノッコの父親で本当によかった。

心からそう思った瞬間だった。



つづく



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勉強が苦手な子を持つ 他のお母さん達はどうしているのか


* これは、昨日の記事の続きです。


「自分の子供は頭のいい子であって欲しかった。」

そう思ってしまう気持ちを、もう無理に否定したりごまかしたりしない。

その上で勉強のできないノッコとどうつきあっていったらいいのか。

それを真剣に考えてみようと思った私は、まず私と同じような悩みを抱えたお母さんたちのブログを読んでみることにした。

「勉強ができない子供」で検索してみると、数え切れないくらい色々なサイトが出てきた。

(子供の勉強のことで悩んでいる親はたくさんいるんだな、、、。)

勉強嫌いのお子さんに悩んでいる人、学習障害を持ったお子さんを育てている人、受験の心配をしているお母さん、そして子供専門のカウンセラーなど、色々な方面から色々な人達がこの問題に向き合っていた。

小学校の低学年、高学年、そして中学生。

子供の年齢はそれぞれ違っても、お母さん達の悩みはみな一緒だった。

勉強ができないお子さんとどう向き合っていけばいいのか。

その答えを探して、みながそれぞれ苦しんでいた。

そしてそういうお母さん達は、たいてい自分自身が子供の頃優等生で、いい大学を出て、仕事もバリバリしている人が多かった。

自分ががんばった分、子供が自分と同じような結果を出せない事に失望感を覚えてしまうらしい。

私は彼女達のようにバリバリのキャリアウーマンではないけれど、その気持ちはよく分かった。

がんばればそれなりの結果が出せることが分かっているから、自分の子供達にももうちょっとがんばって欲しい。

そんな風に思ってしまうんだと思う。

その日みつけた数多くのサイトの中から、私はできるだけ自分の状況と似た親御さんたちのブログを読んでみた。

5年生の男の子を持つ一人のお母さんは、勉強ができない息子さんをどうしても自分の子供として受け入れられず、息子さんが悪いテストを持って帰ってきた日などは、顔を合わせるのも会話するのもつらくなってしまうと書いてあった。

(ああ、その気持ち分かるわ、、。)

私はそんな風にそのお母さんにすぐに共感できたのに、彼女のブログのコメント欄には批判的なコメントが多かった。

「自分の子供なのに、どうしてそんなことが言えるんですか?勉強なんてできなくたって、他に得意なことがあればいいじゃないですか。」

「お子さんが可哀想です。どうか息子さんをありのまま受け入れてあげてください。」

「お母さんがそんな気持ちでいると、お子さんが将来心に傷を負った大人なってしまいますよ。」

そんな風に書いてくるのは、たいてい自分の子供も小さい頃は勉強ができなかったけど大人になってから成功したという親御さんばかりだった。

自分達の経験を踏まえて「勉強なんてできなくても大丈夫」とブロガーさんに伝えたい。

恐らくそういう善意から彼女達はそういうコメントを送ったのだろうと思う。

でも正直言ってこういうコメントは、子供の勉強のことで悩んでいる親の気持ちを楽にはしてくれない。

確かに子育てが終わってみると、勉強ができないなんてあんまり関係なかったと感じる方がいるかもしれない。

私だって、もしもノッコが将来普通に大学に行って、普通に就職して自立してくれたら、「あんなに勉強、勉強って言わなくてもよかったかな」と思うかもしれない。

でも将来に何の保証もない私たちには、「今現在、勉強ができない子供」のことしか分からない。

だから 「もしも一年繰り返すことになったらどうしよう」とか「勉強がついていけないために不登校になったらどうしよう」など、今 目の前にある問題しか考えられない。

子供がどこの高校も受からないかもしれないと絶望的になっているお母さんに、

「勉強ができなくてもなんとかなる」という慰めは、何の慰めにもなっていない。

「勉強のことばかり気にするな」とか「子供が可哀想」というコメントは、 ただでさえ落ち込んでいる私たちの傷口に、更に塩を塗られるのと同じくらい私たちを傷つける。

子供をそのまま受け入れてあげることの大切さは、私たち自身が一番よく分かっている。

分かっているけど、勉強ができない子供にがっかりしてしまう気持ち、子供をありのまま愛せない気持ちをどうすることもできない。

だから私たちは苦しんでいる。

ブログを通じて自分と同じように苦しんでいる人達の存在を知り、こんな親は自分だけじゃないと思えたのはよかった。

けれどそこからこの問題解決の糸口を見つけることはやはりできなかった。

私は一体どうしたらいいんだろう、、。

そんな風に悩んでいる間も、私のノッコに対する態度は益々ぎくしゃくしたものになり、私たちの距離はどんどん広がっていくばかりだった。

そのせいか、ノッコの癇癪も日に日にひどくなる一方だった。

(このままでは、もう修復できないくらいノッコとの関係が悪くなってしまうかもしれない)

そう焦れば焦るほど頭が混乱して、私は少しも前に進む事ができずにいた。


つづく

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自分の気持ちをごまかすのをやめてみる


*これは昨日の記事の続きです。


その日から、私のノッコに対する態度が少しずつ変わっていった。

以前は熱心に教えていた勉強も、なんだかやる気が失せてしまったし、ノッコのためによかれと思ってやってきたことも、何だか全てが無駄な事だったように感じてきたのだ。

実は以前の面談で先生が私に提案してくださったことは、家ですでにやっていることばかりだった。

学校の宿題以外にも、短い読解の問題はよくやっていたし、単語の練習もただ覚えさせるだけじゃなく、どんな風に使うのか例を挙げながら丁寧に教えていた。

「ノッコちゃん、”Conclusion” ていうのはね、自分なりの答えを出すことだよ。色んなデータや経験を基にして自分なりの答えを出すの。例えば、ある科学者が最初に“きっと地球は丸いに違いない”と思って色々調べるでしょ。そしてその結果、やっぱり丸いんだって分かったら、それがその科学者の “conclusion”なんだよ。」

私がこんな風に説明している間、ノッコはたいてい近くにあるものをいじったり、窓の外を見たりしてほとんど聞いていなかった。

私の話すことは、ノッコには全然響いていなかった。

どうせ私の言っていることを少しも理解していないのなら、一生懸命理解させようとする必要はないんじゃないか。

やってもやらなくてもノッコは伸びないのなら、やらなくてもいいんじゃないか。

だんだんとそんな風に思うようになっていった。

そして宿題をやるたびに、

「どうして毎日勉強しなくちゃいけないのー!」

「ノッコやりたくない! もうやらない!」

そう叫びながら、鉛筆をボキボキ折ったり、ノートをぐしゃぐしゃにしているノッコに付き合うのも、ほとほと疲れてしまった。

以前はそれでもなんとか宿題を終わらせようとなだめすかしていたけれど、その頃はもうどうでもいいような気がして、

「オーケー、じゃあいいよ。もうやらなくていいから遊んでおいで。」

と言ってしまうのだった。

すると喜んで遊び始めるノッコを見ては、それはそれでまたイラついてみたり がっかりしてみたり。

ノッコの勉強のことはもうどうでもいい。

そう思えたらどんなに楽か。

なのにどうしてもノッコの勉強を気にかけてしまう自分にイライラしては、更に落ち込むということを繰り返していた。

そんな毎日を過ごす中で、私は少しずつ自分の本当の気持ちに気づき始めてしまった。

それは、自分が子供を愛おしいと思う条件の中で、「頭がいい」という点がどれくらい大切だったかということだった。

私は、自分の子供は頭のいい子であって欲しかった。

私たちがノッコを迎えた時、例え遺伝子で繋がっていなくても、私とジョンが育てればきっと頭のいい子になるのだと信じていた。

それは「成績がいい」という頭のよさではなく、「飲み込みが早い」とか「分析する力がある」などの頭のよさ。

それさえ備えていれば、運動ができなくても、音楽の才能がなくても、少しぐらい性格が悪くったって私はその子に満足できたような気がした。

その子をもっと愛せるような気がした。

それくらい「頭がいい」というクオリティーは、私にとって欠かせないものだったのだ。

だから「勉強ができなくても、何か他に得意なことがあればいい」とか「勉強ができなくてもお友達が多ければいい」などという慰めは、自分やノッコの気持ちを楽にするために無理して言っていただけで、けして自分の本当の気持ちではなかった。

そんな「ごまかし」をこのブログに書いたり、お友達に話したりしていたけれど、本当は心の中でいつだって「頭のいい子であって欲しかった」という思いを捨てきれずにいた。

勉強さえできれば他のことはその次でいいと思っていた。

勉強ができることだけが、本当の意味で私を幸せにし、この子が愛おしくて堪らないと思わせる一番の要素だった。

だから、10ドルを二人で割ったら5ドルだということも分からないノッコは、私を満足させられる子供ではなかった。

未だに曜日も分からない、時計も読めないノッコ。

スペルミスのせいで何が書いてあるのか全然分からない文章を書くノッコ。

そんなノッコに私が満足する事はどうしてもできなかった。

これからノッコの頭が急によくなるとはとても思えない。

ということは、これからもずっと遅れ続けていくノッコを私が必死でサポートしていかないといけないんだ。

そう思うと、どうしようもない倦怠感と絶望感に襲われるのだった。

(自分の子供は頭のいい子であって欲しかった。)

そう思う気持ちは、どんなにごまかそうとしても事実として私の中に存在した。

だから、

もうきれい事を言ってごまかすのではなく、この事実を自分の中でしっかり受け止め、その上で勉強のできないノッコとどうつきあっていくか。

その事を真剣に考えるところから始めてみようと心に決めた。



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さわこ

Author:さわこ
在米のさわこです。売春、ドラッグ、破談などの障害を越えてようやく家へきたノッコと風太の養子縁組のお話を綴っていきます。

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